MEMBER'S SQUARE

会員寄稿 「地デ研」と「私」

 1991年の創刊から約30年、長きにわたり発行されてきた地域デザイン研究会の機関誌「潮騒」は、諸般の事情にともない今号で最終号を迎えました。最終号の発行にあたり、会員の皆さんから「地デ研活動への思い」などを簡潔に寄稿していただきました。

育ててもらったことに感謝  岡村隆正

 大阪府に転職して4年目、総合計画課に転勤になった30歳の頃、地デ研の前身となった土木学会関西支部の共同研究グループに入れてもらったのが、私と地デ研の付き合いの始まりだ。都市・地域づくりをライフワークと思うようになった原点でもある。しばらくして春名先生が「泰山塾」と命名し、2000年にNPO地域デザイン研究会となった。

毎年5月頃に分科会が中心となってワークショップが開かれ、1年間の研究成果を議論するのだが、この苦しい取りまとめが、都市づくりの論理思考を育ててくれたと思う。行政だけに偏らない多様でユニークなメンバー、とやかく指導する親のない自尊自立の組織であり、自由に楽しく育ててもらったことに感謝しています。育ててもらったことに感謝しています。

交流が最大の財産  松島 清

地デ研に入会して約20年、本当にいろいろとお世話になりました。入会後、最初に取り組んだPJ(プロジェクト)は、あおぞら財団の委託研究「西淀川地域沿道まちづくり」でした。その後は、原論分科会を始め、現地シンポ(海外、国内)や都市計画PJ、旦那文化研等で、多くの方々と貴重な意見交換や得難い経験ができました。

また、潮騒への投稿のお蔭で、「アウシュビッツ往訪録」をネット上でいろいろな方々に閲覧いただけたことも懐かしい思い出です。最後になりましたが、地デ研でお世話になった会員の皆様との交流が最大の財産となりました。心から感謝です。これからもよろしく。

土木は「築土構木」  前川晃三

私が地デ研と出会ったのは、富田林土木事務所に勤務していた頃でした。FUSION研究会という当時の研究会の名前が、地元の布(FUSE)に似ているなあと思ったものでした。 「土木」は、そもそも「築土構木」であるということを教えていただいたのは、こちらの研究会だったと思います。何より、地域に根ざしてという想いを学ばせていただきました。

官は産・学との連携なくしては成長しない。内部で退屈な会議ばかりしないで、外との交流に時間を費やす方が得られるものが多いのだが、今は気の毒なときだ。地デ研は街に出て学んできた。ひとに会って学んできた。ここは、忙しすぎる若い人たちに、年寄りがまちづくりは楽しいと自ら示すしかないのでは。 これからは、いろんなところに行って大いに楽しみましょう。気持ちよく飲みましょう。

貴重な体験に感謝申し上げます  田中賀鶴代

地域活性化のコーディネートの仕事が増えてきた頃、もっとしっかり勉強したいと思い、入会させていただきました。何度も登った中国の「泰山」という以前の会の名称にも惹かれました。

会員の皆様はとても親切で、現地シンポジウムでは普段行けない場所にご一緒させていただいたり、分科会では都市計画と日本文化を考える「旦那文化研究会」の活動の機会も得ました。貴重な体験は私にとって宝物です。ありがとうございます。そしてこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

分科会FWは貴重な財産  茂福隆幸

上司の勧めで私が入会したのは平成9年である。当時は6つの分科会があり、その中で「まちと個性」分科会に入会した。平成12年から主査を引き受け平成16年までに15カ所のFW(フィールドワーク)を行った。FWでは、まちの見学だけでなく、まちづくりのキーパーソンに案内や説明をお願いした。その後、平成17年の分科会活動の編成を経て「まちを視る」分科会の主査として、平成25年の主査の交代まで8カ所のFWを行った。

地デ研の会員やFWで知り合った方々、そして、訪れたまちの情報等は、私の貴重な財産となり仕事や生活に生かされている。

現地でこそ見えてくる  大戸修二

  地デ研活動を通して多くのことを学ばせてもらった。中でも現地シンポジウムとして訪れた地域では、まちづくり、地域おこしへの人々の創意工夫に新鮮さを感じた。鳥取県智頭町、徳島県上勝町、滋賀県高島市などもその1つである。

