読者の声

■闇鍋選挙からこの国を考える

年越しの「そば」から始まった政界の流れが、今や「闇鍋」になってしまった。法案を強引に成立させたり、岩盤規制打破と言いつつプロセスも明らかにせず官僚に忖度させ、友達に事業をさせたり、不都合な公文書を簡単に破棄させたり。頭が良いのか悪いのか、すぐに記憶を失ったり。

 「この道しかない」などと言って日銀の独立性を踏みにじり、次世代にツケを回すだけの効果の上がらない金融超緩和の一点張り。いつデフォルトしても不思議ではないところまで来ているのに、相も変わらず選挙対策の潤沢な振る舞い予算を続けている。

離れかけた民意を気にして大義なき解散をするも、にわかに大義としたのは、2年先の増税の使い道を緩い方へと変更することを問うとは恐れ入る。そうこうする内に弱過ぎる敵が自滅。にわか仕立ての希望の船に難民みたいに大勢で漂着し、今までの主張に蓋をしてまで立候補することに。どっちにしても、中身が分からないものを我々は食べ(選択し)なければならない厳しい事態となってしまった。

これほどに国政が劣化した原因は、政党が今までの仕組みでは民意を汲み上げられず、スローガンだけの看板だけとなり、さらに政策形成・人材育成能力を完全になくしたこと。その背景として、国政が溝蓋から外交まですべてのことをやり過ぎて多忙極まること、また、それを市民の目が届かない遠いところでやっていることにある。

アメリカでは新しい大統領が間違った政策をしようとしたとき、州政府がブレーキをかけ、国に任せられないところは州が連携してやろうとしている。北欧の小国は、幸せ度が高く成長力も高い国になっている。大き過ぎるときは分割し、それぞれが自立していることが今必要になっているのだ。これを我が国に当てはめると廃県置州(道州制)となる。大雑把に言えば、中央政府は外交、防衛、通貨、全国的基準などに専心すべきで、思いつきや数の力だけで重要事項を決めるのでなく、専門知識を持った政治家として、十分な議論を行う。10前後の道州で、市民の目が届く圏域で民生を主とした様々な政策に専心する。これにより東京一極集中が無意味化し、高齢・少子化問題にも本質的な対策ができるようになると思う。

我が国の政治の劣化を食い止めるため、統治機構を再考するときだと思うのだが、いかがなものだろうか。(T・O)


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