パネルディスカッション

自己紹介、まちづくりへの関与

平峯:藤田さんのお話しから、行政のトップは割合まじめに考えている、ということをまずはお分かり頂けたと思う。

 各パネラーの皆様方からは、最初に自己紹介を兼ね、今までのまちづくりへの関与、どのようなことをやっているか、ということを順にお話し頂きたい。

中島:私は、震災で被災したが、それまでは、目に見える財産、例えばマイホームを作る夢だとか、自分の仕事をきちっとやっていくなど、目に見える形の財産を作ることが人生の目的であったが、震災は、私の人生観を一変させた。それは目に見えない財産の素晴らしさを私に教えてくれた。それは、地域コミュニティ、人との繋がり、心の触れ合い等である。この度の震災により物心両面が整ってこそ、初めて人の生活が成り立っている、ということをつくづく感じた。

末岡:「枚方まちづくりネット」は、ネットワークなので、皆が手助けし合って運営している。中には、企業の方や、普通の主婦、大学の関係者、コンサルタントもいる。そういうメンバーが、自分達の能力に応じて参加している。我々は、「主体となり得る住民となり、住民主体のまちづくりを学び、考え、行動する」を目標に、参加意識の発揚の場の設定と交流を心がけている。何よりも人間というのは、交流が一番大事。どんな問題でも対話することによって解決策が見つかると考えている。

久 :大阪大学に務めているが、学者という固定観念にとらわれているつもりはない。色々な現場に入って、住民と一緒にまちづくりとか、計画作りをやっている。なぜ、こういう仕事をし始めたかというと、専門家として都市計画を長い間研究したり、あるいは現場にたずさわる中で、自分の実感とか直感として、おかしいな、と思う部分がある。今までは当たり前のように思ってきたことが、なぜおかしいのか、どうやったら変えていけるのか、ということに対し、感じたままに行動し仕事をしてきたら、それがたまたま今の住民サイドのまちづくりに繋がってきた、ということだと思う。今日は現場サイドの話を、事例としてあげながら、お話ししたい。

國田:富田林というと高校野球のPL学園が有名だが、今日は寺内町をテーマに話したい。20年の歳月をかけて平成9年に、大阪府下で初めて伝統的建造物群保存地区に決定頂いた地区である。その指定までのプロセスは非常に多難であった。今日はそのプロセスについてお話したい。

今中:私は、面的な広がりをもった「まちづくり」の経験はあまり無く、例えば投資信託のような手法を使いながら、施設作りをずっとやってきた。民間の施設を作る際に、公共施設との融合など、もう少し工夫すればもっと良い施設になると思うことも多い。今日は限られた資源の中で、いかにすばらしい官民一体の施設づくりが可能か、ということを皆様と一緒に考えたい。

おかしいと思うことは?

平峯:では、本題に入りたい。皆さんのお話しにもあったように、固定観念というか、事業を進めていく、あるいはまちづくりに参加していく時に、おかしいな、とか、どうも納得できない、という点が所々にあるのではないか。この点をまた順番でお願いしたい。

中島:震災復興という中で、固定観念と言われても、地震までは地域コミュニティや自治会活動にも参加しておらず、行政との付き合いもなかったので、固定観念それ自体が無かった。震災後の混乱の中では、国の施策と末端の状況が全く合っていなかった。例をあげればきりがないが、ここがおかしい、あそこがおかしと、細かい話を言い出すと、国・県・市も、全部おかしい。その中で、我々市民の果たす役割もはっきりしたのではないか。大切なのは問題を前向きに捉えること。おかしいところに気がつけばそれを補完する市民活動が必要。おかしいからといってそこで止まっていてはだめ。次々に補完して動かなくてはいけない。そうすると、時間がないので無駄なことは一切やりたくない。議員や行政にも「できることと、できないことをはっきりさせよ」と言った。出来ない相談はやりたくない。理想論ではなく、今ある制度で何ができるかを見極めたい。そういう点は、平時の際のゆっくりとしたまちづくりと全く違ったのではないか。そうした状況の中で何かをやらなければならなかった。先ほど末岡さんもおっしゃたことだが、対立からは何も生まれない、ということがはっきりした。お互いの立場を理解して話し合うことが第一歩である、ということをつくづく実感した。

末岡:おかしいと思うところはたくさんある。例えば、それぞれに事情の異なる小学校の保健室への一律なクーラー設置や、広域下水処理場の設置問題など、一体、誰の価値観で施策が決まっていくのか、そういう所に興味を持ち、色々と探っていきたい、知りたい、というところから活動が始まった。
つまり、どこかで誰かが同意して、ものごとが決まり、できていくことになると思うが、私達のネットの最大の関心事も「合意形成のプロセス」にある。この合意形成というのは、一体誰と誰の間のものなのか。市民、住民もその辺を少し誤解しているのではないか。住民対行政の合意形成といわれるが、実は合意形成が必要なのは、市民と市民の間ではないかと思う。なぜなら、行政は反対側の立場にいる市民を代弁しているに過ぎないのではないか。利害の異なる法人をも含む市民が、それぞれに行政に対し要求なり不満なりを言って、何かが出来上がる、という事が実際にはあると思う。合意形成の相手は、実は市民対市民だということを理解した上で立場が異なった市民の間で最善の策は無理だとしても次善の策を探っていく、という姿勢がこれからは必要だと思う。そうした点からも合意形成のプロセスにおける住民参加、市民参加の重要性というものが一層認識されてくる。

