REPORT問題提起:東北復興の仕方はこれでよかったのか?
岡村隆正
5回目の3・11が来た。東日本大震災は過疎地での災害、しかも原発事故も重なり、この5年間に25兆円もの税金を投じてきた。それにも関わらず、復興の先の明るい生活、地域が見えない。地域デザイン研究会でも2012年8月に現地調査をし、2013年2月にフォーラムも開き、問題提起をしてきたところである。未曾有の被害、特に人命の損傷が大きかった今回の復興については、政府は無限の予算をつけて復興事業を進めてきており、異論を唱えることは倫理的に許されない雰囲気は感じているが、今回、私が昨秋に再訪した現地の状況も踏まえ、情報不足、浅薄非才は恐れず、あえて粗い問題提起したい(原発避難区域の地域づくりまでは力及ばず)と考えている。様々な意見を頂ければ幸いである。
1.東北再訪
今回の訪問は、現地の生の声を聞こうということで、役所の説明ではなく、市民の語り部をお願いした。まさに市民感覚の情報ではあったが、時間もわずかで、地域の一部の事情を知ったものである。
(1)2015年9月25日、陸前高田(陸前高田観光ガイド 新沼岳志会長)
津波水位の表示
ものすごい高田松原が復元され、その陸側に12.5mの堤防がそびえる
用が終わったベルトコンベア
ちょうど嵩上げ造成工事が概成したときで、山から引かれた動かなくなった高架ベルコンが林立したままの状態だった。
高台移転とまちなか嵩上げを基本にした住宅再建計画
語り部によると、移転契約がきっちりされずに見切り施行されたらしく、移転利用されない空地が結構出るという話であった。
5年の仮住まいは長過ぎ、元の地に戻る人は激減すると思われる。(震災後4年半経ってやっと概成で、これからインフラ整備の1年以上かかり、先が見えない)
高田松原については、建築制限がかかった広大な土地に、津波復興記念公園が整備されるようだが、管理問題(国または市)は決まっていないらしい。
(2)2015年9月25日、大槌(語り部ガイド 赤崎幾哉さん)
復興計画
住民が思い出して自宅周辺を再現した模型
・高台移転を基本にしつつ、浸水区域の嵩上げもし、安全な宅地に再建することを計画。
町の中心市街地である町方地区震災復興土地区画整理事業は、話し合いが続いており、事業の目途は立っていないよう。今は、高台の集団移転地の募集がされている。
働く場所がなく、若者は都会に流出しているようだ。
(3)2015年9月27日、石巻(石巻・大震災まなびの案内)
背後丘陵から市街地(海側)を臨む
復興した卸売市場
高盛土道路から海側は公園等の整備、内陸側は土地区画整理事業、防災集団移転促進事業により住宅再建の計画。
日本製紙工場の山側の大街道地区では、部分的に嵩上げ工事をしつつ住宅再建が始まったばかりのようだった。
石巻駅前の百貨店の空家に市役所が入居し、駅前のにぎわいは戻ったと思われる。
石巻魚市場は、巨大な施設であったが、その山側の水産加工工場は徐々に復旧しつつあるようだった。
2.復興計画再考
(1)住居再建の遅れ⇒人口減に拍車
発災から5年が経過し、災害公営住宅の募集は始まってはいるが、自宅の再建は始まったばかりである。
時間がかかっている原因は、想像を超える大規模な造成、権利調整が必要な「高台移転」「まちなか高台」「現地嵩上げ」を選択したため。
そのため、故郷での再建を待ちきれず断念、避難先周辺などで再建する人が増加。
(2)産業復興の遅れ⇒自立の減退
漁業、水産加工が主たる産業であるが、高齢化、販路離れなどに加え、現地の自治体、復興事業、地元産業などすべての職場で深刻な人手不足となっており、その結果、地元産業は元の半分程度の復興状況で、先が見えない。
3.問題提起:巨大土木型・中央集権型復興計画への疑問
(1)教訓は活かされたか?!
今回の震災の教訓を一つ言えと言われれば、間違いなく「津波てんでんこ」だと思う。つまり、地震直後は「すべて打ち捨て、高いところに逃げる」ことが、命を救うことになるという認識である。
しかし、復興計画で、本当にそれが活かされているのだろうか。想像を絶する巨費を投じてつくられている巨大な堤防、巨大な宅地造成などは、人々に「地震が来たら逃げる」という教訓を忘れさせるのではないか。
(2)持続可能ないい地域ができるのか?!
