REPORT

2013フォーラム

大規模災害「復興のあり方」を考える

まちづくりの視点から〜事前に備えるには

 地域デザイン研究会の2013年フォーラムが2月2日、大阪市立総合学習センターで開催された。東日本大震災の復興が進まない現状を踏まえ、今後想定される同様な大規模災害にいかに対応していくのかを復興まちづくりの視点から議論した。第1部として久坂斗了氏(前UR都市機構宮城福島震災復興支援局計画調整第1チーム担当役)が被災地での復興支援について報告。第2部では、昨年夏の「復興現地視察」に参加した地デ研メンバーが、建築制限、安全基準などについてディスカッション。第3部では3人による鼎談「災害とまちづくり=土木・建築技術者の役割」が行われた。フォーラムの概略を紹介する。

(文責:大戸修二)

第1部:「女川町他震災復興の地元の現実と課題」


久坂斗了氏

講師:久坂斗了氏(前UR都市機構宮城福島震災復興支援局計画調整第1チーム担当役)

■震災復興は「戦争」だと思っている

 久坂氏は震災発生後の2011年7月から2012年12月までの1年5カ月、UR都市機構女川震災復興支援事務所に在籍し、主に女川町の復興事業に携ってきた。昨年12月からはUR西日本支社に異動、津波防災まちづくり関係を担当している。

 久坂氏は女川町を中心とした被災の状況について、写真資料などを示しながらリアルに説明。震災後約2年が経過しようとする中での復興の現実を紹介した。今回の震災復興について、「私にとっては戦争だと思っている」と強調。「話題の本『失敗の本質』にも書かれている、不測の事態に備えるプランの重要性を感じている」と話した。復興に関して被災現地の人々や地元自治体の思いは複雑で、「妻は高台移転を求め、夫は現地に戻りたいというようにもめている。復興まちづくりの方向性も、被害が同程度の隣接する地域であっても、内陸移転、現地復興と施策が二分している」と事例を紹介した。

■グランドデザインがない状態

 講演は「なぜ復興が進まないのか」「復興事業の課題と対応」を重点に進められた。課題と対応について同氏は、「グランドデザインがない」ことを挙げ、「復興計画は外から来た先生や土木コンサルタントが作ったものがとりあえず認められたもの。落ち着いた今、地元によって見直す必要がある。その際に外からのアドバイスや支援は欠かせない。目標の共有化が重要なことだ」と話した。さらに、@復興事業スキームの見直しA被災者の被災者による被災者のための復興B外部支援のサポート方策C意思決定システムの構築、などの大切さを挙げた。外部支援サポート方策については、「派遣された外部支援スタッフは、半年や1年で数人が一気に帰ってしまうという現実がある。例えば1カ月程度の重なる時期を設けるなど、『震災復興支援学』のようなものが必要かもしれない」と話した。

■復興に重要なのは天・地・人


女川町中心部の被災状況

 同氏は、復興事業に重要な3点「天・地・人」について紹介した。「『天』はタイミングで、今はタイミング的には盛り上がっている。『地』は地区のポテンシャル。『人』は事業をやる人や人間関係のこと。人の重要性、これは私が長くまちづくりに携ってきて思うこと。首長の資質、キーパーソンや支援者、意思決定の仕組みを含め復興事業ではやはり人が最も大事だと感じている」と話し、例えば中越地域で実施されている二人一組の地域復興支援員のようなシステムを、東日本でもやる必要性を強調した。 そして「復興事業は、弾は飛んでこない戦争。それも全面戦争状態だ。千年に一度の津波は千年に一度の事業でもある。この戦いに勝つ戦略・戦術を立て、この病いを治す手術や治療方法を考え、進めていく必要がある。このことを考えていただきたい。震災後約2年が経過したが、これからが本番」と締めくくった。

第2部:ディスカッション「東北の現実から大規模災害後の復興を考える」

▽パネリスト:岩本康男氏(都市活力研究所顧問)、小山二生氏(地域都市計画センター・コア社長)、立間康裕氏(阪神電気鉄道不動産事業本部技術部顧問)、前田秋夫氏(大阪府都市開発取締役技術部長)、松島清氏(三井住友信託銀行大阪本店不動産営業部調査役)、道下弘子氏(アニマトゥール弘報企画社長)
▽コーディネーター:岡村隆正氏(大阪府枚方土木事務所長)

●議論1「建築制限の必要性」

岡村:どのような考えで建築制限をかけるのかについて議論したい。

松島:名取市の災害危険区域の指定は、閖上地区南側の下増田地区。地盤が悪く、空港の騒音問題もあったエリアで、今回の沈下を含め集団移転することになった。いろんな理由が重なって住民同意が得やすい地域では、危険区域指定は意味がある。閖上地区の場合は、L1の堤防さえ整備すれば日常生活はできそうだが、区画整理が必要ないと思われるエリアに網をかけた。2年経過後も進んでいないし、宅地かさ上げを実施するにも平成27年までかかってしまう。もっと選択肢があってもよいのではないかと思う。