 枚方市の都市計画マスタープランの決定の際も、我々は深く関わらせて頂いたが、この時も市の職員は、一緒に都市の未来を考えよう、という気持ちを待っていてくれた。だが、中々思い通りには進められなかった。市民の側は色々な要望、要求を出し、計画が、今後どのような形で発展していくのか、柔軟な対応をしてほしい、と思いながらも、担当課だけでは要望・要求を抱えきれない。であれば市長なら答えられるのではないか、ということで、市長にFAXを送ったところ直接返事を頂いた。一市民のFAXにもちゃんと答えてくれたことから、多分固定観念を蹴飛ばしたような市長さんだと思う。こういうところからも少しずつ何かが変わっていくのではないか。

 加えていうと、行政内部でもなかなか職員の意識転換がしにくいのではないか。市民参加、市民主体のまちづくりといっても、とても手間がかかる。うまく住民に説明する自信が無い職員もいれば、下手をすると住民から罵詈雑言を受けることもある。では、どうすれば良いのか、と考えると、行政の動機づけには、市民からの評価が不可欠だと思う。つまり、市民は行政の良い所をもっと意識的に誉めなくてはいけない。不満とか、おかしいと思うこともあるけど、良い部分もある。良い部分を引き出していけば、きっと良くなる。

久 :20地区位の住民主体のまちづくりをお手伝いしているが、おかしなことはいっぱいある。例えば、生野地区の住宅地区改良事業の仮移転住宅の問題。何が問題かと言うと、現在長屋の上下階に老夫婦と若夫婦の親子2世帯で暮らしている家族で子供がいない場合、公営住宅法では、仮移転住宅が2世帯分用意できない。こういう現実に合わないおかしなことがいっぱいある。つまり、一人一人の顔を見た対応ができていない。杓子定規なルールを適用しなければならないようになっている。顔が見える関係であれば、それぞれの世帯、それぞれの街に対応した、まちづくり、あるいは対処ができるはず。それは住民同士でもあるし、住民と行政の関係もそうである。そういう顔の見える関係が、日本の街に無いことが問題。そのためには、社会全体のシステムを変える、あるいは地域のコミュニティのあり方についてもう一度捉え直さねばならない。

 これとは別に、非常にやっかいだと思う問題がある。いわゆる地域の顔が見える、という関係を断ち切ってしまう大きな力が今、世の中にあるということ。それは、グローバル経済という世界で動いている社会、経済の仕組み。これが地域の中の関係を絶縁化しているのではないか。世界を相手にしている企業の論理が、地域のまちづくりの論理と合わないと感じる部分がたくさんある。地域と経済、あるいは地域と企業の関係をもう一度、どのように組み替え直していくか、ということを考えるべき。これは企業だけの問題ではなく、実は市民一人一人が、グローバル経済の手助けをしたり、それに動かされている部分もある。市民一人一人が注意をしないと、大きな動きの中に飲み込まれしまう。

 もう1つ、おかしいと思うことは、住民主体のまちづくりについて、行政の方と話すと、「うちの市は、仕組みが無いからできない、市民が応援してくれないからできない」という話しを聞く。それで諦めてしまっては駄目。その中で自分に何ができるかということ。最初から土も耕さずに、状況だけで諦めてしまったら何も動かない。これもおかしいと思うことだが、「住民に呼びかける仕組みが庁内に作れない、あるいは、誰に呼びかけたらいいのかわからない」、そういう言い方をされる時もある。しかし、これもおかしい。仕事の中で、住民を引き寄せることは、今の仕組みではできなくとも5時以降、1人の個人として、住民組織にメンバーとして入ることは簡単なはず。その中で市民と仲良くなって、仕事の中で生かせる機会が来たら、その関係を仕事の中に持ち込んでくればいい。どうも行政の方は市役所という建物の中にいて、「できないんだ」と言うが、そうではなく、自分の足で出かけていって、市民のところに入っていけば良いと思う。

國田:寺内町のまちづくりは、学者や専門家の先生方から、一級品の折り紙、良い街である、残すべきである、というお墨付きを頂いていた。しかし、実際に住民の中に入って伝建地区の指定をしていこうとした時、その折り紙があっても、住民の方は、「何を言うてまんねん」という感じであった。そこで、行政も色々な形で、枠組を作り、住民の方にも入っていった。そういうことを続けながらも、住民側はまだ、「ほんまかいな」という状態が続いた。その中で、最終的には「ほんまでんな」となるようにしていかなければならなかった。そのためには、やはり、住民自らが行動を起こさないといけない。つまり、まちづくりには、それだけの時間がかかるということを実感した。

 寺内町は、今から450年位前の室町時代にできたもので、その歴史は富田林の歴史という位、市の誇りの原点でもある。その後、近世の発展をへ、今日の町並みの保存につながる。その間、この区域に、昭和33年、東西南北に幅員20mの都市計画道路を決定した。今から考えれば、そういうところに都市計画道路を計画決定することは考えられない。ところが当時は、高度経済成長の時代であり、計画決定したわけである。ところが50年代になり、色々な形で文化財保護法が改善されたり、まちなみの保存も言われるようになった。そうした時代の変化の中で、寺内町も大きな転換期を迎えた。その端緒は、昭和58年に寺内町を代表する杉山家住宅が売りに出され、取り壊しの上、マンションが建つという話が出たこと。その時、それを潰すのか、それとも買い取って保存するのか、という選択を迫られた。そして買い取ったことから、この大掛かりなまちづくりが進むこととなった。その後も解体修理、一般公開、重要文化財の指定など、様々なことをした。一方、杉山家住宅だけ建っていても残りの家がどんどん潰されたら、全体の町並み保存ができない、ということで、昭和62年の4月に、外観の修景・補修等の助成制度を設けた。これは市の単独費でスタートした。

