地域開発系

■質の高い都市に住むとは何か/千里ニュータウンの現状と今後を考えて

(石塚)


石塚裕子氏

 千里ニュータウン(NT)ができた1970年代の同地区の写真と現状の写真を比較すると、緑が深くなり、一部で集合住宅の建て替え、千里中央駅周辺では高層化が進み、近隣センターは機能見直しでマンションに変貌、モノレールが整備されるなど、NT開発は成功したと感じられる。小学校期を千里NTで過ごした25歳前後の男女36名を対象に行った「ふるさと感」に関する調査(=大阪大学)によると、7割が「ふるさと」といえる、約2割が今後「ふるさと」になるだろうと答えており、千里NTで生まれ育った人はこのまちを「ふるさと」だと感じていることが読み取れる。

 まちとして素晴らしい千里NTだが、人口の減少・少子高齢化の波が押し寄せている。昭和50年の人口12万人がピークで、その後は減少し、平成17年時点では約3割減の人口8万人〜9万人。高齢化率も大阪府平均を大幅に上回り25%以上。単一世代が一斉に入居したNTであり、その後30〜40年を経た現在、少子高齢化を絵に描いたような状況になった。これは当初から予想できたことではないかと思う。

私の質問は3点。

■大阪湾ベイエリア/機能混在と担うべき役割

(尾花)

 南港ポートタウン、神戸ポートアイランド、六甲アイランド。それぞれを俯瞰した写真を見ると、これら人工島では港湾貨物の物流機能があり、その中に居住機能、業務機能が入っている。私自身、各ゾーンの交わる部分が気になっていたが、大阪市港湾局HPのQ&A欄に住民から同様な意見が掲載されていた。

 内容は、機能混在によって物流施設や大型車両の騒音・排気ガス、道路の損傷・渋滞、路上駐車、景観阻害などが発生20年間支払ってきた都市計画税が環境悪化のために使われているように思うという意見で、行政計画の不整合を指摘している。

 ポートタウンは大阪南港のほぼ中央に位置し、緑地も配置されている。付近のWTCビルは府庁移転の候補にもなっている。機能混在の中での府庁移転問題の行方も気になる。

 関西経済連合会のHPでは、ベイエリアの将来像として「ゾーニングによる諸機能の適正配置」が大事だとする提言が掲載されており、提言主旨に私も同感で、こうした長期ビジョンが必要だと思う。こうしたことを踏まえて私は、ベイエリアでは「場当たりでなく、長期的視点からの土地利用を誘導すべき」だと問題提起したい。

■都市空間における自然のあり方 子供たちへ継承する都市空間

(土田)

 大阪都市部の緑の状況は、御堂筋の銀杏並木、大阪城公園の風格ある緑景観、中之島公園では水辺空間と一体となった緑景観が形成されている。近郊にも鶴見緑地公園や服部緑地など広大な緑が存在する。

 しかし大阪府環境白書によると、7割を超える人が大阪の都市に緑が少ないと感じている。

 なぜ緑が少ないと感じるのか。その原因を挙げてみたい。まず、インフラ整備の進展に伴い都市周辺部の緑が減少し、土地利用現況図の1970年と1998年を比較すると、特に大阪府南東部の緑の減少が分かる。近郊の緑の減少は、都市部の自然生態系にも影響している。緑の拠点として都市公園があるが、大阪市の都市公園面積は政令市平均の半分程度。量的な不足に加え、目につきやすい所に緑がないなど効果的な緑の配置が不足ぎみで、府民に緑が少ないという印象を与えているのではないのか。

 また、公園の舗装やコンクリート張り水路など、管理の効率化によって自然(野生)との触れあい機会が減少しているのではないのか。

 緑のネットワーク整備(街路樹・水辺)の観点からみると、歩行者空間を主とする道路緑化(街路樹)が不足しているとともに、皆で守り育てる「共有の緑」の意識が薄れているのではないのか。

 次世代に継承できる良質な都市の整備が、私たちの課題である。誇りを持てる都市空間とは、住み・働き・訪れる魅力の向上することと考えられる。風格のある景観を形成するためには、自然と調和した都市景観、自然との触れあい機会の創出が必要だと思う。

 また街路景観に着目すると、豊かな緑による景観形成が具体的に必要であり、それによって地域住民が道への関心が高まれば、地域住民の公共参加意識の向上にもつながると思う。先人たちは、都市空間における自然のあり方をどのように考えていたのか。

(岡村)

 地域開発系のプレゼンに対して、先人達に答えていただきたい。

(平峯)

