平峯代表挨拶
 
 今日は、地域デザイン研究会のみならずいろいろな方に呼びかけた。
 当研究会では、年間数回の催し物、見学会などをやっており、その一環でこのフォーラムを開催した。
 このフォーラムを企画するに当たって、女性と外国人をキーに考えた。
 女性は半分いるのだから、女性の考え方が活かされなければ、バランスがとれないと思っている。外国の方というのは、各国の地域の育ってきた文化の違を、それぞれが認識をして、それを尊重し、それを活かしていくことから、日本人のアイデンティティーを見いだしていくということも必要と考えているからだ。
 今回は、女性、それも外国の方ということで、会員のみなさんから紹介された人に、パネラーをお願いしたところ、快く引き受けていただいた。

ラウンド1 ミニパネル

カトリーナ・ルーチェ(アメリカ)

 日本の信号は長い。だから赤で待っているとき、別の用事をしたりする。青になっても気がつかないことがあり、発信が遅れる。そうすると次の車も遅れる。効率悪い。
 イギリスのように、赤→黄→青という風にすれば、発進の準備が出来る。
 日本の交通で、電車は非常にすばらしいと思う。また、バイパスとかハイウエイの標示板は、すごくわかりやすい。ところがその町に着いてから問題が起きる。道路に名前がないからだ。今どこにいるかが分からないし、行き先の方向も分からない。
 是非道路に名前を付けてもらいたい。それが無理な場合でも、せめて、何々町何丁目とか町丁名を表示してほしい。
 イギリスでは、円形交差点という非常に効率が高いやり方をしている。日本は、十字交差点なので、赤のあいだはたとえ交差点に車がいなくても、待たなければならない。これは効率が悪い。
 円形交差点だと信号がないので、車がいなければ、自由に入って、交差点からでる道がいくつでもあり、行きたい道へでられる。車がいれば、その車が優先で、その車が行ってから、自分の車を進める。是非日本でも実施してほしい。

デル・ペッシェ・ラウラ(イタリア)

 私は、日本絵画に興味があって、日本にやってきた。
 東京か京都か迷ったが、関西の京都に来て良かったと思っている。美術品は、東京にもあるが、京都では、お寺に行くだけで、美術品が見られる。
 最初は、京都は外国人を受け入れにくく、住みにくいと思ったが、6年も住むうちに、だんだん京都に愛着を感じるようになった。
 京都は、すばらしい。地理的位置がすばらしい。盆地にまちを造って、山に囲まれて、まちから山が眺められる。住む人にとって、勇気が与えられ、心なごむ。
 古い都を、もっと日本人は、守るべき。日本人は、自分の国の文化、歴史にあまり関心がないのではないか。町家がどんどんつぶれていく。歴史がないところでは生きていけないと思う。日本人はそういう感覚を失いつつあるように思う。歴史をこわしていくのは、犯罪だと思う。

松尾カニタ(タイ)

 7年間東京にいたが、喘息の発作で苦しんでいても、道行く人から、声をかけられたことがなかった。大阪は、違う。声をかけてくれる。

 1,日本は、共働きの家庭のための社会ではないという気がする。タイを含めてアジアの都会では、女性が最先端で男と肩を並べて働くことが出来る。家事や子守はお手伝いさんに頼むとか、夫婦で家事の役割分担をしている。あるいは、職場間で子供を連れていって、育児をしながら働くということもある。

 2,大阪は、人が温かい。隣近所の人と、うれしいことも、悲しいことも分かち合える。残念ながら、その暖かい心が、まちづくりには生かされていない。
 3年前、自治会の班長をやったことがあったが、近所の人の病気で、緊急にO型の血液が必要なことがあった。30分で、5人ほどの血液が集まった。こういう人間味のあるところが、防犯、緊急事態に生かせればどれだけまちが暮らしやすくなるか、つくづく分かった。これが、商売や、外部からやってくるものに対する反対運動に生かされることも多いのは残念。

 3,関西は暖かさのある場所なので、もっと触れあう場所がないかと思う。御堂筋パレードでも、「見せる」と「見る」しかない。見る人との触れあいがない。祭りだからこそ、触れあう必要があると思う。そういう観点から、もっと人との触れあいを増やしてほしい。
 お祭りじゃなくても、若者が楽しむ場所を増やしてもいいと思う。昔タケノココ族というのがあったが、道路を締め切って、若者が集まって、音楽とか、踊りを楽しんだり、芸術作品を発表したり、、社会に対する意見を発表したり、屋台がいっぱい出て、安くておいおいしいものがいっぱい食べられる場所、ああいう場所を、大阪、関西でつくってもらえないかと思う。

