思えば遠くへ来たもんだ

〜東 京〜

住友信託銀行 今中昌男

 6 月に東京の不動産営業部に転勤。勤務地は中央区八重洲2 丁目3 番1 号、東京駅新幹線ホーム、1 号車の辺りから、八重洲側に見えるビルである。窓からは新幹線に乗り込む人々がまじかに見え、その気になれば5 分もあれば車中の人になれる。

 住まいは豊島区南大塚1 丁目。単身赴任であり、山手線大塚駅南側徒歩約3 分のワンルームマンション。

 東京駅までは約30 分と便利であるが、会社が借上げてくれているので負担家賃は少なくて済むのが有難い。

 大塚は、山手線池袋駅の一つ東側の駅だが、かつては三業地(参考までに、三業とは料理屋、待合、芸者置屋の三業種。)があり、駅北側には日刊ゲンダイや夕刊フジの読者にはお馴染みの店が立地している。従って、大塚駅前に住んでますと言うと、「単身赴任者には気の毒な立地ですナ・・・」などと言われてしまう。

 さて、東京赴任5 ヶ月になるが、今の東京と大阪の都市開発・不動産取引には大きな格差がある。こちらでは開発の種になるようなニーズが多いのだ。東京赴任直後、ある企業の財務部長さんとお会いした。この方は昔の大店の番頭さんのような、どっしりとした雰囲気を持ち、笑みを絶やさない方であるが、「(余裕資金投資のバランス上)今中さん、今年度中に100 億規模のビルを取得したいのですが、なかなか良いものがありませんナー」などと言われると、大阪でこの手の話を聞いたことのないこちらとしては「エッエッ」となってしまう。しかし、会社に帰ってこの話をすると、めずらしいものではなく、外資系企業や不動産投資ファンドが収益ビルを求めているし、外資系企業が本社ビルを求めているとかの話題が多くあるのだそうだ。

 一種熱気を感じるが、さきの財務部長さんのコメントにあるように購入対象となるものは良いもの、すなわち、安定的にテナント入居が期待できる、将来にわたり資産価値が減少する恐れがないといったものに限定される。従って、このようなオフィスビルが市場に出ると投資家が群がることとなり、通常ネット投資利回り(償却前利益/投資額)が6%台のところを4%台、すなわち土地価格を高く評価して、入札に臨んでくる。

 反面、そうでもないものは見向きもされない。都市の将来性も重要な要素となるが、この点、今の大阪の評価は厳しい。

 このように物件や開発プロジェクトが市場に選別されることがかつてのバブル期との違いであるし、また、デベロッパーはオフィスビルが大量に供給される2003 年以降に不安に感じつつオフィスビルの建設を進めているのもバブル期との違いであり、少し賢くなったところか。・・・それでも、また、誰かがババを引くのであろうか?土日は努めて未知の町に出撃することにしている。

 東京の町を探索すると、結構江戸、明治の文化に触れることができるし、東京に残る「ほのぼの」とした雰囲気に浸れることもできる。先端的ではあるが、変貌が激しい東京のイメージが強いが、結構そうではないのだなと思う。

 例えば、上野の北に位置する「谷中」は、大阪でいえば天王寺の下寺町のような立地であるが、下寺町のように道路が区間整然としていないところに寺が集積しており、その間に昔ながらのコミュニティー(住まい、商店、職人さんの仕事場など)が存在していたりして、何とも言えずほんわかとした気持ちになれるのである。特に高台の寺町からの坂下に「谷中銀座」と言われる商店街があり、夕暮れ時、坂の上から買い物の人で賑わう様を見ていると、とても懐かしい気持ちになる。

 このようなエリアが他にもあり、町並探訪がおもしろいのだが、区立の歴史系博物館巡りも結構おもしろい。もう既に23 区のうち16 区の博物館を巡ってしまった。ご承知のように東京の行政単位は区であり、区の姿勢によって博物館への力の入れ具合も違うのだ。

 千代田、中央、港の都心3 区は住民が少ないせいか、東京都立江戸東京博物館に収蔵されているものが多いせいか、おざなりである。

 また、山の手エリアは歴史が浅くおもしろくない。お勧めは下町エリアの区である。私のベスト3 は次のようだが、東京出張の折りに訪れてみればどうでしょう。

 1 位台東区立下町風俗資料館
 2 位江東区立深川江戸資料館
 3 位荒川区立ふるさと文化館

 台東区は、上野の文化ゾーン、上野、浅草の繁華街、更には吉原、と薫り高いゾーンからピンク系のゾーンまで幅広い性格のまちを抱えている。住宅地としては落ち着いた谷中を除き、全般に雑然としたイメージで、かつては長屋が多く見られたエリアである。

 下町風俗資料館は上野・不忍池の端にあるこじんまりとした建物であり、大正時代(関東大震災以前)の長屋と路地の再現が売りである。一軒は駄菓子屋で、入口にたくさんのお菓子が置かれた店と流し台、奥に4 畳半の間と便所がある。竈の上には煙り出しも作られている。もう一軒は銅壷屋(銅の細工物作り)で、狭い土間にはふいご(ご存知ですか?)が置いてある。

 どちらも当時の家具が置かれていたり、着物が掛けてあったりして、長屋生活が伺える。2 階には昔のおもちゃが多数置いてあり、仲の良いおばちゃんたちが子供時代にかえり、キャーキャー言って楽しんでいた。

 それはそれはなかなか賑やかなものでした。

 江東区は湾岸部の工業地帯のイメージが強いが、隅田川に面した一部は明暦の大火(1657 年、いわゆる振袖火事)以降に市街化され、当時は川向こうと呼ばれた。池波正太郎描くところの鬼平犯科帳の主人公「長谷川平蔵」が無頼な青年時代を過ごした舞台でもある。

 この深川江戸資料館は随分力が入っており、天保年間の隅田川に面した佐賀町の一部が、その当時の工法を用い、商家、長屋、船宿、水茶屋などで再現されている。江戸時代の特定の地域に限った展示でとても理解しやすい。

 周辺は深川寺町で、門前町のように食べ物屋がならんでいるが、その一角に町屋のデザインで、表に「商い中」の看板が掛かった公衆便所はなかなかの出来であった。

 荒川区は隅田川に面し、台東区の北側に立地する区である。この区は明治以降、隅田川の水運を利用した大規模工場やその下請け工場が立地し、これに伴い多数の労働者住宅が立ち並んだ。

 ここには、ブロック塀に囲まれた昭和40 年ころの職住一体の町工場が再現されており、これもなかなか懐かしい。もうこのころが博物館の展示になるのだなァと感心した。

 つれづれなるままに筆を取りましたが、東京駅に近い所にいますので、ご出張の折りは是非お寄り下さい。東京にいると関西のニュースが入らなくて困ります。


潮騒51号目次

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