主張

都市も農村も消滅させない

平峯 悠

 2014年5月に発表された増田レポート「消滅可能都市」は、全国自治体はじめ多くの人々に衝撃を与えた。出生率の低下による人口減は避けられず、膨張した都市地域における地方自治体の行政サービスが困難になり、特に523の都市が「消滅可能性が高い」という。それに対し一般的なマスコミの論調は、日経新聞9/27日の記事「今後の高齢化社会では、人々が分散して生活していれば病院や介護のネットワークが間に合わない。従って主要都市圏ごとに中核都市を形成し都市部の高層住宅に高齢者を誘導するとともに、周辺部からの人口移動を促すコンパクトシティー化しかない。人口減社会では都市の規模の経済を活用する合理的な行動をとる必要があり、それを過疎化の原因として抑制すれば、都市も地方も共倒れになる(要約)」に代表されよう(下線は筆者)。

 日本ではこれまで様々な課題に直面してきた。敗戦による国土消滅の危機、高度成長期の環境問題、地域格差と地方分権、阪神淡路大震災を契機とする価値観の変化等である。目指してきたのは、自由主義経済活動、平等と公平、移動の自由のもと日本国民全てが豊かになり安心して暮らせることであった。しかし地域によっては人口減少に直面し、地域活性化のための大胆な取り組みを行ってきた市町村も多い。地デ研が現地シンポジウムを開催した鳥取県智頭町、徳島県上勝町、高松市丸亀町などにおいても独自のまちづくりが進行している。共通しているのは補完性の原則を守り、自立、自助・共助を大切にするという考えである。少なくとも効率(経済)からは脱却しようという強い意志が感じられた。

 このような流れを「増田レポート」はどのように考えるのか。一部の地方都市は消滅するのは仕方がないとして諦めるのか。北海道・東北、日本海側の都市および近畿圏でも奈良・和歌山、大阪では千早赤坂、能勢、南河内の都市などが消滅あるいは消滅可能都市に名を連ねる。農村集落や農業を主たる産業とする都市が消え、多くの人を飲み込んだ都市だけが生き残るという。日本文明の根底にある「自然観」「宗教観」「秩序観」「道徳観」「倫理観」などは都市社会よりも地方の生活の中で築きあげられてきた。現在進行している田園回帰の流れも日本が誇る各地の地縁文化・食文化等も多様な地域構造が生み出したものである。経済効率や行政サービスも重要ではあるが、同時に文化・伝統・人々の多様な生き方・暮らし方の議論も欠かせない。

 増田レポートが示す危機感は全て「少子化」の問題に帰着する。少子化については

  1. 雇用や所得の向上は出生率の上昇には必ずしも寄与しない、

  2. 大都市ほど出生率は低く、

  3. 地域全体で子育て環境を作ると出生率は上昇する、

  4. 暮らしの余裕と安定した家庭が出生率を上げる。

 このような環境は都市より農村、都市部より近郊に整っている。要は全国的な都市化により、都市と農村の関係が激変し、家族や地域、就業場所にアンバランスが生じた結果が少子化である(*)。20世紀の都市計画が間違ったのか、国や行政の関与・先導によるコンパクトシティー化、人口再配置・人口減少戦略などしか道がないのか。

 全国の都市はそれぞれ成立の経緯が異なり、独自のキャラクターを持つ。農村集落を核とする都市から港町、宿場町、城下町、寺内町、鉄道を核とする都市など様々で、人口構成、交通、住宅、医療対策もまた人々の価値観や生活意識も異なる。人口減は国の存続を左右する重要課題であり、その解消のための方向性は共有しつつ、個々の都市・地域毎に様々な選択肢を策定し、市民住民の判断に委ねる必要がある。地域のことは地域で決める、衰退するかどうかも住民の選択であり、そのための材料や情報を示すのが行政の役割である。そのモデルともいうべき智頭町が消滅するのか。勤勉で真面目な日本人はそんな柔でもないし知恵もある。都市も農村も消滅させてはならない。そのためにも地域計画や都市計画の理念や枠組みを再検討する必要がある。 

*「地方消滅の罠」山下祐介 ちくま書房


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