<3>現地視察

<主な視察先と案内をしていただいた方>

▽東松島市(野蒜地区/居住継続希望と移転、大曲地区/大曲浜の集団移転、多重防災施設) 
by鈴木孝男氏(宮城大学 事業構想学部 事業計画学科 助教)

▽女川町(町立病院/中心部市街地の被災状況、竹浦地区/周辺漁村集落の被災状況) 
by久坂斗了氏(UR都市機構 宮城福島震災復興支援局/女川支援事務所)

<視察行程>

〇8:30 仙台市内

〇9:20 (東松島市)

〇9:30 (東松島市・野蒜地区)

〇10:30(東松島市・大曲浜地区)


(写真-1)玉造神社の前での記念撮影

(写真-2)矢本のり工房

この間、ちょっと昼食(写真-3) 

〇12:40(女川町)


(写真-3)石巻市岡青での食事

(写真-4)女川町立病院駐車場

(写真-5)女川町運動公園内の仮設住宅

(写真-6)竹浦漁港

○14:30(女川町発)

 今回の現地視察ではやはり復興のとてつもない困難性を感じさせられた。久坂氏の「復興事業は戦争である」という言葉も、現地で聞くと非常に説得力があった。 ただその困難の中、頑張っている人がいて、少しずつ前に進んでいる感じがしたのは希望が持てた。今回全体の企画をしていただいた立間さんご苦労様でした。また現地参加していただいた中出さん、美味しい料理をありがとうございました。

<参加者からのコメント(東松島市視察)> 

  • のり工房矢本で、塩釜神社の品評会で何回も優勝し、皇室にも献上されたのりを復活生産していた。説明いただいた方には、ちょうど震災前後にお生まれになったと思われるお子さんがおんぶされていた。大変な苦労をされたと思う。応援しなければと思う。

  • 大曲地区、海岸近くの広大な新興住宅地の殆どが壊滅状態であった。特にこの地区は全ての住宅が完全にやられていた為か、他地区では進んでいる被災建物の解体・撤去がそれほど進捗していなかったために、より一層リアルに被害状況が感じられた。

  • 大曲浜地区、漁業を生業としている住宅は別として、この辺りは宮城県のリタイヤー組が数多く住んでいた地区という。被災した新興住宅エリアと旧集落を繋ぐ道路が一本しかなく、ここに避難の車が集中・渋滞し人的被害が大きくなったと。⇒住宅地には避難道路のマルチルート確保が必須。

  • 広い範囲の地盤沈下の地域に、神社の赤い鳥居がポツンと佇む、痛々しい風景。

<参加者からのコメント(女川町視察)>

  • 忘れないために残している裏返しになった交番で被害の爪痕を感じた。

  • 人口1万人の原発の町が死者1,000人と言うとんでもない犠牲者を出した。町の中心部は震災記憶を残すための被災建物以外はすべて撤去されており、中心部は全滅と言う様相であった。唯一残っていると言って良い建物は、高台の町立病院だけであった。

  • 女川には中心部以外に15か所の漁村集落があり、そのどれもに猫の額のような狭い海際の土地にへばりつくように住宅があったが、それらが悉く壊滅状態になっていた。これらの地区は各集落ごとに高台移転の方向で調整が進んでいるという。方法論としてはこれしか無いのかもしれないが、中心部を含めこれらの集落の高台移転後の将来がどうなるのかが気になった。

  • 女川の基幹産業である水産業の復興に向けては、カタールからの国際義捐金20億円をうまく獲得し、大規模な冷凍倉庫の建設工事に着手しており、ようやく緒に就いた状況と思われた。

  • 広域合併の是非が試される地域である。CM方式が今後わが国で定着するかどうかも問われる。

  • 区画整理事業の計画範囲が200ha以上の地域があり、実施手法に新たな工夫が必要と思われる。



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