 この時にいち早く対応したことによって、町並み保存が次々と出来てきた。少しずつ町並みが出来ていく中で、住民の方も良さを認識され、いろんなイベントもおこってきた。それらが受賞もした。これらが1つ1つの要素として、非常に住民を奮い立たせたという経緯がある。そして、「寺内町をまもり・そだてる会」というのができ、今度は住民の方が、都市計画道路をはずすことに対し、大変盛り上がってきた。その際、伝統的建造物群保存地区の決定と都市計画道路の変更をしなければならなくなったが、計画変更は簡単にいくものじゃなく、都市計画道路を廃して、伝建地区をかぶせるのに、結果的に7、8年を要した。また、保存型の伝建地区ということで、映画のセットを残すわけではなく、住んでもらわなくてはいけない。住みやすく、なおかつ残していくということを含め、多大な時間を要することとなった。

今中:まちづくりにおける、おかしな部分を言わせて頂く前に、その背景にある私なりの考え方を整理しておきたい。一つは、まちづくりに向けられる税金・資金を、今後は従来のようにつぎ込むことができない、ということ。2つめは、今後の人口減や、住宅数が世帯数を上回っている現状からみても、居住地選択の広がりなど、都市間競合が激しくなり、良いまちづくりを続けていかないとその都市は衰退してしまう、ということ。基本的には、行政が積極的に取り組むべき課題ではあるが、住民も自分の資産が目減りしてしまうということで放ってはおけない問題である。そのような状況から、良いものを、限られた投資で作っていかなければならず、官と民(民間企業および周辺居住者)はそれぞれ、自分の持っているものを持ちより、その地域で一番ベストなものを作っていく、との認識で、まちづくりを進めていく必要があるのではないか。

 例えば、私が気に入っている所でいうと江坂のカーニバルプラザ。ここは工場跡地だが、贅沢なつくりで、真中に庭園があって、テニスの練習場もある。これは一民間企業の経営だが、中々レベルが高い。民間企業でそうした施設づくりをしようにも、一般的にはなかなかできない。敷地一杯、容積率一杯に施設をつくりがちで、それでは中々、良いまちづくりができない。そういう視点で都市内を見てみると例えば公園がある。公園は、たいがい周りを道路で囲まれているが、そうではなく、隣接宅地と一体的に使えるようなシステムが作り出せないものか。公園の垣根を無くし、民間施設と一体的に整備する。また、作ったものを管理する、という側面からみれば、全てを始めから作ってしまうのではなく、管理コストの低減もあわせ、花卉は周辺住民が持ち込み育てるなど、地域に解放して、地域の住民が管理するような、官民がお互いの資産、資金、知恵、労力を提供しあうシステムがこれからのまちづくりには必要ではないか。

官民のルールは?

平峯:「おかしいところ」ということで、お話し頂いたが、制度の問題など色々と出てきた。例えば中島さんは、復興のスピードにあわせ、可能なことをやってきた、結果的に、官民が対立していては、まちづくりは、なにも成果が出ない、というお話しだった。その通りだと思う。結果的にやってきたことがOKであれば、1つのルールとして、作り上げていけばいいのではないか。

中島:例えば松本地区では無電柱化の話があった。元来、住宅地域に無電柱化の制度はなかったが、これは、美化・景観の問題だけでなく、防災のためだということで、2ヶ月に一度は建設省と掛け合い、最近ようやく制度化までこぎつけた。ところが、その間、一方では住民から、電柱を建てるのなら私の家以外のところに建てて欲しい、と個々の要求がだされる。合意形成とはいうが、100人の人間がいたら、100人が絶対一緒にはならない。問題は、誰が責任とるのかということ。自分は協議会の会長としての責任がある。反対をするなら代案を持ってこい、ということになる。これは中島流かもしれないが、結果的に制度の拡充までもっていった。住民が得をするよう行政から予算を引き出すために、知恵を働かせること。せせらぎ構想についても15億円の予算をかちとった。こうした1つずつの積み上げをしていくことが大切。

広域の都市計画を住民の視点から見れば?

平峯:それでは少し、制度の話にいきたい。久先生が、例えば公営住宅法は、色々問題がある、とおっしゃった。これを行政にもっていっても、ルールが違うから、と蹴られる。このルールの問題、いわゆる法律的な制度の問題については、あまり議論してもしょうがないのではないか。それをおかしいと思ったら、行動を起こし、変えるための運動をどうするか、ということしか方法はないのではないか。
その場合、全体のルールを変える為にやらなければいけないこと、間接民主主義の問題とか、選挙で選ばれる市長・府知事といった政治家の役割は極めて大きい。その辺を単に行政対民という構図に置きかえるのは、ちょっとしんどい部分も行政の方は持っていると思う。

 また、まちづくりには、1つは、地域の皆さんが住んでいる地区の様々な問題を取り扱う時のルールとその解決法としての部分、それともう1つは、例えば高速道路や幹線道路といった広域道路、流域下水道など広域的にものを扱う部分がある。それぞれの決定過程で、必要なことは必ず違うと思う。今まではこれらを違う範疇だということで、話を進めてきたが、都市基盤を作るということは、全体の絵を画いて、それを推進することになる。たとえば高速道路も一旦決めれば止めるわけにはいかない。こういうものに対して、住民はどう考えるのか、というのを少しお聞きしたい。例えば、神戸では震災後の森南の17m道路。枚方では第2名神とか。