岡村:地形や場所によって異なるということだろう。

立間:早急な暮らし復旧の視点からは、建築制限は必要最小限にすべきだ。東北では産業とセットでの復旧・復興が条件になる。自立支援に邪魔をしないこと。交通事故死が年間1,000人として千年で100万人の計算だが、そんなリスクを背負っていても我々は自動車を使い、生活している。地域にこだわって住むことがあってもよいと思うし、建築制限は時間が経って計画がある程度固まってからでもよいと思う。会場:住む・住まないといったオン・オフの判断でなく、住んだ場合に逃げられるかどうかの議論を行い、逃げられない場所は規制するというように、段階を踏んで枠をあてはめないと復興が進まないと思う。

●議論2「災害・津波対策=安全基準」

岡村:L1は防災レベル、L2は減災レベルという安全基準について、まちづくりや社会基盤構築にあたりどのように対応したらよいのか。

小山:住んでいる場所の標高を意識し、今の土木技術レベルで可能な防潮堤を整備するとともに、標高差に応じ奥へと移動していけばよいのではないか。都計法、建基法に加え、農地法なども含めた上で、自然との融合の観点からまちづくり
を考えるべき。海沿い農地は生産効率の面から変革の時期にあると思う。

松島:日本の人口は50年後に8千万人、100年後に4千万人になるといわれる。長いスパンでまちのあり方を考慮すべきで、基幹施設は無理をしても安全な場所に移し、まちの重心を移す。長い目で見たら、それをやった所とやらない所の差が出てくると思う。

道下:同じ意見だが、たぶん不便になる。皆が不便な暮らしをしていれば仕方がないというのが日本人の常。災害はタブー視してはいけない。災害列島の日本では間違いなく予定日が来るわけで、昔年の情を吹き飛ばし、ダウンサイジングでコンパクトな100年先、200年先のまちづくりをしていってほしい。

会場:兵庫県作用町で水害があったが、古い住宅は山側にあり被害はなかったが、道路ができ便利になった所が被害を受けた。人間は安全な場所、生産拠点は合理的に使える場所を維持するなど、100年先、200年先を見据えたまちづくりが大事だと思う。

●議論3「大災害発生後、私たちはどこに住みどのような生活をするか」

岡村:震災後に議論されていることが高台移転、現地かさ上げ、まちなか高台、現状再建など。これらの選択肢に対し考え方を聞きたい。

岩本:結論から言えば、日常生活を大切にするため便利な所に住みたい。震災が強迫(脅迫)的になっている。大学の先生は脅迫的で、震災予測が大きくなっていく。行政は警報をすぐ出し、復興は採択基準、執行年度にしばられて強迫的。社会学者の山下祐介氏は著書の中で本質的なことを言っている。地方自治体はスピードこそが命だと頑張っているが、それがプラスなのか。一番の問題は専門家やマスコミで、日本人の善意とか絆を強調するが、それが真に日常生活の善意になっているのかどうか。私は疑問に思っている。

立間:私は地域性や風土を大切にして住みたい。都市部ではコンパクトシティが話題だが、地方でのコンパクトシティの試みも面白い。漁師はその海でなければ仕事ができないから、海から車で10分の高台に住むこともよいのではないか。

前田:女川町には「ここより下に住むべからず」という先人の碑があるが、100年、200年を経ると下に住んでしまうのは便利さからだろう。全てを高台移転し、まちをつくることだけにしてしまうと、再び下に戻ってしまうのではないか。時間と考え方の軸を動かせる発想、プランづくりができないかと思う。

岩本:どこに住むかとなると、避難システムとのセットで考えるべきで、その辺りに科学的なテクニックを使ったらよいと思う。

(紙面の都合でパネリストの現地視察報告は省略)

第3部:鼎談「災害とまちづくり〜土木・建築技術者の役割」

<出席者>

建山和由氏 片瀬範雄氏 平峯 悠氏

平峯:鼎談では、私たちは過去から何を学んできたのか、「備える」とはどんなことか、そして復旧・復興について取り上げる。まずは第1部、第2部を受けて感じたことを聞きたい。

