主張

「道徳」考

山部 茂

 今年1月22日に召集された通常国会も、延長も含めて7月22日に閉会した。今年の前半は国際情勢、国内政治、災害などを含め、例年より懸案事項が山積の時期ではなかったかと言える。しかし与党の絶対多数により、国会審議のやり方も絶対多数による強行採決の連続で実に荒っぽく、民主主義のあり方を深く考えさせられるものでもあったと感じている。特に政と官のトップ達の言動は、目を覆いたくなるほど庶民の感覚からかけ離れ、逆にこちらの常識が狂っているのではないかと思うほどである。

 その同じ政権が、大津市で発生した悪質な「いじめ自殺事件」をきっかけとして「道徳教育」の重要性を喧伝し、2015年に学校教育法施行規則が改正され、本年度から「道徳の教科化」と教科書採用が始まりました。この場では、この件の政治的な側面には、あえて述べずにおこうと思っていますが、最近の政治家の言動や高級官僚の行動、国会での答弁、さらには公文書管理の在り方がどういうふうに行われたかについて検証し、道徳教育のあるべき姿についての「私見」を述べてみたいと思う。

 例えば我々が習った道徳の1つに、「嘘をつかない」というのがありましたね。この言葉は当たり前のこととして、幼児の時から教えこまれ、ある意味では人間として最低限のモラルの1つとして認識されています。しかし国会では、野党議員が公開された文書をもとに追及しても、「言った、言わない」、「会った、会わない」の議論にすり替えたり、捏造であると言い換えてみたり(第3者による検証作業などは放棄)。そのうえ新しい言葉として「ご飯論法」なるすり替え答弁でごまかしてみたり、最後は犯罪ではないと開き直ってみたり(道徳観の破棄)。とても子供達の道徳教育の手本には程遠い状況が続きました。

 そのうえ特定の利益を得た関係者、学園理事長などは、民間人だからとの理由で国会招致はおろか説明責任も果たさず、「あらゆる岩盤規制を突破する」と強調していた特区制度も、結局はお友達だけが得をして終わりそうな気配である。省庁の幹部職員もセクハラへの認識欠如や、総理への忖度による公文書書き換えと証言拒否、さらには1年も前に「無い」と言った文書が出てきて、当時の防衛相の発言が覆される事態になったりと、とても民主主義先進国であるとは言えない、この半年間の国会であった。

 こういった国の体制のお粗末さの露呈が、国民の道徳観にどういった変化をもたらすのだろうか。また、同時発生的に生み出された世界の大国における強権的かつ独裁的なリーダーと、それを支える狂信的ともいえる多数の国民の存在は、我が国の国民の心の中、つまり「道徳観」にどういった影響を与えるものなのか。

 この10年に急速に発展したネット社会のうちSNSの利用は、国家による統制のある国家も含めて、個人の価値観や行動にどういった影響を与えるものなのか。政治家自らがSNSを駆使して自分の意見を語ってはいるが、一方的な意見の披露にとどまり、その周りにいる同意見の同調者で盛り上がっているだけにしか見えないのは、私自身の偏見なのだろうか。

 新たな健全な世論形成のあり方と、相手の意見のうち、少数であっても有用なものは積極的に議論の俎上に載せ、実現していける社会を私は望んでやまない。


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