中島:森南は特殊事情もある。震災後の17m道路問題以前から、サティができて違法駐車が増えたこと、山手幹線が芦屋で切れるため山手幹線から2号線へ降りる通過交通の問題、さらに新駅設置問題など、行政に対応を求めていた。そういう事情が以前からあったが、問題は公共の福利と住民のエゴをどのように調整するかということ。公共の福利といっても、建設省にとっては通過交通の処理、一方の住民にとっての公共の福利とは生活空間そのもの。地域コミュニティをいかすこと。こういう点から自ずと利害が対立してしまう。我々であれば、事業を受け入れるかわりに交換条件を出す。事業を絶対に受付ないと言っている地域に住んでいる人も車には乗る。そして渋滞すれば文句を言う。結局、住民の合意形成の過程でいかなる理屈を持ち込んでも、反対する住民は絶対にいる。松本地区でも、20年前に土地区画整理事業の提案があったが当時の住民が断った。今になって区画整理をやっているわけだが、当時反対していた人が、何であの時やらなかったんだ、ということを言う。やはり行政担当者は、信念を持って、絶対にいいんだ、と思ったことは頑として実行すべき。行政がふらつくと住民までふらついてしまう。

末岡:都市レベルのまちづくりというのは、少し私には大きすぎるが、今財政が厳しい折だからこそ、計画が大事だと思う。事業化時点でもめるのも、計画がしっかりなされていない場合が多いと聞いている。計画時点で充分検討することが結果として事業全体の期間短縮にもつながる、ということを「まちづくりネット」のアドバイザーからも聞いた。枚方でも200億かかるという総合文化会館が先送りにされている。枚方にそういうものが本当に必要かどうか、その点を枚方市民がもう一度考え直さないといけないと思う。作ったとしても維持・管理・運営コストに年間9憶円かかるものを誰が管理・維持していくのか。枚方市は、社会教育が有名だが、それも地域の公民館活動を中心として、地域の中で広がってきた。それが9億円も維持管理費がかかるようなものを作ったことによって、何らかの影響がでるかもしれない。私達にとって本当に必要な文化発信基地とはなにか、についてもう1度見直してみる必要がある。それに、そこの維持・管理・運営も行政にばかり任せる必要はない。住民も運営に携われれば良い。そうすれば、市民はもっと元気が出るのではないか。

平峯:もう少し突っ込んで聞きたい部分もあるが、今の2点位で。あと他にも何か御意見があれば。

久 :主旨は、中島さんと同じだが、論理のすりかえが起きると困るので1つ訂正をしておきたい。というのも広域の話しは行政が、地域の話しは住民が、という構造そのものを疑ってみるべきではないか。中島さんのお話の通り、道路を使う人もかなりの部分は市民であり、そうした広域的に移動する市民の側に立っているのが行政であり、その立場と地域の中で静かに暮らしている市民の論理がぶつかっているわけで、必ずしも行政と住民がぶつかっているのではない。その辺を、きちっと整理していけば、別の展開が出てくるかもしれない。そういう意味で、私自身、住民のまちづくりに入っていっても、必ずしも住民の立場に立って、住民が喜ぶことを言っているわけではない。住民にきついことを言うし、行政にもきついことを言う。それぞれが、立場を明確にしたうえで発言をし、それに対して、皆で話し合って、別の答えが出せるのかどうかというところが非常に大切だと思う。

 もう1点。先日イギリスのリスボンドに行ってきた。リスボンドは、ヒースローの空港を抱えた区で、新たに第4ターミナルを作ろうという計画が国から出されている。それに対する公聴会が、4年もの間繰り返されており、まだ答えは出ていない。建設に区は反対で、住民も大部分は反対している。そのような議論を、住民、区、国それぞれが、皆対等な立場で議論をしている。この対等という関係性が日本ではまだまだだと思う。立場立場というが、その立場は何を背負っているのかということを、はっきりさせないといけない。

國田:伝建地区の指定と決定済みの都市レベルの都市計画道路(幅員も20mある)の変更については、保存型と開発型という正反対のことを行うわけで、ものすごく手続き的に時間がかかった。伝建地区にしようと思ったら、どうしても区域内の計画道路を廃止しなくてはならない。ところが、前の都市計画が正しければ、今度の伝建地区の都市計画も正しい、という次元の話になる。変更案をつくろうにも駅から600m位の距離の中に、駅前の商店街があり、寺内町があり、石川があるわけで、それがひしめきあっており身動きできない。そこで道路を変更することは、非常に時間がかかる。たまたま住民の理解、色々な形でのバックアップがありここまで来れた。この点について、藤田幹事長からも話が聞けたらと思う。

平峯:行政の中の話は、対立するときもあるし、うまくいくときもある。時代時代によって違ってくる。あの伝建地区は、非常に文化的価値の高いものであるので、都市計画道路を消してもかまわないという意見を私も持っていたし、そのような意見はいっぱいあった。そのやりとりが、本当にどこまできちんと出来たのかということで反省しなければいけないぐらいの話だと思っている。

藤田:都市計画道路が、特に伝建地区とかをぶった切っている場合の考え方だが、都市計画道路の原理原則は絶対に変えられないものだ、という固定観念が既にあって、それを金科玉条のように守っているところもあり、一度決めた事をまもるのは大切なことだが、どんな状況でもそれを全て守らなければいけないのかどうか。もう一辺原点に返れば、どちらに価値があるのか、違うかたちで決めれば、両方とも満足できる形もあるわけで、私はそういう選択をすべきだと思う。

