REPORT

地域資源を活かしたまちづくり

~「奈良きたまち」FWレポート~

 みぞれ混じりの雨が時折降る厳寒の2月23日、「まちを視る」分科会では、「地域資源を活かしたまちづくり」をテーマに「奈良きたまち」のまち歩きを行いました。今回の講師は「鍋屋連絡所の保存・活用と奈良きたまちのまちづくりを考える会」事務局長(都市再生機構勤務)の瀬渡比呂志様でした。

(文:「まちを視る」分科会主査・茂福隆幸)


奈良少年刑務所

奈良女子大記念館

 この「考える会」の発足のきっかけは、奈良女子大学の正門前にある鍋屋連絡所(1906年開設の交番)が無くなることを惜しみ、2006年に奈良女子大学の瀬渡章子教授が大学としての活用の検討を始めたことであり、教授はご主人の瀬渡比呂志様に相談され、大学だけの取組みではなく大学以外の方々にも相談し、地域の役員や有志が集まり2009年春頃から活動を始められました。その際に、建物の所有者は奈良県警で、土地所有者は近畿財務局であったので、まず、土地、建物を奈良市が所有するよう要望されました。

 2009年11月に奈良市の市民企画事業に採択され、市からの事業費の補助を受けると共に、市が奈良県警や近畿財務局など関係機関との協議を進め、建物の改修、保存、活用に向けて具体的に動き出しました。2010年には奈良県町屋等地域資源発掘発信事業に採択され、鍋屋連絡所という単体の建物だけではなく、近鉄奈良駅の北側に位置する「奈良きたまち」の地域を含んだ研究活動に発展しました。名称も当初は「旧鍋屋連絡所の活用を考える会」から現在の「鍋屋連絡所の保存・活用と奈良きたまちのまちづくりを考える会」(略称「なべかつ」)に変更されました。

 2010年からは保存活動と併せて研究活動も行っており、主な取り組みとして、2010年3月にきたまち大見学会(約100名参加)、同年11月にきたまち大発見(約80名参加)、2011年3月にきたまち大見学会(約130名参加)、同年4月きたまち大調査報告会、同年10月きたまちスケッチ大会、同年11月旧鍋屋交番見学会(約200名参加)同年12月「多聞城について」講演会など、地域の方々と奈良女子大学等が協力して様々な活動を行なわれました。 そして、旧鍋屋連絡所の改修工事が完了し2012年7月1日に開所式を行われました。改修された建物は床面積27㎡と面積は小さいですが、展示や配布物のスペースなど、地域の観光案内、大学の研究、まちづくり活動の拠点として活用されており、名称を「旧鍋屋交番 きたまち案内所」と銘銘されました。

 案内所や会の運営はボランティアの方(通称駐在さん)約60名が輪番で駐在され、鍵の開閉や観光客への案内等をされています。また、建物管理については電気代、水道代、インターネット代等を奈良市が負担しています。まちづくり活動は奈良市、奈良女子大学、地元役員や有志の方々が協力して報告会、講演会、見学会等を行っておられます。

 鍋屋連絡所での説明の後に奈良きたまちのまち歩きを行いました。案内して頂いたのは瀬渡様と、当会発足前から鍋屋連絡所を独自に調査されていた地元の建築家の増田様です。 まち歩きのルートは、奈良女子大記念館(明治時代、重要文化財)⇒法蓮格子の家々 ⇒法蓮橋 ⇒聖武天皇陵・光明皇后陵 ⇒多聞城跡(戦国時代、現若草中学校)⇒奈良少年刑務所(明治時代)⇒植村牧場 ⇒般若寺 ⇒北山十八間戸(鎌倉時代)⇒転害門(奈良時代、国宝、世界遺産)⇒子規の庭 ⇒焼門 ⇒東大寺西門跡で約2時間の行程でしたが、案内して頂いた増田様がお寺関係に携わる建築家なので、専門的な内容もあり、普通では聞けないような説明をしていただきました。中でも奈良女子大記念館はレトロな雰囲気で優雅な感じであり、奈良少年刑務所の正門は西欧風の雰囲気があり刑務所とは思えないロマンチックな感じで、今はない奈良ドリームランドの正門に似ていました。また、転害門は奈良時代の歴史を感じました。追記として、私は食していないですが、植村牧場のソフトクリームは寒さを我慢してでも食べる価値はあったようです。約2時間の間に、奈良時代の国宝級の歴史的建築物から明治時代のレトロな建築物まで見学することができ、中身の濃いまち歩きでした。


旧鍋屋交番 奈良きたまち案内所

転害門

 まち歩きの後は恒例の懇親会を行ないました。厳寒の中でのまち歩きでしたので、熱燗が身にしみ会話も弾みましたが、瀬渡様の言葉で、奈良きたまちは通が好むまちであるというのが印象的でした。通ではない私ですが、奈良に行くなら「ならまち」もいいけど、通なら「奈良きたまち」だと宣伝しようと思います。


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