「国境の島 交流と国防の最前線を訪ねて」

STUDY21 対馬・壱岐エクスカーション

 まちと宗教施設分科会(STUDY21)では過去に出羽三山、国東半島と英彦山、石鎚山等を訪れてきましたが、今回は離島とそこでの生活を見ようと考え、議論の後、対馬・壱岐地方を選びました。主な理由は天孫族や出雲族に依らない独自の神話を持っていること、対馬だけでも式内社が29座もある信仰心篤き土地柄であること、また壱岐では王都が発見されていることが決め手となりました。7月17日から20日に掛けて3泊4日の対馬・壱岐探訪に出かけました。参加者は高岡、小西、中尾、小山、井上の平均年齢64歳のメンバーです。今回の旅程については急きょ不参加となった今中氏に事前に緻密なスケジュールを組んでいただき、25カ所の史跡巡りとなりました。


万関(まんぜき)瀬戸
 今回の分科会の目的である個別の探訪先は後述します。1日目は関西国際空港から夕刻の格安航空PEACH便で福岡に飛び、博多天神でもつ鍋を、中洲の屋台ではラーメンで腹ごしらえ、博多港深夜発のフェリーで約5時間、壱岐経由対馬厳原港に朝5時入港、厳原港の船内で7時まで仮眠させていただき、いざ上陸。レンタカーで島内を走り回り10カ所の探訪、その日は民宿で宿泊し2日目が終了。同宿者は8日間の予定で博多から仕事で来ている土質調査会社の若い技術者2名。

 翌日、3日目は対馬島内を更に強行軍の金田城を含め4カ所探索の後、厳原港からフェリーで壱岐に移動。国民宿舎で宿泊し、4日目は壱岐島内を11カ所探索し、オプションの中尾氏の素潜り体験後、午後3時の高速船で壱岐の芦辺港を出港し無事、博多港に戻りました。今回、探訪した施設の大半が石段、道なき道の連続であり、更には島の文化を検証するために対馬・壱岐の造り酒屋にも立ち寄り、試飲と称する痛飲をしながら話を聞かせてもらいました(対馬は粘板岩で深さ5mの浅い井戸から甘露な軟水が湧き出るとの店主の話)。また、探訪した施設の大半の宗教施設に留守居の方が不在で、直接話を聞く機会がありませんでしたが、これも島国の古代からの島民のおおらかさでしょうか。


和多都美(わたつみ)神社

海神(かいじん)神社

 今回の分科会は標題の対馬歴史ガイドブックに記載されていたサブタイトル(国境の島、交流と国防の最前線を訪ねて)も念頭に壱岐を含めて4日間の探訪でありましたが、対馬は3世紀の「魏志倭人伝」に最初に登場する倭国(日本)のクニとして描かれ、「古事記」の国生み神話では本州や九州とならんで最初に創造される「大八島国(おおやしまのくに)」として描かれています。朝鮮半島まで49.5km(大阪~京都の距離)に位置する国境の島です。

 歴史的にも対馬は日本と朝鮮、中国、モンゴル、ロシアなどの複数の国家との「交流と軍事的緊張」の影響を強く受けてきました。弥生時代からの多くの遺跡、古墳からもその関わりが明らかにされ、遣隋使、遣唐使、遣新羅使、元寇、倭寇、秀吉の朝鮮出兵、朝鮮通信使、日露戦争において常に国境の最前線であり、現在では観音寺、木坂海神神社の新羅仏が盗難にあい韓国に持ち去られて物議を醸しています。白村江の戦いで敗れて667年に山中に構築された古代山城である金田城址(カタナノキ)。先人はよくこんな峻嶮な崖地に石積みを築いたものです。日露戦争では万関瀬戸を開削し(現代の土木技術でも難工事なのに当時の土木屋に畏敬の念)日本海海戦では水雷艇、駆逐艦群がこれを通ってロシアのバルチック艦隊に大打撃を与え、第二次世界大戦では島内に砲台等の軍事施設が設けられた址が今でも多く点在しています。まさに歴史を見続けた国境の最前線の島です。

 木坂海神神社は豊玉姫を祭る対馬国一の宮で旧社格は国弊中社であり300段の階段を昇ると社殿には菊の御紋章が飾られています。この様な格式高い神聖な神社に韓国の盗賊が土足で侵入し新羅仏を持ちだした事に大きな怒りを覚えます。和多都美(ワタツミ)神社は「海彦・山彦」伝説の弟の山幸彦が兄の釣針を探す旅でこの地で豊玉姫と出会い、これらを祭る海宮で5つの鳥居のうち2つは海中にあります。ここで興味を持ったのが神社に「日章旗」が掲げられ、「日本人に生まれて良かった。誇りを取り戻そう」という名もないポスター。海に突き出た鳥居の対岸に平坦で広大な山があり「オスプレイの基地には最適地」との感想も。帰阪後にこの話をするとヨットで遭難した辛坊治郎氏を救出した水上飛行艇のUS2の方が離島部には現実的とのご意見もありました。

 途中、複数の機会に韓国からの観光客ツアーに遭遇しましたが、休憩中の島民の観光バス運転手と雑談すると新羅仏盗難の顛末は観光には影響がないこと、韓国の観光客は海外の日本に来たというより、わずか30分で隣の島に来たという程度の感覚で民宿に分宿するそうです。

 同年輩の運転手さんが子供の頃には対馬には7万人いたそうですが、今は3万人と激減しており韓国からのツアーは観光資源になっているとのことです。中国・韓国の客のマナーの悪さには諦めの様子。ただ過疎化し中国、韓国の人々に土地や民宿が買われている現実には島民としての諦めと悲嘆が感じられました。帰阪後にツシマヤマネコが生息する対馬北部の民有原生林(東京ドーム5個分)が売りに出され韓国の木材業者が応札するらしいとの報道が流れましたが、対馬市の英断で財政難の中、4000万円程度で購入して1件落着。国の支援が求められます。 歴史的な信仰心篤き、交流と国防の島に出向くと「領土問題」は尖閣・竹島領有権問題に留まらない日本の歴史の中で日本人全体で守り続けるべき課題として実感しました。和多都美神社に張られていた「日本人に生まれて良かった。誇りを取り戻そう」と書かれていたポスターがいまだに心に残ります。

(文責・井上)


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