ペン・リレー

親として

茨木市 福井龍也

 このところ、青少年をめぐって、ずいぶん、いろいろな社会的事件が続発している。いわゆる17歳の非行を中心に、青少年の非行が急増しているようである。さらに、成人式の若者の暴走も加わり、青少年問題が社会的に大きな関心を集めている。
 私自身も、息子が今年の4月から小学校に入学するのを契機に、最近この問題について考えることが多くなってきている。
 親や教師への暴力など、これまで絶対してはいけなかったことが破られることが珍しくなくなってしまっている。いわば、青少年が社会のタブーを破って久しい。何故そうなったのだろうか。さまぎまな要因が考えられるが、その一つに子供の頃からルール違反の行為を大人が注意しなかったからであろう。また、若者たちに恥という概念が失われていることも無関係ではないと思う。
 その原因は、その親たち(私たちの世代)の時代から既にその兆侯があったと言われている。人間にではなく、生きかたではなく、「金」だけが、価値があり、そのために物の豊かな生活をめぎすあまり、就職に都合のよい学歴だけを大切にした。そのために、偏差値だけが若者の価値をつくり、それは労働や地道な努力よりは、他人をおい落として試験の成績がよければよいという点数だけの価値観を生み出した。さらに一方では、有り余る物の豊かさの中で、貧しさや苦しさの体験も知らず、中流意識の中で育ってきた。それが現在の親たちなのだから、当然その子供たちも家庭教育が十分であるとは言えないので、教師であろうと親であろうと暴力を振るってしまう自制心のない若者たちが育つのだと言われている。
 確かに、私自身、このような価値観を重視する時代に育ってきたことは否めないが、だからといって、親として、あるいは社会の一員として何もすることはないと思えない。
 親として大切な仕事は、子供が新しい経験を通して学習できるようにすることだと考えている。上手く出来ないかもしれないが、子供自身でやることを学ばせる。その総ての責任は親がとる。大人として確固たる態度で子供自身に目標を持たせ、親として要求することは要求する。それが親も責任ある大人に成長するということではないかと思う。
 人は弱点欠点があり、不完全なものである。だが自分に貴任を持つ親は信頼されると思う。親が責任を果たさず、のうのうと自分を安全圏に置いている態度を子供は見ている。そうした親に、子供が心の内を語るとは考えられない。このような時代だからこそ、誰かに文句を言ったり、責任を押しつける前に、親として、もう一度自分の足下を見つめ直す必要があるのではと思う。


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