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読者の声

モバイルの功罪

 地下鉄で向かいの席に座った6人全てが、手に持ったスマートフォンに夢中。こうした光景を以前は異様に感じたものだが、嫌ではあるがいつの間にか慣らされてしまった。 スマホで何でもできる、いわゆるモバイルインターネットの普及・浸透は、お隣の国、中国が群を抜いて進んでいるようだ。上海在住の知人・王さん(20代の女性)に聞くと、中国人の仕事や生活に天地を覆すような変化をもたらしたと表現する。中国の若い世代がよく使う携帯アプリは、コミュニケーションアプリの「微信(WeChat)」、お財布アプリの「支付宝」をはじめ、買い物アプリ、テイクアウトアプリ、自転車共有アプリ、ビデオアプリなど様々にあるという。それらの普及が彼らの生活をぐっと便利にした。外出先で現金を使わなくていいし、レストランや病院、タクシーの予約ができるようになった。コミュニケーションアプリは友達同士の意思疎通や交流を緊密にさせ、会わなくたって、それぞれの近況が分かりあえる。

 時間節約を含めメリットは確かにありそうだ。その一方で、モバイルインターネットにも多くの弊害があると、彼女は若いながらも指摘する。例えば携帯電話を忘れたり、電池切れになったら、不安でうろたえてしまうだろうと。彼女の生活は10年前とは大きく変わった。例えば本を読む、テレビを見る、新聞を読むという機会は格段に減ったそうだ。同時に大量な情報が生活を素早いものへと変えてしまい、心静かに本を読む機会すら難しくしてしまった。

 家族との意思疎通の場面-。「微信」が便利になればなるほど、電話することも少なくなり、じっくり話し合う機会は減った。10年前、春節の夜には一家そろって春節交歓晩会(=日本でいう紅白歌合戦)を見たものだが、携帯上で楽しめるものが多くあることから、家族団らんの光景は、懐かしい過去のこととなってしまったという。 事態の急変は、日本でもしかりである。スマホは便利だが、果たして便利さは人々に幸せをもたらしてくれるのだろうか。その逆で不便さの中にこそ、幸せが見つけられるのかもしれない。私はそう思うのだが、そんな助言は今どきの若い人たちには、たぶん「馬耳東風」「馬の耳に念仏」ということなのだろう。(シオマネキ)


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