◆生活再建が遅れていること=多くの住民が元の地に戻らないこと
自立なくして復興なし。震災があっても、人は住処で心身を休め、仕事で稼がなければ生活を続けられないし、自立できない。従って、復興に当たっては、「住宅」と「仕事」の確保が最優先事項となる。
5年経った被災地では、避難先周辺で自宅を求める人が増えているようだが、生活感覚から言って、自宅再建までの期間は、3年が限度と思う。
一方、人が減少する地区では、生活を支援する様々なまちの機能(生活利便、医療、福祉、教育施設など)を整えるのは困難となるだろう。
この生活再建が遅れた原因は、防波堤の高さを決めることや高台移転や嵩上げなど極めて長い時間がかかる事業を選択したためである。
◆海を資源とした水産・観光が主産業であるが、海から隔絶された地域になること
例えば、気仙沼で、数十年~百数十年の頻度で発生する津波(L1)に対する防潮堤高さは、最大15m(幅100m)にもなる。その陸側のまちの計画に関わらず、巨大防潮堤がそびえることになる。
地域づくりは、地域の自然や風土、歴史に基づき、ソフト施策・ハード施策の両面からの多様性をもったものである。そのため、地域の事情を知った地域で責任を持って決める、できる限り次世代に大きな負担を残さない節度をもった段階的な計画によることが求められる。
ところが、防潮堤は国通知で決まり、国や県が整備するとすれば、地域には負担はないが、地域環境、景観、にぎわいや危険度なども織り込まれた責任ある地域づくりはできないことになる。
風光明媚な海岸の巨大堤防と高台居住は、海が見えない、あるいは海まで車で移動という生活になり、水産、観光などの海が生業の人々を海から遠ざけ、結果、生業を成り立たなくし、自立できない地域をつくってしまうことになると思う。
(3)復興事業の仕組みに根源的な問題がある
防潮堤は国・県、地域づくりは市町村という縦割り。(防潮堤と地域づくりの関連性がない)
自由度がない計画基準。(地域の事情で変えれない)
復興交付金は採択基準・執行年度が厳格に決められ、地元自治体の自由度はなく、極めて乱暴な決断を迫られた。
災害危険区域の指定は、使い道のない広大な土地を生み出した。
4.これから必要な仕組み:地方主権の地域づくり
国(復興庁)主導ではなく、地域の事情に最も精通した県・市町村が責任を持って、短期、円滑に実施できる仕組みが必要である。
自立につながる復興の最重要ポイントは、スピード。遅くなるほど、住民の合意形成が難しくなり、自立再建できず、まちとして成立しなくなる。
(1)復興交付金
復興交付金は、事前に算定式を準備しておき、被災直後に、被災度を基準に総額を算定し、その一定額(例えば2/3)を、被災3県を含んだ東北ブロック(道州政府想定)に、使い道を問わず交付。
(2)土地利用規制と基盤整備
地域の地形条件等により一概に言えないので、基本的な整備イメージとして示すが、地形を活かし、できるだけ巨大土木事業を避け、自主再建までの時間短縮を図ることを旨とし、巨大防潮堤は整備しないことを基本とするが、安全な台地造成には一定の土木事業は許容せざるを得ないとした。
この地域の航空写真を見ると、大部分は山で、河川の扇状地や河口のわずかな平地に人が張り付いている。
そこに概ね100年に1回、必ず地震津波が来るのだ。人生50年の昔なら「100年先を考えても」ということで、現位置(低地)復興もあり、それを守るため、それなりの防潮堤整備もあったと思うが、長寿社会を迎えた今、100年程度先にも明らかに津波の氾濫原となるところでは、すばやい避難が難しい高齢者には酷だし、ちゃんとした人も産業も張り付かないと思う。
そのため発災1か月後には、津波浸水区域を、歴史地震でも補足しながら、「津波氾濫原」として指定(不動産取引の重要事項となる)し、都市的土地利用をしないようにする。
土地所有者には、以後、そこの土地利用は、あきらめてもらい(使うなら自己責任となる)、当面、ガレキ処理もせず、そのまま放置する(買い取り、ガレキ処理は、人と時間がかかるのでしない)。また、当然ながら津波氾濫原を守る必要はないので、巨大防潮堤は整備しない。
使えなくなった津波氾濫原に代えて、一定規模の港湾・漁港を再建する位置を決めつつ(このとき港湾・漁港の集約再編は必須)、そこに一番近い、海に面した「山」を強制的に買収取得し、津波高以上の位置に、土量バランスの上で「台地造成」。固定資産台帳による面積(価値)を無償で提供する。(ちなみに、陸前高田では箱根山山麓、大槌町では役場の裏山、石巻では牧山山麓を想定)
造成台地と港湾・漁港とをわかりやすく結ぶ道路整備。鉄道があるなら、造成台地の中心部を通るように付け替える。
ここで必要なのは、ここまでを3年内でやってしまえるように、津波氾濫原指定と強制買収、造成それに加え、緊急発注制度など、短期勝負ができる仕組みを用意すること。4年目からは、居住・産業の自主再建ができるようにする。
産業復興までの避難者の主な仕事は、以上の「わが町再建の基盤事業」(復興ニューディール)についてもらうことになるが、地域に必要な雇用量に合った適切な量を考える必要がある。今回のような急激で過大な復興事業は、人手不足、資材高騰を招き、却って復興を遅らせ、地域の産業構造を歪めることを十分認識すべきだ。
(3)復興計画と合意形成
東北ブロックの自立的経営も視野に入れたヒューマンスケールの段階的な計画を作ることになるが、最も初期段階の基盤整備については、3年程度の短期間でやる必要がある。東北ブロック、県、市町村、専門家で協力して策定することになるが、人材不足を補うため、外からの専門家の協力も乞うことになる。決めるのは、あくまでも地域であることが必要。
まず、どの地域でもやっておくべきこととして、「事前復興計画」の策定がある。そのための地域の住民の話し合いの場として、「(仮)まちづくり協議会」の設置も必要である。
地区ごとの話し合い、情報交換を円滑にできるよう避難所を地区ごとに割り振るなどの工夫も必要。
(隣接市町村との連携も考慮した)市町村単位の都市基盤の復興計画素案を発災後3か月でつくり、3か月かけて合意形成。復興交付金を配分し、2年半程度をかけて施工することになる。
この基盤整備が終わるまでの期間が、都市機能の配置、高さ、デザインなどを決める地区計画を住民により策定するとともに、各自の再建計画を作る時期になる。