レジメ = 末岡妙子

1999.1.30     [資料]
元気の出るシンポジウム
「固定観念をぶっ飛ばせ」
〜官民一体のまちづくりを模索する〜

1.現在の街、都市計画、合意形成のプロセスなどについてどう思うか?
 ・満足しているか?どこが気に入らないか?

◆現在の街についてどう思うか?

人口の適正規模を考え、自然と調和のとれたまちにすべきだったのではないかと考える。

現状認識(成立過程を知ることが不可欠)と問視点

 枚方市とは‥‥‥1947年一人口4万人1999年一人ロ40万人

 昭和40年代、急激な市街地の膨張で人口が爆発的に増え、それにともない職員数も急速に増加。多中心型で、市の中心が明確でない。無秩序な開発。豊かな自然溢れる東部の水源地を産廃銀座としてしまう愚を侵し、また東部を迷惑施設寄場化しようとしている。魅力に乏しいまち。

 しかし、社会教育と福祉は特筆すべきものがある。

 「区長制度」の廃止(昭和62)に伴い「コミュニティ協議会」が発足したが、まだ試行錯誤の段階で、コミュニティもばらばら。

 歴史的背景は……お互いがどうやって負担を軽くするか知恵を絞り抵抗した「宿場町」と「助郷」で成り立つ。明治22年に、これまでの村々が合併してできた10町村が基礎となる。引用:枚方市史「幕末における本市域37村の支配関係は、幕領・藩領のほか、役知・旗本の知行所・社領・堂上家領などが入り組んでいたため、大阪府や河内県が置かれても、村々が一律にこれらに属したわけではない。」もともと一体感がない。

 身近な例として:枚方市の楠葉周辺

  • センチュリータウン・・・1120所帯のマンション、ネットワーク組みやすい。6棟のマンションに囲まれて、中央に公園があり、よく目が届くので、子育てには安心。
  • ローズタウン・・・街路、公園、商業施設、医療施設、交流施設、下水など一応そろっており、便利で暮らしやすい。一戸建ての地域、人々の交流があまり感じられない。冷たい感じ。コミュニティが育ちにくいのではないか。
  • 旧集落地・・・そのまちの歴史が感じられて気持ち良い。田畑はほとんどミニ開発か集合住宅へ。生産緑地がわずかに残る。
  • ミニ開発進行地・‥小さな塊で分断されており、その後のコミュニテイの成り行きが不明。雑然としているが、子育てには案外適している。

◆都市計画は?

都市の姿はその文化が持つ価値観を現す。

 都市計画は、生活の場としての都市を、法律・制度を規制や誘導の手段として使いながら、よりよい方向へ導いて行くことだと思う。現状では、社会生活、産業全股は、総合計画で考えられていて、それを、ハード部門に落としていくのが都市計画というような理解をしている。

 現実は、総合計画の中の一部門に過ぎない扱いで、都市マスタープランにしても、現状追認の色合いが濃い。もっと、都市計画が前面に出て、都市のあるべき姿を示せるようになることが望ましい。個別の問題でも都市計画がうまくいっていないことも多いように思う。例えば、ミニ開発の進行、鉄道駅周辺でも計画的開発が行われない等。

◆合意形成のプロセス

 合意形成のプロセスとして、最近の例で、都市マスタープランと、公園づくリワークショップが挙げられる。

 都市マスタープランは、情報の提供、市民の意見の吸い上げ、それに村する行政の対応を公開の場で表明していく、ということが必要だ。現状では、いずれも不徹底で、市民の側も、「要求の場所」と勘違いして、議論がかみ合わないことが多かった。もう少し時間をかけて、徹底的な公開を通じて、議論を巻き起こすように持っていくことが必要。住民も行政も、学ぶ機会としてもっと利用するほうが良い。

 公園づくりワークショップは、枚方では初めてであり、一昨年から取り組み始めた。市は場を提供したが、その方法論は暗中模索。

 市民の側は、今後の重要な課題が見事に表面化。市政、都市計画に関心を持たない。住民同士のルール、信頼関係、責任や負担を伴うという意識が希薄。旧態然とした地域社会のヒエラルキー。等。ワークショップ形式の市民参加という手法の有効性と限界を知る。

2.今まで実践してきたこと・その目標?

◆実践してきたことの抜粋

1997年2月 ○「枚方まちづくりネット」結成
        ※参照:法学セミナー・地方分権と市民社会
            〜電子ネットワークを利用した市民活動〜

