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「空き家問題」 考

山部 茂

私的な話で恐縮ですが、私は今年6月末をもって46年間余にわたる会社人生を終え、個人事業主「敷島庵亭主」が私の新たな肩書となりました。敷島庵とは我が家から徒歩5分に位置し、元は親が建てた家を私が相続、その空き家活用として退職後の個人事務所として開設したものです。

ここに至るまでの経緯を説明しましょう。15年前に父親が亡くなった後、一人暮らしとなった母親が交通事故で入院。退院後には骨折を繰り返して要介護となったのがきっかけでした。在宅介護をするため、母親をバリアフリーが整った駅前のマンションに移すことにしまし。た資金は役員就任時に得た退職金を充当しました。この時点で、親の家は空き家となったわけですが、自治会からの年に数回の草刈りなどの要請や、2度にわたる泥棒の侵入などを経て、裏庭の再開墾および農業の開始に至ります。また建物内は年寄りの掃除もままならなかったため、どこまでが泥棒の仕業なのかは判らないほど荒れ、床下などの構造も傷んでいるようです。母親はマンションに10年足らず居りましたが、介護度が上がるにつれ自宅介護が困難になり、8年前に施設に入り一昨年に亡くなりました。その後、築40年の中古住宅を相続した私は改造と補強工事を実施しました。

一方、私の家は結婚後に昭和50年頃に開発された新興住宅で、開発時に一斉に分譲された住宅地です。私は中古住宅を5年ほど後に購入しましたので周りの人たちからは5~10歳年下になります。自宅の前には新設の小学校ができました。住宅地の自治会も児童会が結成されて、毎年の地蔵盆やバス旅行などの行事も頻繁に行われていました。

8年前に職場が変わった時に改めて自宅の周辺を見てみますと、ほとんどの世帯で定年退職が相次ぎ、一方で小学校の児童は激減しているようです。そこで近所のリタイア族の行動を監視してみることにしました。盆や正月の前には住宅地の道路に東京周辺のナンバーを付けた乗用車が並び、盆や元旦の夜や翌日には一斉に消え去っているのを見たのがきっかけです。朝の6時から12時まで玄関前に腰かけて眺めていると、平日は毎日同じようなリズムで動きがありました。6時からは「散歩族」、7時たごろは「山(ハイキング)族」、8時には「農業族」、9時頃には「ハイキング(鉄道会社主催の街歩きなど)族」、10時前には「圏書館族」など。大部分は自宅でゆっくりされているようです。どうも、かつての新興住宅地も老人のみの世帯になり、空き家予備軍となってきているのが読みとれます。

リタイアして暇になった現在、親の空き家を活用して、来るべき在宅介護に適応できる新たなコミュニティーの場とするために活用方法を考えています。

盆・正月前後の東京周辺のナンバーを付けた乗用車は現在では全く消え去り、この住宅地出身のかつての小学生は、一人で新幹線に乗って帰省してきています。孫たちは中高校生となり、一緒に帰省することはなくなったのでしょう。 


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