初動期まちづくりと事業まちづくり

平峯:広域的な事柄と地域固有の問題の対立という構図は、今でも相当出てきている。それを早急に結論づけるのは難しいことだと思う。

 今の中島さんがおっしゃった、実際に評価をするということをきちんとやれということもわかる。

 計画論として、事業になったときにどうなのかということと、最初の計画時点で都市をどう考えていくのか、ということに対し、久先生は、初動期のまちづくりと、事業まちづくりの、2つに分けられるとおっしゃた。確かにその通りだが、果たして上手く機能するかどうか、それは理想論ではないか、という気もする。その辺のコメントを頂きたい。

久 :理想論ではないか、という根拠をお聞きしたい。もう少し詳しく。

平峯:元々計画論というのは、計画当初から最後の事業実施までを含む全てのことだと思う。そのシステム自身が、不十分であるという意味ならばわかる。そこで事業のまちづくりというのが、今までは先行した為に、その過程で合意形成ができていない、ということになると、それは様々ケースがあり、必ずしも一概に言えないのではないかと思う。

久 :多分、それはある意味で誤解なのではないか思う。私自身は、まちづくりに当たって、最終的にどういう絵を描いて、どういう事業を使って、どうしたいか、というものを1つだけではなく、たくさん持っている。その中で、住民と話し合い、ある程度のところまでいったら、これはこういうことですか、あるいは、これはこうではないですか、ということをきき、その場でふさわしい計画論を住民に提示していく。中途半端に入っていって、住民さんとワイワイ言いながら作り上げていくというのではなしに、一専門家として、しっかりしたスタンスを持ち、事業の事も十分知っていないと当然太刀打ちできない。行政側に文句をいう時も同じ。理想論だけではできない。計画論や事業論を持ち出したとき、最終的にどうなるか、という話まできちっと分かっていることが重要。学者やまちづくりを応援している人の中にはその点が不十分な人もいる。そういうことで言えば平峯さんがおっしゃった話と、私が言っている話は矛盾しないのではないか。

住民から見た専門家、行政

平峯:まちづくりの中では、プロと称している人達が、実はある一定の範囲内のことを考えたのみで、その組み合わせだけを話しているということもある。そういう意味では、固定観念やそういったものに、少しとらわれ過ぎている部分も確かにある。
 身近なまちづくりを行う時に、住民の皆さん方は、プロや行政に対してどのように太刀打ちしたり、あるいは、どういう風に考えれば、実現できるのか、について。

中島:今までの私達が聞いていたまちづくりは、先行した地域の事例を元にしてそれを勉強して、自分の地域に持ち込んでくるというやり方。大きな意味で都市計画という話になると基本は拡大路線であった。しかし、私達が描く方向というものは、自分の地域をとことん見つめていくこと。老人が多い、土地が狭い、高低さがある、など。自分の地域をずっと見詰め直して、どういう住環境・道路環境が必要なのか、公園はどうか。そういうことを追求してきた。大学の先生やコンサルタントにも聞いたが、彼らは、我々の理屈を聞き、地域にとって一番何が必要か、という住民の意見を汲み上げ助言してくれたけれど、変な自分の理屈を押しつけてくるような大学の研究者であるとか、コンサルタントという方は一人もいなかった。我々の考えた発想、着想、例えばC・D・C神戸を作る、「24時間安全システム」をやる、せせらぎを通す、北野天満宮からいただいた梅の苗木を用いて、地元の特産品を作る、というような地元からでてきた企画立案に対し援助してくれた。足を引っ張るのは、マスコミ位。我々が公民一体路線を取っていたので、行政に反発するような先生は、別の地域に行って、みんな潰れて消えていった。

 我々にとって一番大事だったことは、やはり自分の地域をぐっと見詰め直して、地域で循環をしていくこと。拡大再生ではなくリサイクル。地域の中で、住民がいかに定着して、豊かな住環境を自由に選択できるような、そういうまちづくりをしていく、ということである。

末岡:枚方のまちづくりネットは、市民主体の養父元町公園ワークショップに深く関わったが、トイレの問題というのが、最後まで合意形成にいたらなかった。ワークショップで、「合意できなかっ」たという結論が出た。そのことに関して、地域でもめた。

 今までであれば、従来型の地域社会のヒエラルキーとして自治会長や地域の有力者が、まちの仕組みをつくったり、地元要望として、市の上層部にねじ込めば、それで通るという形が出来ていた。でも、私達は、結論が出せなくとも5回にわたり実施したワークショップの協議経過、その意義をしっかりと受け止めていたし、市長もその意味をしっかりと受け止めてくれていた。

 なによりも公園課の職員がものすごくがんばった。地元の有力者が何回ねじ込みに行こうが、上司がぐらぐらになって、「もう簡単じゃないか。作っちゃえばいいんだ。」と言って、予算までついたけれども、「周辺にお住まいの方まで含めて、地元で合意形成が出来たらトイレを作ろう。」という点で合意できたんだということを押し通して。

 そして、市長に28日に会ってきた。「市長は市民参加ということをどう考えてるのですか? 養父元町公園のトイレはどうなるのですか? 職員の方に聞いたらどうも怪しいよと言うんですが。」と聞いたのに対し、市長は

「僕は、市民参加のワークショップ方式で一つのことをやり始めたからには、当然尊重する。圧力に負けたりはしない。今は、いったん予算を落としても、地元で合意が出来た時に、トイレを作る。」と約束してくれた。本当はこの4月選挙だから落ちたらただの人だけれど(笑)

