わが街紹介

〜大阪市城東区関目〜

茨木市 尾花英次郎

1,はじめに


位置図:一方通行規制(→拡大図)


写真-1:幅員12mの一方通行道路


写真-2:ハンプのあるコミュニティ道路


写真-3:城北川の遊歩道

 私の住む街「関目」は、城東区の名が示すとおり、大阪城の東は約3km に位置する住宅地である。最寄り駅として、京阪本線関目駅と地下鉄谷町線関目高殿駅があり、それぞれ、淀屋橋駅から5 駅で約12 分、東梅田駅から5 駅で約10 分という都心に近接した立地にある。「関目」の地名は、平安時代後半、西暦10 〜11 世紀に遡り、榎並荘の時代に、「見張り所」(目で見る関所)があったことに由来する。また、豊臣秀吉は、天正8 年(1580 年)の大阪城築城の際、防備対策のひとつとして、関目周辺の道路をわざと曲げた形の「七曲り」とし、敵兵の陣形や兵数を上から見渡せるようにしたと言われている。

 近代においては、戦前から耕地整理が施され、区画道路が格子状に並ぶ現在の街区構造はすでに完成していた。昭和40 年代以降、住宅地に数々の中小工場が点在する典型的な「大阪の下町」に、公団や府、大阪市等の公共による住宅団地の整備が行われた。次いで、昭和50 年代から、民間事業者によるマンション供給が順調になされ、現在では、中高層住宅が集積した街区も多々見られる比較的高密な土地利用となっている。
 以下では、紙面の関係上、私が関目に5 年間住んでみて、まちづくりの視点から特に関

を持った「一方通行規制」「城北川の再生」の話題についてご紹介したいと思います。

2 .一方通行規制
〜ストック活用と住区内交通のあり方〜

 関目の街を含む東西約1.5km 、南北約2.0km の区域は、国道1 号、同163 号、府道大阪生駒線、大阪内環状線といった幹線道路に四方を囲まれた住宅地である。次図のとおり、この地域には、耕地整理を基にした区画道路が整然と走っているが、例外的な数路線を除く全ての路線が、一方通行規制となっている。中でも、約250m 間隔で配置される幅員12m の補助幹線道路は、両側歩道各2m を備えた車道部約8m の1 車線道路である(写真参照)。元々2 車線の断面構成であったが、昭和45 年頃から、住宅地内の歩行者の安全向上を図るため、順次一方通行規制が適用されたものである。

 また、区画道路の中でも、学校や公園等に通ずるものを「ゆずり葉の径」と称してコミュニティ道路化し、クランクやハンプによって車両の減速を促している。(写真1参照)

 この地域に住んで、実際に居住者或いはドライバーとして、この一方通行規制の効用を実感した。まず、通過交通がなく、歩道にゆとりがある。居住者として、車が一方向からしか来ないというのは、極めて見通しが良く、安全性が高いと思う。ドライバーとしても、当初は目的地までの迂回が煩わしかったが、慣れるとそう苦痛でもない。また、コミュニティ道路については、クランクだけではスピードですり抜けていく車両が目立つ。ハンプという隆起物が設置された箇所はかなり減速せざるを得ないので効果がある。(写真2 参照)

 これらの一方通行規制を見るにつけ、これからの時代のストック活用と住区内交通のあり方を考えさせられる。多少の不便が生じても、ルール化によって限られたストックを活用し、生活空間にゆとりを生み出す発想。車ではなく人が主役となる街づくり。時代背景は異なるが、今後、既成市街地の再整備を進める上で、ひとつのヒントになるのではないだろうか。

3 .城北川の再生
〜都市部における自然的空間の演出〜

 上記の一方通行規制区域の中央部を南北方向に「城北川」が流れている。大阪では、臨海部を除いて最後に開削された運河で、昭和15 年に竣工、寝屋川と大川を結ぶ、延長約5.6km 、幅約40m の一級河川である。古堤橋から菫橋までの約2km 区間は、「ふるさとの川モデル河川」に指定、両岸に立ち並ぶ高層住宅に沿って遊歩道が整備されている。散歩やジョギング、それに都心部では珍しくフナやコイ、ブラックバスなどの魚釣りができるので、平日、休日を問わず釣り人で賑わっている(写真3 参照)。

 この遊歩道近辺には、1km も歩かない距離に阪神高速道路の森小路ランプがあるが、それを忘れるくらいに静かで落ち着いた雰囲気の空間である。晴れた日に散歩をしながら、水辺の魚釣り風景を眺めるだけで心が落ち着く。並木に四季のうつろいを感じることもできる。冬場の川面を渡る厳風もまた一趣である。都心居住が叫ばれている現在、不動産的評価は別として、地域の資源を活かしながら、都会の喧噪から離れて人間性を取り戻すことのできる自然的空間づくりを進めることは重要な条件となるはずだと思う。

4 .あとがき

 この紹介文を書くにあたって、子供と一緒にゆっくりと街の散策をしてみました。晴れた休日だったので、遊歩道や公園には大勢の小さな都会っ子が歓声を上げながら遊んでいました。ふと、この関目の街が育む子供達の将来を想像し、一方で、もし自分が幼少からこの街で育っていたら今頃どんな大人になっていただろうと考えました。「街は人を育て、人を変えるか」、今後じっくりと考えてみたいテーマです。


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