 石塚さんの指摘のように、私たちがニュータウン問題に気が付いたのは10年程度前。その頃から空き家が増え、高齢化が進み、数ある公園も無駄になってきた。

 千里NTの入居開始は1962年。当初は入居する数が少なかったことから、大阪府企業局の勧めで府職員自らが購入するケースも多く、その頃の層が今は70歳を越えた。その頃に建設された団地はそんなケースが多かったと思う。

 緑のマスタープランが策定されたのが昭和59年。議論となったのは、大阪市が1人当たり3.5uで、京都も同程度だが、なぜ問題にならないのかということ。京都は神社仏閣の緑地が残され良好な環境にあった。

 また、街路樹で緑被率を上げようと当時は頑張ったつもりだが、汚らしい連続植樹をしてしまった。緑は必要だが、どのように担保し確保していくのかが重要。ヨーロッパの都市計画では、街の中心に大規模公園があるのが理念になっている。日本の都市でも、従来とは違った考え方に切り替えていくことは大事なことだと思う。

(岩本)

 大阪市が考え方を踏襲してきたのが緑化。昭和39年に緑化100年宣言をした。100年オーダーで大阪を緑のまちにしていくという宣言で、地形上の制約もあり十分ではないが、例えば車は高速道路を走ってもらい、街路1車線分を緑地帯にすれば一気に変わるし、そうした提案をすべきだと思う。

 南港ポートタウンの土地は、当初はアラビア石油が来るということで埋め立てたエリアで、それが実現しなかったため、人口の受け皿としてまちづくりに転換したという経緯がある。

 ベイエリアに関する指摘はそのとおりだが、南港は物流基地の目的で埋め立て、護岸整備の補助金も船を着岸させるためのものだった。元々人が住むための埋立地でなかったことが、ベイエリア諸問題の元凶だ。計画後10年程度経つと時代背景が変わり、その時には事業も工事も進んでしまっている。パッチワークのような現状から、倉庫や物流施設を集約するなど土地利用計画の変更を提案すべきだと思う。

(村橋)

 ニュータウン関係で2つの指摘があったが、2つともある意味で的確だ。

 1つは新陳代謝のことをあまり考えていなかったと思う。ただ、最先端の良好な住環境のまちをつくるということが当時の憧れだった。夢を抱いたのが千里NTや多摩NTで、それが新市街地のつくり方として定着していった。

 もう1つ、住環境の質のことだが、広い敷地を要求し、それに見合うまちをつくろうとしたことは当時の人たちの強い意向だったと思う。その考え方が今どこに生かされているのかが気になる。

 都心回帰で話題の超高層マンションは、周辺住環境との関係を認識してつくられているのだろうか。時代背景は違っても、単に割り切るのではなく、住環境をどうつくるかの発想を十分に考えるべきではないかと思う。

(松村)

 南港ポートタウンで、ノーカーゾーンを実施したことは英断だったと思う。今の時代に求められている、車に依存しなくとも生活できるまちが昭和40年代に実現されていながら、なぜ変わっていったのかが残念。マネジメントについて、先人達はどのように考えていたのかを聞いてみたい。

(岡村)

 発言内容はすでに将来展望の話題に入ってきたと思う。フォーラム後半になって現役組が盛り返してきたと感じる。私が思うのは、確かに先人達は産業基盤や都市の骨格づくりを必死にやっていただいたし、私たちは現在それを享受している。今後は市民が気持ちよく生きる、社会を豊かにする基盤を考えなければならない。

 その辺りをさらに議論したい。

 フロアからもいろんなコメントが来ている。紹介してみると、先達組には当時当然だったことが今となっては反省すべきこともあるのではないのか。回答の中にぜひ含めてほしい。また、需要追随型から今後は人口減少、高齢化社会を含めてどのように考えていったらよいのか。お前達で考えろと言わず、ヒントを若手組に授けてほしいといったコメントもある。

 忙しすぎて作りっぱなしで、バトンの受け渡しがうまくいってなかったのではないのか。これからの議論では、そのあたりを含めて進めたい。

(村橋)

 新しい仕組みを常に考えるべきだと思う。立体道路制度の先駈けとなった船場センタービルや朝日新聞ビルも、1960年代には否定されていた。万博開催(1970年)に向けてインフラをつくるという目標があり、時間がない。その中で答を出すために先達は、用地買収でなく、権利者をビルに入れ、その上に道路をつくるという仕組みを考え出した。

 自ら工夫し、新しいことを生み出してきたのがこれまでの実績。できるかできないかの議論の前に工夫をすべき。東京に比べてなぜ関西は、国の力とカネを使わないのかと思う。新宿駅南口再開発や渋谷駅前再開発は、負担金はあるものの、国のカネで進められている。御堂筋が国から大阪市に移管されたとして、大阪市の財政状況からみて、あの街並み景観を維持できるのか。もっと国からカネを引き出せるような仕組み、様々な主体が力を出せるような仕掛けを考えるべきだと思う。