 地域のことは、地域の住民が考えて、今までの権力者みたいな人に任せずに、自分たちの手でかかわって作って行かなくちゃいけないと思う。そう言う風にこの地域は変わっていくと思う。

平峯:今中さん、今の話の中で、アドバイザとか、専門家とかの重要性と、それを本当に熱意を持ってやるということは、いろんなまちづくりに役立つということだけれど、今中さんの立場としては、そこまで真剣に頑張っていただけるか、あるいは、企業論理で問題があるのか、どうか。

今中:まちづくりにかかわっていけるかということだけれど、企業としては、地元の合意形成をまとめていけることまでなかなか入りづらいということが、今の金融機関の立場である。金融機関の批判もこのごろ多くて、小さくならざるを得ない面もある。やっぱり公共性を問われることも多くて、あまり一方に組みするということはなかなか出来ない。

 もう一つ、これは立場を離れて考えると、再開発というのは、若い方々が深夜までコンサルタントという立場から頑張っておられるが、日本の世の中が、そういう手間のかかる仕事を許さなくなっているのではないか。

 効率化、効率化ということで、企業の生産性を上げるためにはもっと、簡単に利益を上げる方法を考えなさいというような、風潮が強くなってきている。手間をかけて、まちを造っていくというようなことに、民間企業は、今の状況では、なかなか出来なくて残念な側面がある。

平峯:その前に企業というのは、本来まちに社会的役目をもっているのに、長い目で見たら、当然そこまでいかないといけないのに、そういう論理が出てくるということか。

今中:そういう開発をお手伝いするという立場からすれば、そうなるということで、一方では、たとえばこれからの企業のあり方、あるいは企業の存続をマーケットという面から見られている。現に株式市場で、たとえば、大手銀行が代表だといわれているが、マーケットの力が強くなってきている。まちづくりでは、マーケットを果たすのは住民の方であるとしたら、住民の方がノーという開発は民間企業もできない。たとえば、地域に調和しないようなマンションを建てたとしても、みんな買わないとか、いう風なことにしていけば、民間企業もそういうマーケットというか、住民の考えを尊重してやって行かざるを得ないようなことになっていくと思う。そういうことに、民間も敏感に反応しなければならない時代になってきたと思う。

平峯:一通りお話を伺ったが、みなさん方に質問用紙をお配りしていると思う。なにか、ご質問があれば、それも話題にしながら、もう少しディスカッションを進めていきたいと思う。

住民合意の比率

平峯:早見さんから、中島さん、末岡さん、藤田さん、国田さん各氏へ「住民の合意といっても100%合意は難しいと思うのですが、比率をどの程度で判断されるか、“8:2”“7:3”“6:4”“その他”」ということで、質問が来ている。要するに100%ということは絶対にあり得ない。先ほどの話で、「何人かいる」ということもあり、この辺を多分お聞きになっていると思うが、どうか。

中島:私は、平成の時代の合意形成というのは、全員が合意しているということを確認する作業は必要ないと思う。要するに白黒はっきりつけて、住民間に確執を残すやり方は、誤っていると思う。アンケート投票するとか、100%反対とか、100%賛成とか、そうではなくて、「まあええか」というような雰囲気をつくる。確執を残さない。

 それと、とことん反対者を追い込めることは絶対に良くない。なんぼぐらい応じてもらえばこれで合意形成できたと、自分が安心するという、その考え方が自分自身に自信がない。自分の考えに確信がないから、みなさんに同意を求めて、数字に出そうとする。これは行政マンの発想です。裁判になったらどうなるかとか。

 そうではなくて、平成の時代の合意形成というのは、はっきりと反対であると態度を表明して、対案を出す人がその地域にどれだけいるかと、それが健全化してくるかと、政治的に力を持ち、財政的にも力を持つか。それ以外に出ないときには、もう何やってもいい。そのかわり、反対者がいるんだということを、念頭に置いて、強引に手続きを進めていくのは良くないが、そういう意味で、パーセントなんて関係ない。

末岡:私は、たとえば公園一つとっても、その中でテーマによって違ってくると思う。公園の施設、遊具であれば、これは多数決でいい。でもそれがトイレとなると、利用者側からするとあるに越したことはない、多数決をとったなら、完全に利用者の方が多いので通ってしまう。でもトイレの場合は、近隣住民の不安の方が大きくなってくるので、それをどうやって取り除くかというみんなで考えていくという中で、みんなで手助けできるよと、そんな状況が公園を中心として作り出せるよとなったとき、納得できていくと思う。それに時間をかければいいことで、そういうテーマがあるということが、公園づくりからまちづくりへと進めるいい問題点となるから、合意形成という場合に、ばしっと切っちゃうんではなしに、このテーマは何のために争っているんだろうということを考えて、答えだしていかないといけないと思う。

久 :私も、中島さんお話とほとんど一緒だ。やっぱり現場で仕事していたら一緒だなと思う。私は学者の立場として、中島さんと私は現場でいて、私の立場ではもう少し理屈っぽくすること、一般論につながるようにすることだと思う。そのあたりをさせてもらうと、やはり、先ほどから私が提起する初動期まちづくりと事業まちづくりを混同しないこと、きちっと仕訳をして整理をする事だろうと思う。別の言い方をすると、事業というのは、なにをするかというプログラムの話、今まではそこばかり気になっている。そうではなくて、大切なのは何が必要かとか何でだろうかとか、なぜ都市まちづくりをするのだろうかというポリシーの部分、これをきちんと整理すれば、もう少しわかりやすくなってくるのではないか。つまり、初動期まちづくりで合意をしないといけないのは、何が必要なのだろうか、何のためにそういうことがいるのかというレベルのことを合意すればいいわけだ。そして事業まちづくりの時に何をするかという話があったらいいわけだ。この2つの合意は全く違う。そしてそのためにはどうしたらいいかという私がいくつかの計画づくりをして、だいたい同じだなと思う。