■安全は必要だが、安心してはいけない

建山:第2部のディスカッションで、建築制限、安全基準、住み方の論点があった。今回は災害が大き過ぎたため復旧は白紙に絵を描くようなもので難しい。一方で塗り絵のように型の中を塗っていくなら塗りやすい。復旧・復興が進まない中では、ある程度の制限を持たせつつ、柔軟に進めるのがよいと思う。安全基準の論点では、構造物を設計する上で外力を定量的に与えざるを得ない。それは過去に起こった最大の外力となる。設定範囲外が来たらどうするのかも見ていく必要があり、ハードとソフトに分けて考えるべき。安全は必要だが、安心はしてはいけないと思う。住み方の問題は、災害は多様であり、多面的な議論が必要だろう。

片瀬:議論の中で2年経って何も進んでいないという指摘があったが、神戸の時は秋に第1段階として都市計画決定。その後に第2段階で住民と話し合って進めた。今は被災市街地復興措置法があり、今年3月に2年目の中身ができる。今後、もう少し柔軟で、地元の意見を聞きながらのコンパクトなシステムにしていってもよいのではないか。東北で今やっているのは多重な防災型まちづくりだ。支援を通じて、ハード・ソフト両面について地域の人たちに考えてもらう機運、方法を限定しないといった芽が出つつあると感じている。

■初動期体制はできたが、復興準備期以降ができていない

平峯:大震災を受けて、関西の行政等が取り組んでいることをまとめてみた。例えば、行政による「避難ビル・避難経路」の指定を行政単位、地域単位でやろうとしている。地域対応としてハザードマップの確認。個人レベルでは家具の固定。行政では、初動期の対応や災害時の支援体制・協定。学校では、防災意識・教育・記憶をつなぐ取り組みや文化財を守ること、安全基準と設計基準の見直しなどで、こうした取り組みは分かる。初動期は人命確保に始まり、避難→救助体制→食糧確保。その後の仮設住宅。いわゆる初動期の体制はできているが、復興準備期の安全基準→都市計画→復旧・復興→施設整備という流れができていないと思う。まず安全基準の問題に触れたい。想定外力の外側はどう考えたらよいのか。

建山:防災を英語に直すとPrevention of disaster。この言葉をアメリカ人に言うと、災害は防ぐことができないと言う。防災の意味は災害時の被害を最小限に抑えることであり、自ら備えることが必要。津波であれば逃げる。地震であればそれに対処する方法を常に認識しておくべき。その1つとして、淡路島・福良の事例「福良健康探検マップ」を紹介したい。当地では、神社や寺など地域の風土資産を利用した歩け歩け運動をしている。それが防災にも役立つ。災害に備えた道が確保されたとしても、災害時にはなかなか思い浮かばない。マップを使って健康作りを兼ねて普段から散歩や散策をしていれば,いざというときにスムーズに動ける。基準を超える際の対処法として参考になる運動だと思う。

■アウトプットだけでない、自助からの取り組みを

片瀬:マップを作った、配布した、訓練をした。そうしたアウトプットだけではだめで、日頃から逃げる道を散歩する運動は重要だ。自助の視点からも、歩きやすくなるようなハザードマップを作る必要がある。

平峯:地デ研で大阪平野(北河内地域)に刻まれた治水の歴史をまとめた。地域をどう理解していくかが大事なことだ。大阪は50年間で高潮に対して強くなった。防潮堤があるが、南海トラフ3連動が起こればそれを超えてくるが、あと2mのかさ上げには大きな決断がいる。一挙に千年に1度に対し私たちは答える術を持たない。昭和47年の水害訴訟では、行政は安全にどこまで責任を追うべきかで争い、1審、2審で河川管理者が負け、59年の最高裁で行政側が勝った。安全への行政の責任、市民の責任、それをどうカバーしていくか。一歩一歩とレベルを上げていくとしても、間に合わない時には仕方がないということになるのだろう。

片瀬:レベル1に少なくとも耐える形、今あるものを粘りよくすることだと思う。

■よいものをつくることに協力してもらう

建山:世の中はつくる側と使う側に分かれていて、ユーザーは何かあれば全てつくる側の責任にする。ケータイの分野は進歩している。生産者とユーザーの距離が近いからだろう。ユーザーの要望に対し生産者は改良する。双方が近い距離で回っていけば、どんどん良くなる。土木の分野も行政と市民が協働していくことがよいと思うが、市民の意見を聞くとなると文句ばかりで協働の形にならない。協働の形をどうつくるのか。いかに市民を前向きに、いいものをつくることに協力してもらう形の関係をつくることがポイントだと思う。

平峯:都市計画法は制定から約100年。しかし、地域風土や施設、里山など、その地域のことがほとんど調査されずに都市計画が進められてきた。地域の人たちと協働して発掘することで、防災や生活にもつながるというシステムを作り上げることが大事だと思う。

