主張

友をえらばば

岩本康男

ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

 これは寺山修司がよんだうたです。彼は青森生まれということなので、故郷の友と久しぶりに会った時の心境がよく表れています。先日、高校の同窓会でも東京のアクセントがあふれていました。遠くから(東京が遠いとは老いぼれたと思いますが)来た連中は元気が良い者が多いので、数ではこちらで暮らしている者が勝っていても、声では負けるのです。若いときは東京に行くのが嫌だった。狭い日本、なんでこんなに言葉づかいが違うのか。おまけにエスカレーターで立つ位置まで異なる。一番気分が悪かったのは、この前まで関西の言葉をしゃべっていた仲間が、変なアクセントで話しているときです。しかし、この歳になると、抵抗がなくなってしまいました。

 グローバル化の時代というのに、そんなローカリティなことを言っていてよいのか。多分私が鈍感になったからでしょう。むかし、阪神高速の料金所でおじさんが「おおきに」と礼を言うのを、幹部の方が「ありがとう」と直させようという動きがありました。そのときはけしからんと息巻いていたのですから。

 もともと大阪は、色んな地方から来た人が活躍して、成長してきた街です。言葉に偏見を持つのは恥ずかしいことではありませんか。これからは東京弁どころか、フィリッピン訛りやインドネシア訛りの人たちに介護でお世話になるかもしれません。街の発展のためには寛容な心がなによりです。しかし、同窓会ではむかしの言葉で会話したい。

人の短を言うことなかれ、己の長を説くことなかれ

 これは空海の言葉と言われているが、そうでないという人もおられます。いずれにしてもこれは友として譲れないことでしょう。最近、インターネッ トではこの手の意見を書き込む者が多い。ひとの弱点を責めたり、こちらの勝っている点を強調している。オリンピックの誘致でも都知事はこれをやりかかった。もちろん勝負なので自分の方の良いことを言わないと話にはなりませんが、相手の弱点を責める必要はありません。ネットで、中国とか韓国のことを必要以上に悪し様に言っているのを見るにつけ、愉快な気分がしません。

 政治の世界ではそんなきれいごとを言っていられないことは分かりますが、少し虚しい感じがしてならないことがあります。むやみに敵対関係をつくり出し、相手を言葉汚くこき落とし、自己の正当性を強調する。市民のルサンチマンに訴えるようなやりかたは、本当に地域への愛からの発露なのでしょうか。政治の世界であればこそ、人格、経験に裏付けされた人としての魅力から発する所作に期待したいと思います。

 こんな抹香くさいことを言うようでは、自分ももうろくしてきたと自覚していますが、ひとは見かけが一番といった本が売れているのをみると、言葉はもっと大切にして、心が伝わるようにしなくてはと思います。

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する

 アランというフランス人の言葉です。藤圭子の自殺にはショックでした。中高年のウツが多い。社会的な役割がないと思うとウツになりやすい。歳をとってからの楽観主義は難しい。考えること自体が面倒になるので、気分に負けてしまいます。好好爺にあこがれます。

 経済でも、防災でも専門家は楽観的なことは言われない。特に震災の先生は。しかし、たとえ科学的な根拠があろうとも、国民に脅しのように聞こえては、逆効果になりませんか。報道の仕方もそれに輪をかけている。防災で楽観することはありませんが、大いに物心の用意をして、楽しく暮らしたらよいのです。

 

 脈絡のない話でしたが、最近こだわっていることを書きました。しかし、自信があるわけでもありませんので、違うご意見のある方とも、仲よく一杯飲 みたいと思っております。狭い了見で相済みませんでした。


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