主張

西洋的都市計画からの脱却

平峯 悠

 戦後、多くの西欧の調査団が来日し日本を評価したが、衝撃的であったのは“都市・まち全体がバラバラで雑然とし、都市計画の痕跡もない”、“日本の家屋は木で出来た貧弱なマッチ箱のようである、ウサギ小屋である”、“日本の道路は信じがたいくらい悪い。工業国にしてこれほど完全にその道路網を無視した国はない”などのフレーズである。このような評価に対し、土木建築の技術者をはじめ多くの人達は、そんなことを言わせてなるものかという思いで都市基盤や道路網の整備、住宅建設に邁進してきた。成果を急いだこともあり、日本の風土や伝統的な住まい方、地域コミュニティー、クルマと人間とのあり方等を十分検証することなく、道路をつくり、長屋はじめ戦後の不良住宅、木造住宅を改造するとともに、大規模住宅地開発や公営住宅・高層住宅の増産に努めてきた。

 その結果として現在、国土や都市、町は大きく変わったが、来日する西欧人の都市計画からの評価はあまり変わっていない。さらにこれまで西欧諸国を調査・視察、観光してきた多くの日本人は、さすが西洋の都市は素晴らしい、統一がとれている、日本もそのような都市を造らねばという感想を述べる。そして今でも何らかの劣等感を持っている人が少なくない。これらは戦後の日本における、都市計画における呪縛ではなかろうか。

 NPO地域デザイン研究会発足後の活動や、自主研究としての地域遺伝子、歩行者空間調査を通して、このような日本の都市計画の問題点が明確になりつつある。西欧では、①都市軸とそれを基本とする対称性、門などを中心に建物と空間を関連づけて配置する、②都市(シティー)と田園(カントリー)を明確に区分する、③西洋の街路にはサイドウオーク(歩道)があり、公と私の区分をはっきりさせる、④産業革命以後環境悪化を防ぐための用途制を厳格に適用し、地域を秩序立てようとするなどである。一方、日本の都市の成り立ちの多くは、起伏に富んだ地形の上に自然発生的に出来上がった村落共同体が基本である。即ち多様な画地と民家集落、地域の産土神をまつる神社、鎮魂のための寺院などの宗教的施設などからつくられた混合体が根底にある。また道(街路)における公私の区別が曖昧であり、結果的に歩行者空間と車道等が一体となった道路が多い。さらに現在でも田畑が都市内のあちこちに点在しているのも、西欧で言う田園と都市の区分が曖昧であるからである。

 このような日本の地域に西洋的都市計画の考えを当てはめようとしても本来ムリがあろう。現行の都市計画法は西欧の影響を強く受けており、高度成長期には一定の役割を果たした市街化区域・調整区域、いわゆる線引き制度、住まいから家内工業、商業が混在する地域の用途純化を目的とする用途容積制、神社仏閣を都市計画に位置づけることのできない法制度などは見直さざるを得ないのではないか。

 今後の人口減社会、年齢構成の変化などに対応するには西欧都市計画への思い込みを払拭し新しい都市論を提起すべきである。依然として人・金・モノの集積が進む東京首都圏は例外として、地方都市を生き生きとした地域にするには、昔の面影や伝統を残す下町或いは諸処に残る旧集落(村落)及び“ハレ”の場である都心や中心市街地、日本民族の原風景である農地や里山などをどのように計画し、人々の定住と安寧を図っていくかが都市論の焦点となろう。広域的な地域の方向性を議論するのは勿論のこと、エリア設定とその特性分析を行い計画することが重要である。 日本全国各地では素晴らしい地域再生の要素が十分残っている。これらを顕在化させることこそ新しい都市論の始まりになると考える。


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