『あなたは、どうしていますか』

阪神高速道路公団 中尾 恵昭

 5月26日、地域デザイン研究会(泰山塾)政びNPO法人地域デザイン研究会の総会が開催され、終始活発な議論が行われました。「双方が補完しつつ発展する。」特に、NPO法人についてはまちづくりをコーディネートする専門家集団的な役割を果たすなど、求められる社会的責任は大きなものがあります。ただ、まだまだ始動段階でとまどいもあり、今後とも理念、役割分担、発信方法などについて議論を深めながら実践していくことになりました。手探りの中ではありますが、みんなで新たな挑戦をしていきましょう。そして、なによりも楽しく愉快な活動の場にしていくことが大切だと思います。

 世はまさに改革の嵐。「聖域なき構造改革」の名のもとに内閣の支持率は異常といっていいほど高い反面、『分かちあう痛み』の姿は未だ見えてきません。一方、世間では些細な理由もないことで人を殺めたりする悲惨な事件が後をたたず、この国はいったいどこへ行こうとしているのでしょうか。

 こんな先行き不安のためでしょうか。いつも見慣れている風景、例えば電車の中を一度意識してじっくり見てごらんなさい。何と暗い不安な顔をしている人の多いことか。人々の顔は暗く「何かにおびえているよう、恐れているよう」です。何が人をそんな表情にさせているのでしょうか。漠然とした世情の不安、将来に希望が持てない社会。それとも贅沢に慣れ、それ故にまだまだ追いかけ追い求めようと駆り立てられる焦燥感、絶望感なのでしょうか。

 『アフルエンザ』という言葉があります。affluence(豊かさ)とinfluenza(流行性感冒)を掛け合わせた米国の造語。豊かな時代に育った“わがまま病”のことです。贅沢で、生活するに不自由しない暮らし。そのために生活感覚がマヒして、プライドが高く、見栄っ張りでうそつき。金、モノ、快楽に執着するなど他人より優位に立ちたいという気持ちが強く、その結果犯罪に至ってしまう。15〜25歳ぐらいの人がかかりやすいそうですが、しかしこれはけっして子供達だけのせいでなく、高度成長期やバブルの時代になりふり構わず「見せかけの豊かさ」を求め、金に執着しモノを買いあさった親たちのせいなのです。

「豊かさ」ということを考えるとき、私は20年以上も昔に読んだ小説の一節をいつも思い出します。

ふと、さっき井戸端で見た或る薔薇の蕾の事を思ひ出した。・・・・・・「・・・・・・一つさ。その一つの蕾を花になるまで、目の前へ置いて、日向へ置いてやったりして、俺はぢっと見つめて居たかったのだ。一つをね!外のは枝の上にあればいい」
「でも、あなたは豊富なものが御好きぢゃなかったの」
「つまらぬものがどっさりより、ほんとうにいいものが只一つ。それがほんとうの豊富さ」『「田園の憂鬱』(佐藤春夫)

 最後のフレーズ、こころにしみます。ほんとうの豊かさとは、モノが溢れかえることではなく、「こころにひびくいいもの」と向かい合うこと。考えさせられます。

 また、最近『徒然草』のこんなくだりを見つけました。

 賤しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂に佛の多き、前栽に石草木の多き、家の内に子孫の多き、人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。 多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。

  多きことが醜く映ります。ほんとうに必要なものだけを必要最小限に。簡素の美。それがほんとうのこころのぜいたく、豊かさなのでしょう。

 もう一つ、ご紹介します。これは私がまだ三十前後の頃、倉敷で見かけたことばです。

   用即美 ( Useability equals beauty)

 大原美術館の近くで昔の古い道具などを集めた博物舘のなかにあったことばです。確か、竹で編んだ“ざる”の横に記していたと記憶しています。多くを語る必要はありませんが、ごちゃごちゃ飾り立てるより機能的で使い易いものがもっとも美しい。「豊かさ」に通じることばだと思います。

 ほんとうの「豊かさ」をもっておれば表情は明るく、おだやかで品格が感じられるようになると思います。 笑顔は周囲をも明るくするでしょう。暗い頻は周囲に伝染し、みんなを不幸にします。

 あなたは、それでもまだ、電車の中でそんな顔をしますか。


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