悠悠録

宇沢弘文氏―その功績―

平峯 悠

 ノーベル経済学賞に最も近いと言われた宇沢弘文氏が亡くなられた。私自身、直接教えを受けたわけではないが、都市計画や交通問題への取り組みの中で極めて大きな影響を受けた学者のひとりである。宇沢氏は1928年生まれであり、戦後の荒廃した国土の復興や高度成長期の社会を実感され、時代に応じ鋭い分析と経済理論を展開された。“もはや戦後でない”という言葉で象徴される昭和30年代の半ばから人口や産業の都市集中が始まり、クルマ社会の入り口に立っていた。その中で角本良平氏、岡並木氏などは、自動車は不完全な乗り物でそれを制御するには、教育や都市づくりで人命最優先の思想を広め、クルマを受け入れるための社会的な議論を徹底することを求めていた。しかし議論をおざなりにしたままクルマ社会に突入した結果、毎年1万人を超える交通事故の死者を出し、同時に環境汚染が大問題となった。1970年の大阪万博は「人類の進歩と調和」を理念としていたが、経済効率優先の開発が先行し工場や自動車から排出される環境負荷は社会に大きな影響を与え、「調和」には程遠い状況であった。

 そのような背景の中で1974年(昭和49年)「自動車の社会的費用」が岩波新書として発刊された。私はその第1版(同年6月)を購入したが、付箋や赤線が引かれ手垢のついているのを今見返すと、大きな衝撃を受けていたことを覗わせる。私が都市計画を志した原点は「安寧と幸福に満ちた生活の実現」にあったが、社会人になって10年後に具体的な方向を与えてくれたのが宇沢弘文氏であったのではないかと思っている。高度成長期の日本にあって、車社会に警鐘を鳴らし、社会経済的な視点でどのように考えるべきかを問うたのは勇気のいることであったのではなかろうか。経済界や建設業界、霞が関は成長のシンボルとし、道路造りに邁進し、環境やその他のマイナスを軽視する風潮があった中での大胆な警告であった。そのため私は宇沢氏が反体制の学者ではないかと疑ったこともあった。それ以後、再び目にしたのが2000年11月発行の「社会的共通資本(岩波新書)」である。社会的共通資本の類型として「自然環境」「社会的インフラ」「制度資本」とし、さらに都市再生は人間復活のためのルネサンスと位置づけたのは並の発想ではない。

 現在の日本では未だに交通事故がなくならず、特に子供の集団にクルマが突入するという悲惨な事故が頻発している。全ての道路を歩車道分離できるものではなく、また日本の都市や町の成り立ちからクルマと人とが混在する道が無数にある。事故を防ぐにはクルマの利用を制限し、罰則を強化するしか方法がない。デング熱や原発による放射能汚染などは殆ど実害のないのにマスコミや世間は騒ぎ立てる。しかし交通事故などはいつも一過性のニュースに終わってしまう。将来の日本を背負う子供達の生命を奪って平気でいる風潮は許せない。技術が進歩してもクルマは不完全な乗り物であることに変わりはなく、原点に返り人間優先のまちづくり、クルマの社会的費用の重要性を改めて議論すべきと考える。学者というのは10年先、20年先が見通せる人というが、それにしても宇沢弘文氏は凄い人であったと思う。


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