そこには住民・地域・行政のそれぞれが問題意識を共有し、学校のホームルームやクラブ活動のような果敢な取り組みが存在していた。底流には「ないものねだりより、あるもの探し」。デジタル(仮想現実)でないアナログ的に実感できる、現地を訪れてこそ見えてくる息吹のようなものであった。

STUDY21の思い出  小西道信

 「STUDY21」の楽しさは何といっても遠征だ。山形から対馬まで13 回に及んだ。テーマは、祭り、修験道、地形地質と宗教施設、パワースポットと変わっていった。どうもメンバーの体力と興味の変化が影響していたようだ。地形地質、宗教施設、街並み、温泉、地酒を要素としてコース設定がされた。

異なる感性、視点を持つ集まりだからこそ、多様な選択と目にしたものについて率直な意見交換ができたのだろう。一番印象に残るシーンは、その昔、対馬の金田城から防人たちが望んだ日本海だ。ありがとうございました。

都市改変には素養が要る  友田研也

私が地デ研に入ったのは、バブル経済期の真っ只中、昭和から平成に年号が変わる頃だった。私のまちづくりの入口となる区画整理事業に府職員として関わり、地デ研を紹介いただいた。ここで教わったのは、「都市を計画し、土地や風景を改変する者には素養が要る」ということであった。

これ以降、常に将来を見据えて、都市や地域に対して今何をすべきかと考え、実践することが好きになった。退職後も、私の住処である金剛地区に傾注している。生涯にわたる趣味となった。

現地シンポで知識の深化  立間康裕

 大阪市を退職後、地域に関係するNPO的な組織を模索していたことから、退職後すぐに「組織の運営方法の実務」を教えていただくために入会した。事前に平峯理事長にお会いしたのが懐かしい。

会員の皆様の人柄に惹かれながら行事に参加するも、翌年の東日本大震災で状況は一変。行政への技術支援の組織化は失敗したが、個人的に永く復興に関わることとなった。

現地シンポジウムとして現地を訪問できたのは良かった。そのほか、地方鉄道などの現地シンポジウムでは知らない情報が得られ、一泊することで知識の深化もできて良かった。

酒・遊・学  小山二生

2000年頃から約10年間にわたり事務局を行い、その頃は150名程度の会員がいました。活動予算も150万円程度あり、各分科会に約10万円の活動費を支給していたことを思い出します。

思い出深いのは年1回の現地シンポジウムで、夜に酒を飲みながら「まちづくり」の議論を行ったことです。この酒の買い出しは若い者から行くことになっており、その若い者も今では前期高齢者になりました。

いずれにしても「酒・遊・学」と楽しい思い出がいっぱいでした。

刺激を受け示唆をいただいた  星野鐘雄

 街づくりと鉄道インフラ整備の望ましい関係について究めようと地デ研に入会しました。都市計画など多彩な専門家との交流により刺激を受け、たくさんの示唆をいただきながらJR西の鉄道再生プロジェクトに反映することができたと信じています。長い間お付き合いいただいた平峯理事長、鎌田理事・事務局長をはじめ、皆様方に心から感謝申し上げます。

 実のある仕事ができた  鎌田 徹

きっかけは、私が滋賀県にいた頃に平峯さんから泰山塾に入らないかと誘われたこと。「ただ遊んでいるだけやから」と言われたような記憶がある。分科会活動、フォーラム、現地シンポジウムが中心。分科会活動の1年間の成果を元にワークショップが開かれ、それは冊子にまとめられた。なんか勉強したような気になった。

2000年にNPOとなり、NPOであることを生かして、OKTからの委託、あおぞら財団からの委託、枚方市からの委託、阪高からの委託、近建協からの助成、河南町地域公共交通の調査受託など、実のある仕事はできたと思う。

山盛りのご縁に感謝  道下弘子

 資金ゼロで無理くり独立したころ、泰山塾のソウル旅行に誘われ、会員になった。大阪の都市づくりへの興味も取材したこともあったが、門外漢の入会は「何でも知りたい」が単純な動機。初参加の総会で「おもろないなぁ」と周りを見回したら鞄のほつれで遊んでいる人がいた。

平峯さんだった。 2年間にわたり事務局を預かった。事務局アルバイトの山田曜さんがわが社に週1~2日出勤するようになり、社員とも潮騒編集で来社する会員さんとも楽しく遊んだ。冷蔵庫にビールは欠かさなかった。 この会から山盛りのご縁をいただいた。心から感謝申し上げます。


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