主張

国鉄改革による鉄道・都市再生を振り返る

星野鐘雄

中曽根康弘元総理が亡くなられた。国鉄改革を実行した政治家として歴史に残る巨人である。国鉄が破綻した原因とされる全国一元組織、国会の制約、労使対立、巨額の債務などの足枷(あしかせ)を解き放ち、鉄道再生のための分割民営化政策を断行して1987年4月1日、JR7社と国鉄清算事業団を発足させた。

JR西日本は、お客様のニーズファースト、地域との連携などを経営理念として民営化のスタートを切った。経営資源は山陽新幹線と関西圏の都市鉄道の2本柱とされたが、後者は国鉄時代に私鉄王国に埋没していて黒字路線は環状線だけであった。その都市鉄道再生に携わった一人として、技術者の視点から改革の歩みを振り返りたい。

都市計画法では、都市の骨格をつくり都市活動を盛んにするのが都市鉄道の役割だとされている。法の目的にかないJRの自立経営に資する都市鉄道を再生するため、「ネットワークの拡充」と「駅の改良・新設」をインフラ整備の戦略目標とした。「ネットワークの拡充」は新線建設、複線電化、貨物線の利用、駅の線路配線変更により行った。JR東西線、関西空港アクセス、大和路快速、おおさか東線などであり、それは地域間の人や情報の交流を活発にする。

「駅の改良・新設」は枚挙にいとまがない。関西圏だけでも約40カ所の新駅を造って利用者を増やした。私鉄の駅間隔の約1㎞に比べ、国鉄は約2㎞というハンディがあった。新駅は街づくりに貢献し南草津駅周辺は活気のある都市になっている。既設駅は橋上化して自由通路、駅前広場を整備し、トイレの美化やバリアフリー施設を充実した。京都駅は古都の地形を模した非日常的な空間に変貌し、京都を訪れる人の玄関口となる拠点駅として大いに賑わっている。

国鉄の膨大な債務37.1兆円はJRと国鉄清算事業団、そして国民が分担して引き継いだ。清算事業団は国鉄の貨物用地等遊休地を売却して債務を返還する役割を担っていた。都心の貨物用地は都市開発の最高の種地である。国鉄時代に中曽根民活のトップバッターが西梅田貨物跡地となり、大阪市、国鉄、阪神など7社で区画整理組合を設けた。まちづくりの協議は長引き、国鉄解体後は清算事業団が引き継いでバブルの嵐を乗り越え、現在の西梅田ガーデンシティが誕生している。

梅田貨物駅の開発が都市再生の最大の課題であった。貨物駅の吹田移転は難航したが、清算事業団が25年間地元と協議を重ねて実現した。その頃大阪駅はドーム、8つの公共広場、上空自由通路の駅空間と南北に大型商業ビルを持つ「OSAKA STATION CITY」に生まれ変わった。その後を追って、うめきた1期7haに「グランフロント大阪」という街が完成し、駅周辺の人の流れが大きく変化している。うめきた2期14haは、広大な都市公園を持つ世界に誇る異次元の都市空間になると期待されている。 鉄道設備の新設改良には、国・地方公共団体の制度や財政の支援が不可欠である。JR東西線、おおさか東線の第3セクター化、関西空港アクセスルートの都市計画決定などは官の絶大な協力があって実現した。

インフラ整備が進み、列車回数の増加、列車速度の向上、直通運行による時間短縮などで利用者が伸び続けて経営安定の柱となっている。しかし重要なのは、これまでのインフラ整備が「鉄道の安全性や生産性が地域や利用者から持続的に選択されるというJR西日本グループ中期経営計画の課題」を満たしているかを検証し、さらなる施設改良にチャレンジすることであると思う。


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