片瀬:私は、都市計画法は補助金をもらう単なる手法、絵にしただけだという使い方でよいと思っている。そこから地域の人たちと話ができる。東北の被災都市で国交省がコンサルタントに委託して原案づくりをした。それを基に地域ごとに協議を進めてきた。ある町では県が提案した16mの防潮堤に対し、漁業者は海が見えないと生活できないという視点からまちづくりを協議。危険区域はここにする、住めない人たちは高台に移るなどと順次話し合いを進めており、難しい中でも東北という地域性の中から切り口が生まれつつある。それに対して我々は支援していくべきだと思う。

■災害は風化するが、都市計画に組み込んでいくべき

平峯:私は、復興はそれまでの生活や活動の延長線上になければならないと思っている。また、災害は風化するが、着実に都市計画に組み込んでいくべきだと思う。

片瀬:高台移転が叫ばれているが、大船渡市の事例を紹介したい。この町では過去の明治の津波、昭和の津波で、高台ではないが山際へ住居を移した。今は原野になっているが、ここに明治の時代は住んでいて、明治の津波で半数の住居が移転、昭和の津波で全部が山際に移った。跡地は農地として利用するようになった。今回の震災でこの町では農作業をしていた一人だけが行方不明だったという。やはり過去の事例を学んだ中で提案していくことが大事だと思う。

建山:仙台の事例だが、下水処理場が大被害を受けた。財務省の基本方針は原状復旧であり、処理場関係者は再び同じ被害を受けるのではないかとジレンマに陥っていたが、最終的には理解され、より強いものがつくられるようになった。よりよいものにつくりかえることは、あるべき方向性だと思う。

平峯:復興は次の世代に残すもの。本来的には計画論、戦略論、都市の経営論を含めながら災害を捉えることが必要だろう。最後に追加したいことや強調したいことを聞きたい。

■防災では普段使いが重要

建山:住民参加のまちづくり方法の話をしたい。草津市で南草津を活性化させるため、まちづくりについて検討をしているが、担い手をつくることまで考えようとしている。若い担い手候補の人たちに提案を求めたら、いろんなアイデアが出てきた。これを大学の若い先生にテキストマイニングという方法で成分分析をしてもらった。例えば地域の伝統を大事にするという軸と新しい魅力を発掘するという軸。住民主体型の軸と学生主体型という軸。内的に充実させようとする軸と情報を発信しようとする軸。これら3つくらいの主成分軸に整理できた。これを利用して地域のまちづくりの方向を探ろうとしている。住民参加のやり方の1つだと思う。もう1つは遠隔操作による無人化(ロボット)施工の話。雲仙普賢岳の復興事業では、火砕流で人が入れないためリモコンのロボットを導入し、使いながら改善してきた。そのお陰でこの技術は福島原発における瓦礫処理等の作業で十分に機能を発揮した。普段使いというのが、防災上では非常に重要だと思っている。

片瀬:阪神淡路大震災の時は、震災前にまちづくり条例という、ハード的なもので住民の意見を聞きながらやってきた。日頃の積み重ねが1つの方向性を出せた。もう1つ、民生的なものでも市民の福祉条例をつくっていた。これは地域活動で、行政だけではできないとして始めていたので、そうしたことが定着していた地域はまとまりやすかった。やはり日頃の活動が大事だということだろう。

平峯:大災害に対しては、それぞれの経験の中で判断することが大切。また、歴史を学んでいくことは防災につながる。今回の大震災は経験にかなわないことだったが、備え方として一歩一歩着実に進めていくことが欠かせないと思う。

<会場からの意見>(抜粋)

A:ガレキの処理は近場で処分場を設け、合理的な方向で行うことが肝要。
B:津波ガレキの「効率的処理」と「復旧・復興への有効利用」について、マニュアル化、法制化が重要。
C:まちづくりの観点だけで対応を考えるのは無理があると感じた。
D:「安全は必要、安心していけない」という建山先生の言葉が印象に残った。
E:明快な解は今後の日頃の積み重ね。
F:「住民の意見の吸い上げ・合意形成」の方法論が重要。建山先生の南草津の事例は参考になった。
G:行政、住民の役割を明確にすることの難しさがよく理解できた。
H:防災機能を訓練だけでなく、普段使いするという考え方は参考になった。
I:どこ住むかというより、どこに住まうかが重要。その意味で地域のグランドデザインが必要なのだろう。
J:復興のスピードを考えると、L1対応エリアでの居住を認め、避難と建築制限のセットで事業スキームを策定すべき。
K:第2部の震災対策の意見は様々であるが、それ故に問題意識、解決の方法のさらなる追求のヒントになった。
L:論点が発散型で焦点が不明確な傾向が見られた。人口減少時代における日本型コンパクトシティー論を改めて論じてはどうか。工学的視点だけではなく歴史、文化、社会的視点を含めて。


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