REPORT

<行程等>

◇日時:平成28年11月6日(日)~8日(火)

◇参加者:今中、小山、中尾、小西

◇方面:岡山県南部(井原市、倉敷市、総社市、岡山市、赤磐市)

◇視察先(小山車にて、走行距離690km) 阿智神社/磐座、石畳(いわだたみ)神社/巨石、妙福寺/カレンフェルド(=石灰岩に含まれる炭酸カルシウムが雨水や湧水によって溶け出し、岩に多くの溝をつくったもの)、岩神(いわがみ)神社/ゆるぎ岩、最上稲荷/題目岩、消渇神社、備中国分寺、総社宮、吉備津神社、下津井の町並み

STUDY21 吉備路紀行

~「地形・地質と宗教施設との関係」シリーズ第3回 研修旅行記~

 熊野、遠江に続く「地形・地質と宗教施設との関係」シリーズ3回目の研修旅行は、岡山を選んだ。17もの聖石があり、また近場なことがポイントだった。名前の知られた吉備津神社、備中国分寺、最上稲荷なども回ったが、研修後参加者が口にしたキーワードは、「岩と暮らし」「水害と豊穣」であった。そこでここでは、宗教施設と人々の日常生活との関係性が偲ばれる「妙福寺と地神」「岩神神社」を取り上げる。

●岡山豆知識

 「晴れの国おかやま」、降水量1ミリ未満の日が年間276日もあり、日本一であることに由来する。しかし、洪水には弱かった歴史がある。中国山地を源とする吉井川、旭川、高梁川は隆起準平原の吉備高原を削って南下する。


地神さま

カレンフェルド

ゆるぎ岩
 中国地方は、かつて鉄の大産地だったこともあり、県北に産出する磁鉄鉱を多く含む山陰花崗岩類を採取し「鉄穴(かんな)流し」で砂鉄と土砂に振り分けた。さらに「たたら製鉄」に用いる木炭づくりのため樹木が伐採され土砂の流失が進んだ。児島湾や倉敷で新田開発が進んだこともその延長上にある。かの地は、九州と同時期に大陸から稲作が伝わり、生育条件が適合したため、いち早く安定した生活が可能となった。また「たたら製鉄」により武具や農具を生産できたことから吉備の国は強い勢力を持っていた。それを恐れた大和政権は政治同盟や、婚姻関係により融和をはかりつつ、大化の改新を経て備前、備中、備後に国を分割してしまった。

 今回訪れた三備(備前・備中・備後)の一宮と称せられる吉備津神社は、吉備の中山の西麓にあり、備前一宮である吉備津彦神社はその東麓にある。つまり吉備の中山に国境が存在している。

 ●妙福寺(井原市芳井町)と地神

 広島県境沿いに北上していくと真っ白い肌をさらしたJFEの石切場が見えてきた。妙福寺は、その向かいの砕石場裏手の台地上にあった。周囲を絶壁で囲まれた標高400mのカルスト台地の上には森林やドリーネ(凹み)や人家が点在し、農耕が営まれていた。妙福寺は日蓮宗の寺で、カレンフェルドの石庭に特色がある。カレンフェルドの間に大木が根を張った自然任せの庭は、「不染庭」と名付けられていた。「不染」とは、心を清浄にするという意味だそうだ。山門の「今日の聖語」と寄進一覧から、お寺と住民との深いつながりが窺えた。

 この集落には八幡神社もあるが、付近を歩いているとき道端にお堂を見つけた。5、6人が座って読経できるほどの板張りの床と祭壇があり、3体の仏像が並んでいた。鴫川沿いを走っている時このお堂とよく似た建物を見かけて気になっていたこともあり、立ち寄ることにした。お堂は高原集落で見たものともよく似ていて、その横には、「地神」と彫られた石柱が立っていた。自然石に「地神」

と刻んであったが、県南では五角形の石柱が多いとのこと。春の彼岸の中日に近い戌の日には、山の神様が地に降り土地を守ってくれるので、一日中田畑をほってはいけないそうだ。お堂に通じる道には草がかかり、お堂もうっすらと砂埃が積もっていたが、お参りする人があるようだった。しかし対岸の5件ほどの民家には、今は人の住む気配はなかった。

●岩神神社/ゆるぎ岩(赤磐市惣分)

 岩神神社は、岡山市の中心部から北東24㎞ほど、吉井川と旭川とのほぼ中間の小高い山の山腹にある。「山腹崩壊危険地」の看板のそばで道を聞くと、「その先の角から歩いて15分ほど」と教えてくれた。舗装が途切れ、廃屋を過ぎると登りが急になってきた。幅一間ほどの道は黄土色の真砂土。先年広島の豪雨災害地のそれと同じだ。「岩神神社」と手書きされた案内に導かれ25分かけて岩神神社に着いた。拝殿の奥にご神体の巨石群があり、「ゆるぎ岩」はその一つ。舟型状の約5mの岩が一点で台石と接し、それを支点としてシーソーのように上下に揺らいだ。花崗岩が節理に沿って割れ風化して生じたもので、自然の造形によるそうだ。例祭は4月。拝殿の横には玩具の刀や木刀が供えてあった。

 岩神神社のあるこの字の世帯数は101世帯であり10年前よりも1割ほど減少している。しかしあの長い山道の管理状況をみると、住民の岩神神社への強い愛着とともに神社を核としたコミュニティが機能していることを感じた。

 ところで、酒米と言えば「山田錦」といわれるが、そのルーツは、岡山の雄町米だそうである。県内には酒蔵が48軒。それで作った地酒と「蛸のフルコース」を下津井の料理旅館で賞味した。岡山という土地の恵みをいただいていることを実感する夕餉(ゆうげ)だった。

(文責:小西道信)

<参加者のひと口コメント>

◇岡山県山陽筋は瀬戸内気候の温暖な柔らかいイメージがあるが細かく見ると、基盤をなす花崗岩がむき出しになっており、荒々しさを感じる。そこには、低湿地で稲作をしながら、このような岩石を神秘性をもって仰ぎ見たであろう古の人々の生活が想像される。その岩石がご神体となった神社が今でもみられるのが、この地域の面白さであった。

◇岡山吉備路の寺、神社様式の多様さに堪能しました。かの地の地形、気候風土、それに温泉・酒・山海の食物の豊富さが豊かな文化を生む土壌を育んだのでしょう。

◇石灰岩の上に建つ妙福寺、阿智神社(日本庭園の石組の起源?)、石畳神社、岩神神社等々、基盤となる岩石(奇岩)が神秘的な要素を秘め地域の神々としてまつられ、神社周辺に小集落があり、これら神社が地域のコミュニティを形成する大切な一因であったように思われ、まちづくりの一端をみたようで、大変おもしろかった現地視察でした。


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