(尾花)

 松村さんが「バトンの確認」の指摘があったが、そのとおりだと思う。バブルが崩壊したのが20年前。私は現在43歳だが、本日の先人達の20年前と同じ世代に当たる。先人達は長期ビジョンを描く中で、バブル期当時にその後の社会変動について予測していたのかを聞きたい。

(岩本)

 バブル崩壊以後と現在との根本的な違いは、バブル崩壊以後は内需拡大による景気浮揚策として起債を使えた。今はカネがないから事業を止める。技術者を取り巻く環境は大きく変わった。

 防災面からもまちが強固になったから、土木技術者は空気のような存在で市民が意識しなくなった。より良い生活の質を求める国民の声を大きくすれば、いくらでもやるべきことはある。こうした時代だからこそ都市を魅力的にする時期ではないかと思う。

(平峯)

 私の先輩に教えられたのは、将来への到達点を明確に見据えていれば、少しぶれても構わないということ。

 まちをつくるツールとして都市計画法があるが、最近は意味を分からないまま安易な対応が多いのではないのか。都市計画法そのものを見直してみることをお願いしたいし、あらゆる教育の場で使ってほしい。

(土田)

 自然空間の創出事業であっても、経済的メリットがあるかどうか、狭い道路でも歩車分離さえすれば事故率が減るといった評価に対し、何かアクションをすべきだと感じる。新しいシステムを考え出すことがコンサルタントの課題だが、先人達から何か激励の言葉をいただきたい。

(村橋)

 アメリカでは、都心公園に面する土地の価値は高いと評価され、ニューヨークのセントラルパークに面するマンションは一流とされる。緑環境の価値観があるかどうかだが、日本の都市はまだそこまできていない。緑に関する考え方をもっと提案すべきで、例えば緑を取り巻く環境や住まい方は他より異なることを訴えてみてはどうかと思う。

 マネジメントという考え方はすごく大事なことで、従来は都市をつくる、インフラをつくることを狙ってきたが、育てるという視点から見ると、時間軸が入ってくる。10年、20年、30年を経ると難しい課題を抱えることになるため、時間軸を含めて育てる視点からの計画や事業のあり方にまで目を広げられないかと思う。今まではある断面でモノを見て、それをパッチワークのようにつなげてきたが、じつは根っ子は1つではないのか。そんな見方から提案していけるのではないかと思う。

(星野)

 新宿や渋谷など今の都市開発は、国鉄改革で生まれた旧貨物用地で進められている。梅田北ヤードもそうだが、その形が今後どれだけ続くのか疑問を感じる。

 一方で、伝統ある街並みや文化を大事にしながらまちづくりをしようとする動きもある。前者は大きなカネが必要なため官に頼らなければいけないが、後者の主人公は住民であり、鎌倉では100人程度の人たちがまちづくり協議会を立ち上げ、官に働きかけ、緑空間や歩行者優先道路などを都市マスタープラン制度の活用で進めている。

 大阪でどの程度行われているのか分からないが、緑空間の創造などは土田さん自ら主人公になるような、民が主導し官がサポートするまちづくりが可能ではないかと思う。

(岡村)

 会場から意見などを聞いてみたい。

(会場A)

 今回のフォーラムは非常によい企画で、若手の発言を聞きながら自分も歳をとったのかと感じた。3点程度を発言したい。

(会場B)

 先人達が需要追随型でインフラ整備に邁進したことに対しては同感だ。今振り返ってみると、反省すべきことも多々あると感じた。先輩達と若手達の間に30年程度のギャップがあるため、都市づくりへの姿勢も違ってくる。

 阪神大震災の経験から思うことは、まずは安心・安全に住めるものを確保した上で、付加価値が高いもの、環境に良いものを増やしていくことが重要だと思う。防災面で地震対策が進められてきたが、津波への対応も含めたまちづくりが必要だと思う。

 また、都市部と地方部(郊外)に応じた居住環境というリンク形式の開発を考える必要性がある。現実は別々の事業者がカネの元だけで動いているような気がする。

(会場C)

 震災の経験からマンション住民が安全第一の基準に取り組み始めたら、都市計画を運用してきた行政メンバーが住民の計画提案に対し理解を示さなかった。それは住民側の力のなさもあるとは思うが、住民組織は挫折感から諦めの境地に陥ったことも現実だということを理解してもらいたい。

(岡村)

 今回のフォーラムでは様々なキーワードや課題、提案などが出た。ここで語られた概要をまとめ、機関紙(潮騒)と地域デザイン研究会HPに掲載したいと思う。


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