 第一段階は言い合うことだ。ここで調整しない。何回も何回も言い合うこと。だいたいここで調整をしようとするから失敗する。2回ぐらいは言い合いをさせておく。

 言い合いばかりでは仕方がないので、第二段階は、その言い合った内容をもう少しきちんと整理をし、構造を見つけてみましょうということ。矛盾してたら矛盾してたでいいではないか、でもどの意見とどの意見が矛盾しているのか、あるいはどのレベルで矛盾しているのかということをまず構造をきちんと把握をしていく、それをみんなが共有していくということだろうと思う。

 そして3番目の話は、その矛盾していくような構造の中から、実は根底は一緒かもしれないという部分がある。事業手法論ではもめているけれども、気持ちは一緒だなという話のレベルになるので、その共有できる部分を見つけていくという話。

 そしてそのことが見つかれば、それを柱にしながら第四段階では、もう一度どうすればみんながもめているところが、調整できるのかということの課題を解決する方法をみんなで知恵を絞りあうということ。そして最後にまとめられる部分だけでもいいからきちんとまとめておこうというプロセス。そしてそれがまとまった次に事業をしていく。これこれが必要だ、こういうことが大切ではないか、それをどういう形で実現していくかということを議論をすればいい。そこは簡単にはまとまらない。しかし、根底で共有している部分があるから、今までのようなもめかたとは違うもめかたになっていくだろう。私、五段階と言った。2回ずつやっても最低10回かかる。で先ほどの末岡さんお話ではないが、5回のワークショップでは多分無理だと思う。最低10回だ。10回繰り返して行かないと、初動期まちづくりのレベルでさえまとまらないと思う。

國田:特に行政の立場から言うと、合意形成の率というのは、都市計画決定するときも言われることだが、率にこだわるという意味ではないが、やはり率的な問題を非常に重要視する。ただ、その時に今も久先生の方からもお話があったが、どのへんまでの公平性、そういう話し合い、あるいはワークショップ含めてされているかということに最終的にはつきていくのかなと思う。伝建地区の時を例にあげると、やはりはじめは全く確率が悪い。ところが、最終にそれだけの時間をかけて、いろいろ資料も提供して議論した中では97〜8%まで行く。だから、率というのは無視できない。

協議会、ネットワークの目標達成後は?

平峯:ありがとうございました。要するに合意形成までいろんなプロセスの問題として非常に重要なお話だったのだが、これはまだまだ議論が必要だと思う。

 中島さんと、末岡さんにということで、「協議会あるいはネットワークの活動は一定の目標が達成されると、その後はどのような活動をされるのか、同じ様な団体と連携して活動を大きくすることもあるんですか」という質問がきている。

中島:松本地区のまちづくり協議会には松本地区の土地区画整理事業を行うためにできあがった組織。従来は「川池地区ふれあいまちづくり協議会」の中に各地域に自治会があって、それが住民組織となっていた。今後、土地区画整理事業が終了した段階で松本地区まちづくり協議会の解散をして、従来のまちにもどる。ただ、今回のまちづくり協議会の活動が大変良かったという住民の思いがあって、この8.9haというのは、神戸市の事業計画決定によって新たにその地域に持ち込まれた地域概念であるが、その1つの地域が1つとなって、川池自治会という自治会を結成する事にしている。今年の5月にそれが正式に発足する予定。現在は既に小委員会レベルで統一規約を承認して、今後出来上がっていく(区画整理やっているので温度差がある)自治会ごとに、それぞれブロックとして立ち上がっていく。

 もう1つは、自治会活動、協議会活動では、活動に限界があったことを踏まえて、もう少し経済的に収益事業を行えるような団体がほしいということから、これは地区内外の有志39名の出資によってCommunity Development Corporation「C.D.C神戸」とういう有限会社をつくって(わずか315万円でひっぱたかれているが)、地域内の収益費に関することについては、C.D.C神戸がやる。それから住民自治という話になってくると、自治会が動く。このようなスタンス。

末岡:私達は参加意識の発揚の場の設定と交流というような目標があるので、これはなかなか達成されることはないと思う。最大の参加意識というのは、やはり政治参加ではないかと思っている。だから、そちらの方向の意識改革みたいなことも出来たらいいなと思っているが、もう1つは地域の中で本当に自分たちのまち、自分達の暮らしの場を自分達のものだという意識を持って関わっていこうという人達を増やしていきたい。その場合に私は花園町に住んでまるが、そこのことはできるけれど、他の地域、今回の場合の養父元町にしてみればよそ者にしか過ぎない。だから、その地域での決断方法というのか、物事が決まっていくような道筋に関しては、本当に関与することはできない。それはもう地元の人にしかできないこと。だから、その地域でキーパーソンを探し出して、その人達とつながっていく、お互いに援助できることを援助しあっていくということが、私たちの活動の重要なポイントになる。