 4,大阪は、留学生が一番多く集まるところ。留学生は、その国にとって大きな財産のはず。親しみをもって帰ってもらえば、その国と大きなパイプが出来る。ところが、日本では、学費、カリキュラム、就職等の面で、問題がある。もっと関西が力を入れてほしい。観光にしても、観光ビザをもった人からは、消費税をとらないとか、1日乗車券を発行するとか、来やすいまちにしてほしい。

 5,大阪は何を世界に貢献するのかを考えてほしい。オリンピックを契機として、アジアの国に、施設を建設するとか、オリンピックのPRビデオとか、ビラとか、アジアの人と協力し合って作っていくことが考えられるし、科学的トレーニングをやるとか、環境技術の移転とか。関西が中心となって、アジアに貢献していっほしい。

正木啓子(日本)

 まちが危ないときだと思っている。安全神話が崩れている。大震災の後、神戸の事件とかあって、関西が危険であるということになっている。
 大震災の時には、大国町公園の1本の木が火を止めたということで1本の木に対する思いがあった。しかしその後、神戸の事件があったときには公園の木を全部切ってしまった。見通しを良くしようということで、何も考えずに、軒並み切ってしまった。
 何でこんな極端なことが起こるのだろうと考えた。本で読んだが、男性と女性とでは、脳の構造が違うらしい。女性の脳は、ホルモンの関係で、バランスがいい。男性は、バランスが悪く、あることには秀でるが、バランスが悪い。その秀でるところがやられたら、あとの部分はまるっきしだめ。女性は、平均して50%の能力を持つ脳とすると、どこかがやられたとしても、残りでやっていける。
 結局そういうアンバランスの極端さが出たのではないか。公園が危なければ木を切ったらいいという風に極端に走ってしまった。そのときに、女性の意見というのを入れてもらったら、ほんまに切ってええんやろかと考える。
 危険では、女性が被害者になる場合が多いので、このぐらいだったら、自分は大丈夫だとか、これ以上いったら危ないとかいうのがすごく分かると思う。そういう意味で、まちづくりに女性の意見を入れてもらって、バランスよい町づくりを進めたい。

岩井珠惠(日本)

 私は粗密を付けようという話をしたい。日本の計画的なまちづくりには、空気というか空間というものがないと思う。すべて2次元の平面図でできあがっていて、そこに空気がない。
 反対に、私どもが、いろんなところで、道路の景観デザインをしたり、モニュメントを創ったり、公園のデザインをするのは、まちの中に空気の粗密というか、空気に表情を付けたい、そんな風に思って、いつもデザインをしている。
 そのため、空気を考えない、平面でまちづくりを考える人たちになかなか話が通じにくい。
 1月17日前後、震災復興に関連して、ある作家の方が、「昔の神戸は、いつでも、土曜の午後のような感じ、人間が人間として、個性も多少取り戻し、しかもゆとりの空気が常にあった。ところが震災復興してから、土曜日の午後という空気が全くなくなった。」
 というようなことを書いておられた。
 まさに、神戸へ行くと、いつ行っても土曜日の午後のような空気があった。つまり、まちの空気みたいなもの、それが今の計画的なまちづくりにはないのではないかと思う。
 一斉にまちが潰れてしまって、非常によい最新の計画でまちを復興したけれども、そこには昔持ってたような空気がないまちが出来るのではないか。
 その辺に、今の日本のまちづくりの問題があるのではないか。まちの空気に粗密がないということが、まちをつまらなくしている。
 道路を造っても、ここに道路という空間を作っているという感覚が大切。本当は、この空間を提供しているのであって、何も路面を提供しているのでも、平面線形を提供しているのでもない。やはり、空気や立体を提供しているという感覚がないところに問題があるのではないかと思う。何をしても、モノ作りになってしまって、まちの調子、トーンを創るということがない。それが全国どこへ行っても、お面白くないまちになっているのではないかなという気がする。
 関西が今まで魅力があったのは、千何百年という歴史の中で、いっぱいいろんなところへ密度の違うまちを創って、街角にちょっと荒いところもあれば、うんと濃縮されたところもあったという、いろんな調子があって、空気が調和しながら音を奏でるでるようなところがあったが、それが、リニューアルして、新しいまちになるたびに、なくなっていく。
 土木も空間ということを、考えないといけないのではないか。下から重いものを支えてただ作るというのではない、作った後の空間というかそこをイメージするということがもっと必要なんじゃないかなということを提案させていただきたい。

 


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