      〇「ほれほれ関西もいきまっせ−ワークショップ交流会」に参加

1997年4月 ○枚方市教育委員会委託成人学級活動開始

1997年5月 ○勉強会「市民の想いお役所の想い」講師:企画政策課より

1997年6月 ○「ふれあうまち」上映会と熊谷監督トーク

      ○翌日にかけて「都市計画フォーラム」関西オフの会

1997年8月 ○市公園建設課主催「養父元町公園づくりワークショップ」に多数参加

      ○関連して、「公園アンケート」を市内15公園に隣接する120世帯に実施・集計

1998年1月 ○まち歩さり一クショップ(香豊ヶ丘地区)実施

1998年2月 ○メセナひらかたにて「まちづくりシンポジウム」開催
        ※記録集を入り口にて販売

1998年9月〜○「まちづくり市民研究会」に登録

1998年9月〜○「養父元町公園づくり実行委員会」スタート

◆目標

 主体となり得る住民となり、住民主体のまちづくりを学び、考え、行動する。
 参加意識の発揚の場の設定と交流

◆今までの活動を通じて、感じたこと

  • 信頼関係の重要性
     これ抜きには何も動かない。
  • パソコン通信の有効性
     ミーティングとの併用によって、時間に制約されない意見交換が可能。遠距離の専門家からも アドバイスが可能。
  • 住民同士のつながりを深めていくことの重要性、難しさ
     結局は生き方の問遭だから、その地域の住人にしかできないことがほとんど。当事者意識をそれぞれが持つこと、責任を負える範囲を明確にしでさることとできないことを認識すること、互いに音見を十分戦わせることが必要という認識を持つことが重要。知識や技術が人を動かすのではなく、人の熱意が人を動かす。
  • 行政の中には、市民と協働して、まちをよくしようとする人が必ずいる
     職員も市民であり住民。市役所の部とか課という組織全体が何をするところなのか知ることは 当然必要だが、組織として相手をみることはよくない。何回も足を運ぶうちに、その意志とか、 価値観とかがお互いに分り、真剣に反応してくれる人が見つかる。不信は不毛。悪いところを 直そうと思うより、良いところを活かすことを考える。

3.街づくりには、
(1)身の回りの生活環境をどう良くしていこうかという「地区レベルの術づくり」
(2)広域的・根幹的な都市の基盤をどうしていくかという「都市レベルの街づくりに分けて考えられるが、
   先ず、「地区レベルの街づくり」について、
  ・計画の主体? ・事業実施は?
  ・実践面から見て、住民が出来ないこともあると思うが、それは何か?
   どう解決したら良いか?

◆計画の主体

 最初の仕掛けは、行政からの場合と、住民が自発的に考え出す場合とある。最終的には行政が計画を決める。それまでに、地元と行政と専門家で十分に協議して、計画案を練っていく。このときのプロセスが問題。地域には、自治会のみを通じておろすのではなしに、住民すべてに参加の機会を与えることが大切。また、直接影響のある人達の意見は尊重する必要がある。行政の持っている情報は積極的に開示する。三者が同じテーブルで話できるような場の設定が大切。(ワークショップ等さまざまな手法の導入で「機会の窓」を増やす)

◆事業実施

 街づくりの種類による。都市計画で決められたような、公園、道路、下水等は、基本的に行政が行う。住民は、それに参加、協力する。地先道路、街並みの形成、ミニ公園等、地域のみに利便をもたらす事業は、地域が主体で行い、行政はそれに支援する。

◆住民が出来ないこと→解決策

 専門的知識、行政の持つ情報入手→専門家の派遣と情報公開。三者の協議の中で、詰めていく。利害の村立する住民同士の話し合いのスムースな運営(新旧住民が対等でない前提がある場合は特に)→行政が一定ルールを示す。

4.「都市レベルの街づくり」については、今後も、行政により進められること
  となると思うが、どう思うか?(・計画の主体・事業実施は)
 ・その進め方等で改善点はあるか?

「都市レベルの街づくり」については、行政主導でなければ整合性や連続性の確保が難しいが、地域レベルと同様、計画づくりにあたっては、十分な住民参加が必要。計画案の背景、理由等の十分な説明を行い、住民の意見を聞き、それに村する行政の対応を明らかにし、その上で、行政により計画を決定する必要がある。

 枚方の事例:平成13年度から実施する、「第4次総合計画」策定に着手した段階(平成10年7月)から、市民グループの政策提言を募集するなど多様な市民参加を促進し、幅広い視野にたった計画づくりを目指し、「まちづくり市民研究会」として登録したグループには資料の提供や、研究会などに関係職員を派遣し、施策の現状などを説明する支援を行う。提言の提出期限3月。

 平成10年「緑の基本計画」策定に当たっては、公募によりワーキングスタッフ15人募集。市民ワーキング会議を5回実施。

5.街づくりにおける学者、企業、住民、行政の役割・責任をどう思うか?

 学者、企業は当事者でないのでよく分りません。住民、行政の役割・責任についてのみ、答えます。

 ソフト、ハード両面ともに、責任領域は取りあったり譲り合たりし、取りこぼし、すき間が発生しているのが現状。

 ハード面は最後の責任を取れるのは行政。
 ソフト面は最後の責任を負うのは住民。

 住民は同じ地域内に住んでいても、居住歴、永住か転居が前提か、生活圏等の条件が異なるとコミュニティに村する意識も関り方も異なる。枚方市民であるという共通項だけで価値観、利害が異なる者同士が、どうすれば合意形成できるのか、また、何故合意形成しなければならないのかの共通認識を持つことは難しい。しかし、いろんな人がいろんな形で参加して、まちに何らかの変化、痕跡を残すことが望ましい。

 いろいろな住民がいるからこそ智恵も技術も多彩となると捉え、住民が均質ではないということの良さを活かす場の設定は、行政の役割。それを上手く活用していくのは住民の役割。住民は行政に負わす部分を減らすことを考えないと、自分たちが活動する権利も場も失うのだという自覚が必要。


元気の出るシンポジウム目次へ戻る

inserted by FC2 system