楕円のボールに魅せられて

寝屋川市役所 茂福隆幸

 ペンリレーは他人事だと思ってたのが、突然の御指名で少し戸惑っています。

 泰山塾にお世話になるようになったのは、職場の大先輩である芝内さんに誘われたからですが、何もわからないまま、分科会は「まちと個性」がおもしろいんじゃないかと言われて入りました。次に、主査であった今中さんが急に東京に転勤で、電話で急な話で他に誰もいないからと頼まれて主査になってしまいました。どうやら、誘われたり頼まれたりすると、断れない性格のようです。

 今からお話するラグビーについてもそうなんです。

 20 年前に寝屋川市役所に入職した時、たまたま隣の席の人が、市役所のラグビー部に入っており、当時は採用があまりなく、久しぶりの新人ということで目をつけられていたようです。ある日、その先輩と現場に行った時に、いきなり行きつけのスポーツ店に寄り、ボーナス払いでいいからとまるで押売のように、ジャージからスパイクまで一式を買わされたのが、ラグビーを始めるきっかけです。

 それまでラグビーはまったく経験がなく、大学時代はクラブも入らず遊んでばかりいました。当時の市役所のラグビー部は、関西社会人リーグに入りたてで結構強く、監督は大学ラグビーの経験者で、どちらかと言うと、技術面よりも根性が優先でした。練習も半端ではなく、当時は残業もなっかたので、火曜から土曜は毎日仕事の後に練習をし、シーズン中は毎週日曜は試合がありました。毎年夏には合宿に行ってましたが、練習が厳しくて2 日目からは階段も這うように上がる状態でした。一度、近くの摂南大学のラグビー部と一緒に行ったのですが、学生が練習のきつさに音を上げるほどでした。

 最初の一年はしんどいだけの一年で、本当に面白いと思い、自分から進んで練習をするようになったのは三年ぐらいしてからです。しばらくすると、ラグビーの中毒にかっかたみたいで、オフシーズンでしばらくボールを触らないと、試合をしたくてたまらなくなったものです。

 首の怪我で左半身が動かなくなり、30 日も首を吊ったまま入院した時は、もうやめようと思いましたが、退院して2 ヶ月でグラウンドに立ってました。

 ラグビーと言うのは見ても分かりにくいとよく聞きますが、本当は単純なスポーツです。ボールを持って前に進み、敵陣ゴールの地面にボールをタッチする。

 ただ、自分より前に人いるにボールをパスしたり、ボールより前の人がプレイをしたらだめなだけです。

 ラグビーはイギリスから生まれたスポーツなので、野蛮なようでも本当は紳士のスポーツで、一度試合の約束をすると、雨でも雪でも中止にはなりません。また、相手の選手とは喧嘩をしてもレフリーには絶対服従です。随分前になるが、ユーミンの歌で「ノーサイド」と言う曲がありましたが、あれはラグビーの試合が終わった時に、今まで左右に分かれて戦っていたのが、試合の終了と共に敵も見方もなく一つになった事を意味するのです。

 ラグビーについてもう少し話をすると、1 チーム15 人なので、おそらく球技では一番人数が多いと思うのですが、15 人はそれぞれ役割が決まっており、1 人ぐらいさぼっても影響ないと思ったら大間違いで、その為にすぐに点を取られてしまいます。1 人の選手は15 人みんなの為にプレーし、15 人は1 人の選手がトライをあげる為にプレーをする。これがラグビーの精神であり、本当の団体競技だと思います。ですから、トライをした時に、サッカーやバレーボールみたいに大喜びしないで、「ナイストライ」と言われた時に「サンキュー」と一言だけ言い返す。それは、トライは自分一人でできたものではなくて、みんなでボールを取り、ボールをつないでその結果としてトライになったからです。

 私も40 歳を期に現役を引退しましたが、それとほぼ同時期に新入部員の加入がないのが原因で、現役のラグビー部自体が自然消滅状態になり、今は現役とOB が一体となった新たな組織を作り、年に2 度ほど練習試合をしたり、飲み会をしています。

 それにしても、寝屋川市役所ラグビー部を始め、世間のラグビーがサッカーなどに押されて人気がないのは嘆かわしい限りです。ただ、大学ラグビーの早明戦だけは毎年国立競技場を満員にするのは不思議です。

 今年も恒例の忘年会をする予定ですが、毎年同じメンバーが集まり、同じ話題で盛り上がります。不思議なもので、何年も前のプレイで誰が誰にパスをして誰がトライをしたとか、あの年の合宿はきつかったとか、結構みんな覚えていて、いつも話題は尽きません。

 これを読んだラグビーファンの方、機会があれば飲みながら話をしませんか。


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