REPORT

西日本水害の被災地を訪ねて

奥村組 関西支店 立間康裕

 このところ地震、大雨、台風と自然災害が日本各地で発生しており、大阪においても災害に対する様々な課題が表れてきている。そんな中、災害防止のヒントを得るため、8月に発生した西日本水害の被災地である広島県呉市(土石流)と岡山県小田郡(河川の浸水)を視察してきた。


坂町小屋浦の状況
●広島県呉市:坂町小屋浦地区

 呉市は山地が海に迫っており、川筋に集落が集まっているような形状が連なっている。平坦な敷地が少ないこともあり、山の中腹まで低層住宅のミニ開発が進んでおり、地質(古い真砂土)も起因し、これまでも山崩れ、土石流により被災している。広島県は、「土砂災害警戒区域」が全国で一番多く(約50/660千カ所)なっている。 視察したのは天地川に沿った坂町小屋浦(人口約1800人)で、川沿いの4丁目地区(約160戸)では7戸が流され、10人が亡くなったという。上流にある砂防堰堤が決壊し、狭い川筋に大量の土石が急激に流出したものと思われる。全壊、流失した家屋の敷地は既に空き地となっていたが、周りには2mを超すような巨石がいくつも残されていた。河川の堤防には土嚢が積まれ、川沿いの生活道路の歩道は壊れ、車も通れないほどになっていた。川筋から入った地区内にも浸水はあったようだが、大きな損傷は少なかったように見受けられた。


旧山陽道の本陣跡

小田川の決壊箇所(倉敷市真備町)
町には避難勧告が出されたが、大半の住民は残ったようである。地区には坂道が多く、道も狭いものの、身近にしっかりとした避難場所がつくれるようにも見えたが、まずは都市としての開発規制なり建築上の規定が必要と思われる。

 被災から約3週間が経過していたので、既にボランティアの方々の支援も受けながら家屋の泥出しや家具等の整理が進んでいた。しかし、これからも家屋が使用できるのか、現在地で建て替えるのか、引っ越しはできるのかなど、残った人々の生活再建の道は今からスタートすることになる。

●岡山県小田郡:矢掛町

 矢掛町は倉敷市真備町の西に隣接し、周囲は笠岡市、井原市など市域に囲まれている。町の中心部には井原線が通っており、東から三谷、矢掛、小田の3駅があり、矢掛が中心地である。町には“旧山陽道”が通っており、本陣跡(石井家)や脇本陣跡などが残されるなど、昔の面影が色濃く残っており、“水見櫓”(美術館)などを含めて観光資源として活用されていた。

 8月の大雨では、小田川の決壊、越流により、小田川と平行した県道沿い辺りまでが約1.7m浸水したようだが、視察した頃には既に復旧され、付近の住宅も復旧工事などが始まり、避難所も閉鎖された後であった。同じ小田川沿いで隣接する倉敷市真備町(浸水約4.7m)と比べると、被害は相当少なかった模様である。

 今回の小田川に起因する水害は、高梁川との合流部(真備町)からのバックウォーターが原因とされており、小田川から本流である高梁川への流入対策が計画されている。普段は穏やかな流れの川であり、見ていて想像もつかなかった。

<追記> 矢掛町の視察の空き時間を利用して、矢掛町を見て回った。町役場などの施設も立派で、旧山陽道や町役場前もカラー舗装が施され、この町の裕福さを感じた。(市域の統合を嫌ったのかも知れない)。旧山陽道沿いの商店や施設も楽しめ、観光には力を入れているのがうかがえる。なお、この地は、「立間」の里と思われ、「立間」(タツマ)の姓の方が全国の3割おられるとアプリで出ていた。町の「小田」地区に多くの世帯が有るようで、今後の交流が楽しみである。(お寺の住職と町の職員の方と接触済み)


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