REPORT

釜石市の被災状況と復興への歩み~地域支援に向けて~

立間康裕

「東日本大震災」が発生し、今年8月11日で約1年半を経過することとなる。しかし、被災地の状況はやっと“暮らしの再建”に向けた取り組みが始まったばかりであり、これから本格的な復興が開始されるという状況である。この被災地の復旧・復興にあたっては、この震災で与えられた日本全体、地域社会に対する課題を、一人ひとりが自分のこととして考え、「出来ることを、出来る人が、出来る時に」行動していくことが重要であると考えている。ここでは、昨年から継続して訪問している釜石市の被災地状況の一コマを報告したい。

●適した事業手法選択と住民との合意形成が課題

空地が増加していく釜石市街地(平成24年5月)

  被災地には3回、岩手県南部の三陸地域を中心に(陸前高田市~釜石市~大槌町~宮古市田老)訪問したが、被災地の状況は、瓦礫の撤去や処理は進んでいるものの、昨年8月からあまり変化が無い状況であった。逆に、釜石市内(中心的市街地の東部地区)では建物の解体が進み、昨年より空き地が増加しており、今後の解体の進捗を想像すると復興の困難さを一層実感させられた。

  釜石市の復興計画に関しては、公共インフラに関する事業計画と工程表の取りまとめが「東日本大震災復興対策本部」から平成23年11月29日に公表されると共に、12月22日には釜石市の「復興まちづくり基本計画(スクラム釜石復興プラン)」が策定された。この基本計画は、被災地域の早期復興と新しい町づくりに向け関係者が共通認識を持って取り組むための「町づくりのビジョン」と、これを具体化するための「施策」をまとめたものである。今後はこれに基づき復興町づくりが実施されていくことになるが、被災地に適した事業手法の選択と共に、各被災地の住民との合意形成が課題となろう。

●復興までを支える仮設「青葉公園商店街」

  釜石市を訪問することとなったのは、釜市の代表的な商店街であった「只超町商店街」の役員の方々が、昨年7月に神戸の震災復興と尼崎の商店街活性化の視察に来られたのがきっかけである。メイン通りに沿った商店街はほぼ全壊し、個人経営者達は再建の道を模索する一方で、キッチンカーによる移動販売などを行っていたが、昨年11月、公園敷に仮設の「青葉公園商店街」が建設され、今後の復興まで営業を行えることとなった。(中小企業基盤整備機構の発注、2階建のプレハブ5棟、35店舗、1,477㎡)

●寄付金で整備された「釜石の箱あおば」

  仮設商店街の入り口部分には、象徴的復興ハウス「釜石の箱あおば」が民間からの寄付金により同時に整備された。この施設は地元のNPOにより運営されており情報拠点や地域の集会所として上手く活用されているが、木の香りと共にスリットの光が深く印象に残った。その他の先行整備された仮設店舗も視察したが、周辺にある仮設住宅等の居住者の日常の買い物などに利用され、賑わっている様子が覗えた。<参考:宮古市田老(プレハブ3棟、22店舗)、釜石市鵜住居(プレハブ2棟、9店舗)など>

 
釜石の箱あおば(左)と利用状況(右) 

●被災地の現状を感じ、出来る支援を

  被災地にとって、今、最も必要なのは「被災地の自立」に向けた取り組みであり、我々にはそれを継続して支援していく意志が求められていると考えている。被災地から離れている我々としては、被災地の現状を感じて、求めているものを探し、出来る支援を行うことが重要である。特に町づくりにあたっては、住民の思いを少しでも考慮したプランづくりや行政への提案、調整など、技術者が関与する必要性を強く感じている。

  3回の被災地視察を通して、事前の情報収集を含めて色々な分野の多くの方々と交流することが出来たことは、自分にとって新鮮な“喜び”となった。今後とも釜石をベースとして被災地域との交流を継続したいと思っている。

  最後に、岩手県のあるNPO理事長から聞いた言葉を記して報告を終わります。 

  「先ず来て、見て、感じて!」、「一緒に復興を! 我々だけでは出来ない」


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