<3>現地視察
<主な視察先と案内をしていただいた方>
▽東松島市(野蒜地区/居住継続希望と移転、大曲地区/大曲浜の集団移転、多重防災施設)
by鈴木孝男氏(宮城大学 事業構想学部 事業計画学科 助教)▽女川町(町立病院/中心部市街地の被災状況、竹浦地区/周辺漁村集落の被災状況)
by久坂斗了氏(UR都市機構 宮城福島震災復興支援局/女川支援事務所)<視察行程>
〇8:30 仙台市内
「メルパルク仙台」出発(ホテルで鈴木先生と待ち合わせ)、運転手つき小型バス借り上げ、三陸自動車道(仙台東→鳴瀬奥松島)→R45 東松島市
自動車道の築堤が津波の防波堤の役割を果たした。→多重防災の発想
〇9:20 (東松島市)
東松島市では、東日本大震災により、死者1,082人(市人口4.3万人)と多くの被害者がでた。また市街地の約63%が浸水し、家屋被害(全壊、大規模半壊半壊)は11,029戸(全世帯の約73%)におよんだ。中でも野蒜地区、大曲地区は特に被害が大きかった。(数字は東松島市HPより引用)
〇9:30 (東松島市・野蒜地区)
野蒜地区は、東名運河の南側と北側でかなり差がある。南側は被害も甚大で、まだ水のひいていない箇所も多い。復興計画も南側は防災集団移転促進事業により集団移転を進め、跡地は公園や緑地で利用予定。北側は東名運河沿いの県道を三線堤としてかさ上げ整備し、土地区画整理事業による現地復興の位置づけ。
〇10:30(東松島市・大曲浜地区)
大曲浜地区は特に被害甚大で、水のひいていない場所も多く、解体も進んでいない状態である。この地区は集団移転を計画しており、現在移転先の東矢本を先行整備しているところである。被災した大曲浜地区は工業地等非住居系へ土地利用転換。
大曲浜にある玉造神社は、まだ水に浸かったまま。(写真-1)▽皇室献上の浜・のり工房=『大曲浜は、2010年まで6年連続で皇室へのご献上を果たし、上質な海苔の産地として有名な浜です』(HPより引用)。今回の震災で住む場所だけでなく、海苔の養殖施設もすべて流されてしまったが、今回視察で訪れた大曲市民センター横で、地元の人たちが力を合わせ、「のり工房」を立ち上げ海苔作りを再開した。(写真-2)
(写真-1)玉造神社の前での記念撮影
(写真-2)矢本のり工房この間、ちょっと昼食(写真-3)
〇12:40(女川町)
女川町は、死者・行方不明者827人(町人口1万人)、家屋被害(全壊、大規模半壊、半壊)3,261戸(全世帯の約73%)の被害が発生した。津波の高さは、町立病院付近で17.5mで、海抜16mの高台にある病院の1階天井近まで浸かった。病院の駐車場で津波を見ていた人は、駆け上がった波に飲まれた。(写真-4)
女川町の復興計画は
中心部の面整備(都計決定した226haの区画整理→現実には困難でリアリティのある事業スキームの再検討が必要では?)
離半島部の高台移転
災害公営住宅の建設である。(久坂氏談)
▽女川町の公営仮設住宅=広大な女川運動公園の中にある公営仮設住宅は、坂茂氏設計による全国初の3階建てで、空間も広く取ってあり、他で見た仮設住宅より格段に住みやすそうな感じだった。(写真-5)
▽総合運動公園と町立病院=女川町は水産業の町(養殖ギンザケ生産量日本一、全国屈指のサンマ水揚げ量)そして原子力発電所の町である。今回訪問した総合運動公園と町立病院も驚くほど立派なものだった。町の予算の25%は原発に依存している。
▽竹浦地区=女川町には15の漁村集落がある。竹浦地区は60戸の集落で、95%が豊かな海(太平洋銀行)でのギンザケ等の養殖漁業で生計を立てている。漁村集落の復興計画は、現地嵩上げ(L1津波対応)、現地高台(L2津波対応)、まちなか高台(L2津波対応)の組み合わせで計画されている。(写真-6)
(写真-3)石巻市岡青での食事
(写真-4)女川町立病院駐車場
(写真-5)女川町運動公園内の仮設住宅
(写真-6)竹浦漁港○14:30(女川町発)
今回の現地視察ではやはり復興のとてつもない困難性を感じさせられた。久坂氏の「復興事業は戦争である」という言葉も、現地で聞くと非常に説得力があった。 ただその困難の中、頑張っている人がいて、少しずつ前に進んでいる感じがしたのは希望が持てた。今回全体の企画をしていただいた立間さんご苦労様でした。また現地参加していただいた中出さん、美味しい料理をありがとうございました。
<参加者からのコメント(東松島市視察)>
のり工房矢本で、塩釜神社の品評会で何回も優勝し、皇室にも献上されたのりを復活生産していた。説明いただいた方には、ちょうど震災前後にお生まれになったと思われるお子さんがおんぶされていた。大変な苦労をされたと思う。応援しなければと思う。
大曲地区、海岸近くの広大な新興住宅地の殆どが壊滅状態であった。特にこの地区は全ての住宅が完全にやられていた為か、他地区では進んでいる被災建物の解体・撤去がそれほど進捗していなかったために、より一層リアルに被害状況が感じられた。
大曲浜地区、漁業を生業としている住宅は別として、この辺りは宮城県のリタイヤー組が数多く住んでいた地区という。被災した新興住宅エリアと旧集落を繋ぐ道路が一本しかなく、ここに避難の車が集中・渋滞し人的被害が大きくなったと。⇒住宅地には避難道路のマルチルート確保が必須。
広い範囲の地盤沈下の地域に、神社の赤い鳥居がポツンと佇む、痛々しい風景。
<参加者からのコメント(女川町視察)>
忘れないために残している裏返しになった交番で被害の爪痕を感じた。
人口1万人の原発の町が死者1,000人と言うとんでもない犠牲者を出した。町の中心部は震災記憶を残すための被災建物以外はすべて撤去されており、中心部は全滅と言う様相であった。唯一残っていると言って良い建物は、高台の町立病院だけであった。
女川には中心部以外に15か所の漁村集落があり、そのどれもに猫の額のような狭い海際の土地にへばりつくように住宅があったが、それらが悉く壊滅状態になっていた。これらの地区は各集落ごとに高台移転の方向で調整が進んでいるという。方法論としてはこれしか無いのかもしれないが、中心部を含めこれらの集落の高台移転後の将来がどうなるのかが気になった。
女川の基幹産業である水産業の復興に向けては、カタールからの国際義捐金20億円をうまく獲得し、大規模な冷凍倉庫の建設工事に着手しており、ようやく緒に就いた状況と思われた。
広域合併の是非が試される地域である。CM方式が今後わが国で定着するかどうかも問われる。
区画整理事業の計画範囲が200ha以上の地域があり、実施手法に新たな工夫が必要と思われる。
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