フォーラム2000
「都市計画のサービス水準はどこにおく?」

〜誰が何をどこまでするのか〜

研究担当幹事 南 健士

 去る1月29日、大阪市立弁天町市民学習センター講堂において、2000年最初の行事であるフォーラム2000が開催されました。元高槻市長の江村利雄様をはじめ、各方面でご活躍の5名のパネリストにより興味深い議論が展開されましたので、その概略をご報告します。

日 時    2000年1月29日(土)13:30〜16:30

会 場    大阪市立弁天町市民学習センター講堂

出演者

江村利雄(元高槻市長)
山下 淳(神戸大学教授)
中島克之(神戸・松本地区まちづくり協議会会長)
北出寧啓(泉南市議)
平峯 悠(地域デザイン研究会代表)

○パネルディスカッションの概要

<自己紹介>

江村: 最初、市長はなんでもできると思っていたが、逆に何にもできなくてがりがり言われるのが市長。
山下: 「学識経験」というが、学識というこれまでの理論がいまでは通用しない。
北出: 利益誘導型の議員の活動は「義理」と「恩」の関係で成立しているが、そういうのはなにか間違っている。あくまでも公的なものを代弁するのが議員。
中島: 私たちは地震の被害者ではあるのだが、新しいものを生み出してきた。瓦礫の中から地域コミュニティーのすばらしさを掴みとった。

<豊かさ・サービス水準の実感に関連して>
江村: それぞれの市町村では格差がついているため、あの街は福祉が、あの街は文化面がというようなことだけが論議され、自分がどれだけ税金をかけているかが表に出なくなっている。
山下: 河川・病院など、安全のためならば無茶苦茶に金をつぎ込んで良いのか。バランスのとり方であろう。ある程度被害はあるけども、投資する金はこれぐらい。それ以外にすることがあるだろうという話。となるとそれを誰が決めるのか。
北出: 国の政策もケインズ型から変化していない。地方も財政の問題、議会も利益誘導型の議員が力があり、パトロンとクライアントの関係になっている。ここを直さないと改善は無理なのか。
中島: 市民サービスといっても対象を区分して考える必要がある。夜間しかいない人に夜間サービスを行っても金がかかってしょうがないといった具合に。

<行政の目標に関連して>
江村: やってみて悪かったら責任をとったらよい。そのために4年毎に選挙がある。そういう気持ちでないと、これからの多様なニーズの中でリーダーはできない。
中島: 行政のすることは、亀より遅い。やっと出来るようになったころにはニーズがないことがしばしばある。また、ようやく決まったら100〜200倍の予算をかけて、全国一斉にやっている。タイミングよくニーズのある頃であれば、少しのお金で済むのに。
北出: 特に最近は近代共同体が解体している。自己を抑制したりコントロールすること、そして地域や国をどうするかといったことを議論することができなくなった。

<負担とサービスの関係、行政能力に関連して>
山下: 戦術としては2つある。一つ目は実験的にやる。これは駄目だったらゴメンねということ。2つ目キャッチボールというか、関係ありそうな人を片っ端からまきこんでコミュニケーションをはかり最終的には市長が決めるというやり方。
江村: 地方分権は、市民と市(職員)が同じ目の高さになる意味でも必要。
中島: 自分が受けるサービスとして1ヶ月300円〜500円程度の少ない負担金額ならば受け入れる素地はできていると思う。
北出: 個人化している中で多様性をお互い認めながら新しい共同体、コミュニティーを形成すべき。このことが地方分権、財政難の中で地方をどのように再建していくかにつながる。

<質疑応答>
江村: 地方分権を本気でやるのなら、全部市で徴税からやらせたら良い。国税と地方税の徴税を一体として、どのくらいの税金がこの街から出てるのかがわかったら活性化策などの政策決定にも反映できる。
北出: 大衆は自分の私生活しか気にしない。公的なものには参加しない。特定の団体利益を代表する。これが「大衆」。「大衆」を「公衆」へ転じなければならない。「公衆」に転ずるためには、市民的な論議・市民参加が必要。
中島: 意見を村八分にしてはいけない。いかなる人がいてもこれを許して受け入れる。これが地域コミュニティー。地域コミュニティではなんとなく“しょうがないな”という雰囲気にしなければならない。
これまでいろいろ地域で決定してきたが、誤ったことも決めているのではないかということはいつも思っている。

<まとめ>
平峯: 地域デザイン研究会は、人を理解し、人の立場を尊重しながら街をつくっていくことを尊重すべき。
パブリック(「公」)は大変重要。「一人ではない」ということから始まるパブリックのルールというもの、議論の仕方も含めて、そういったものをどんどん作っていきたい。
もう一つは、ECでは権限配分ということで、サブシディアリティ(補完性)の原理から、「自立した市民」を起点にして共同体にできることをその上位の組織が行ってはならず、それが困難なときだけ上位の組織が補完している。
これは、「個人とか家庭ができることをすぐにコミュニティにゆだねてはならない。コミュニティーにできることを地方政府にゆだねてはならない。地方政府にできることを中央政府にゆだねてはならない。」ということに通じる。日本ではまったく逆。歴史も違うのですぐにはそうならないが、ルールとして、自分たちはどこまでがんばって、それを補完するのは誰かやるべきか議論しなければならない。
利益誘導型の議員など難しい人たちがたくさんいるのもまだまだ確かではあるが、NPOのようなものがこれらを乗り越えながら、社会の潤滑油や媒介として働いていくのではないか。これは実践でまだ成功した例はないが、地域デザイン研究会としてこれからも進めていきたい。
この「都市生活のサービス水準はどこまであるべきか」というタイトルの結論は出せないが、今回の議論の中で答えの切り口がいくつか見つかっていくのではないかと考えている。
今後とも、これに関連するフォーラム、シンポジウムは継続していきたい。

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