基調講演について、キーパーソンについて

平峯:その他、2つご質問があって、1つは本間先生の講演会の感想を一言ずつというのと、いま少し末岡さんから出た、キーパーソンというお話があったが、要するに個人個人は非常に何かするのに大切だけれども、特にまちづくりであるキーパーソンというのが必要である。そのキーパーソンを育てるために必要なことというのは、どういうことを考えたらいいのか。今のキーパーソンの話と本間先生の講演会の感想というのを、1分ずつ程度でお願いする。

今中:本間先生の話について、このコミュニティ論というのは、私は学校では建築を習っていた昭和46年から50年にかけて大学ではこういう話を耳にした。世の中はやはりまだ高度経済成長の延長線上で、とてもこんな議論は出来なかった。

 最近感じるのは、やはりコミュニティの強さ、自分達がまちづくりに関わることが、実際に自分達の生活を(資産も含めて)守っていく、自分達がまちづくりに発言しないと、行政側のみに頼っていてはいけないんだと、そんな感じを受けている。

國田:私は特に本間先生のお話を聞かしていただいて感じるのだが、確かに縦割り行政というのは、今回伝建地区の決定の当初の問題、縦割りの弊害がものすごく出ている。だから、学者の方とかあるいは専門家の方からいろんな提案があったとしても行政はやはり縦割りの弊害でバックする。大変なロスタイム。そのへんでは先生が言われた通り総合的に説得しなければならないし、それだけの説得するだけの材料を勉強していなければならない。縦割り行政を解消していくということが一番課題ではないかと考える。

久 :本間先生のお話はだいたいいつも考えていることと一緒なのだが、最後に1点だけ違うなと思ったことがある。高齢者ががんばろうということだけれど、私のまちづくりの現場に関して言うと、わけのわからない高齢者が出て来ていただきたくない。

 それからもう1点、キーパーソンを育てる、これは私はクエッションマーク。キーパーソンは必ず現場にいる。いるから見つけていただきたい。もう1点だけ言うとそのキーパーソンは今の地域の中では孤立したり、マイナーになっている場合が多い。それをみんなで徒党を組んで応援していくというのが非常に大切ではないかと思っている。

末岡:キーパーソンに関しては、先程言いましたように全く同じでここでも来てくれている。養父元町の人。一緒につながっていけるなと思っている。それから本間先生のお話ははっきり言って頭が真っ白で何も覚えてないぐらいだが、都市計画というものはすごく固定したものだという感じがあった。よくよく考えたら、計画とは、そこの目標にいたるためのものだから、いわば手段。目標を云々せずに計画だけに縛られることはないと思った。

中島:まちづくりのリーダーというような意味と思うが、やっぱり声が大きいやつで、若くて、ある程度金がある、暇もある、行政が10時から会議やるから来いといわれて「ふん、行くわ」と、時間がある程度都合がつく。そういうお金もあり、口も出し、声も大きくて、体も動く。こういう人でないとできないと思う。いざ地震が起こって、何かやらないかんときに、腰抜かして後ろでひっくり返っとったんではどうしようもない。

 本間先生のお話だが、都市計画という感じからすると、無限に掘り返していくような気持ちになるが、実際予算執行して、事業をやると、1回やると30年、40年そのままというのが普通なので、都市建設について、もう一回自分の地域の施設を見直して、住民の行動形態というものを見直して、リサイクルをする。その施設をつぶして、またニュータウンを造ってというような、ことからすると、本間先生の話は、少し、何年か前の話とかなという感じがした。

藤田:本間先生のコメントだが、土建国家の話が出た、しかりである。一定の役割は果たしてきたけれど、このまま、公共事業を同じ形で続けてはならんと私も思う。地域は一つの空間であり、また歴史のまとまりがあるところなんで、分断、分節は絶対だめだということを、私も感じる。整備、開発、保全を一体の中で、誰がトータルコーディネートするか、ここに、キーパーソンの役割もあるわけだが、個々の事業のつぎはぎでは、都市・地域づくりは出来ないということだけはっきりしている。時間の流れの中で、あるいは、同時代に生きる動きの中で決定されていくものである。その中で最後に一つ、中央分権、地域主権ということがなければ、これは絶対に達成できないのではないか思っている。

おわりに

平峯:あと1分強しか残っていないのでもうやめなければいけない。いつも、こういうシンポジウムなり、パネルディスカッションをやると、最後になって、もうちょっと言いたかったということがたくさん残ってくる。今日もパネラーのみなさん方にも、思いの半分も三分の一も言っていただいてないと思う。今のみなさん方の、大変面白いお話がたくさんあったので、こういう企画は、これからどんどんいろんな場面で、作っていきたいと考えている。是非ご協力をいただき、これを続けていきたいと思う。

 私自身は、今日は、本間先生の話を含めて。地域デザイン研究会という任意の団体で、なんとか、まちづくりに潜り込んで、少し実践をし、自分たちが今まで考えてきたことを、どのように生かせるかどうか、こういう実験をやるということが、是非必要だと思っている。

 本間先生の中身については、特にコメントはしない。行動をもって、今後やっていきたいと思う。

 ということで、終わりますが、パネラーのみなさん、言い足りなかってご不満が残ったかも知れませんが、終始熱心にご討論いただき、大変ありがとうございました。心からお礼を申し上げます。.

 今日のお話は、固定観念をぶっ飛ばせということで、官民一体のまちづくりを模索するということだったが、模索の“模”ぐらいしかまだやっていない。これからもこういう企画をし、皆様方のご意見をいろいろお聞きしたいと思っているので、今日のまとめはしないが、これからも、模索をしていくということで、このパネルディスカッションを閉じさせていただきたい。


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