枚方市役所 脇田 隆男

 わが街を紹介するよう依頼され、住み慣れた守口のことを書こうかと思いましたが、このような機会に、長年勤めている「わが街枚方」のまちづくり情報を発信しないのは至誠にもとるのではないかと悔い改め、近々オ−プンする「枚方市立枚方宿鍵屋資料館」周辺の旧京街道「枚方宿」地区を紹介することにしました。

1.地区の歴史特性

 この地区は、古くから京都・大阪間を結ぶ京街道の宿場町(古文書等では東海道枚方宿という記述が見られ、枚方市は東海道56番目の宿場町としてアピ−ルしています。)として栄えてきました。現在も、京阪枚方公園駅から枚方市駅付近に位置し、枚方市の中心的市街地ですが、往時の繁栄を偲ばせるまちなみとともに町家も30軒近く残っています。先ず、地区の成り立ちから紹介したいと思います。

位 置 図

−京街道−

 地区の骨格である京街道は、豊臣秀吉が文禄3年(1594年)に淀川左岸に文禄堤といわれる堤防をつくらせ、これを道として利用したことに始まりますが、徳川家康の治世になって、東海道をはじめ江戸を中心とした街道整備が進められたことに伴って、それまでの東高野街道にかわって、五街道とともに幹線道路の役割を担うようになりました。

−枚方宿−

 この京街道に設けられた枚方宿は、五街道を支配する道中奉行の管轄のもと、武家や公家の宿泊所の本陣、脇本陣(場所等は不詳)、問屋場のほか、旅籠や茶屋が軒を並べていました。その規模は、泥町・三矢・岡・岡新町の4村で構成され、東西13町17間(1.5q)、道幅2間半で、人足100人、馬100頭を常備していたといわれています。

−淀川舟運−

 また、地区の西側を流れる淀川には、三十石船など大小さまざまな船で賑わっていました。この三十石船に小舟で漕ぎ寄せ、「めしくらわんか、酒のまんか」などと乱暴な言葉で酒や餅、汁などを売りつける煮売り舟は、滑稽本『東海道中膝栗毛』にも登場しており、「くらわんか舟」と呼ばれ、淀川の名物になっていました。

 オランダ人医師シ−ボルトは、その景観を『江戸参府紀行』のなかで「枚方の美しい風景は、遠く故郷のマイン渓谷を思い出させた」と言っています。 

−鍵屋−

 なかでも、三十石船の船宿として栄えた鍵屋(主屋)は、通り庭、起り屋根などの江戸時代の町家の特徴だけでなく、カマヤの位置が街道側にあり、客の出入りが多いために擦り上げ戸になっているなど、船宿の構造を残す貴重な歴史的建造物であり、市の文化財にも指定されています。

2.枚方宿地区のまちづくり

 これらの貴重な歴史環境の保全・活用は、人間愛、自然愛、郷土愛の3つの大切
な愛を育む「心ときめく枚方」を創造していく上で重要なテ−マであり、枚方市では、歴史街道整備や舟運の復活に取り組んでいるところです。

 一昨年には、各自治会・商店会並びに関係団体等を巻き込んだ「枚方宿地区まちづくり研究会」が発足し、枚方宿地区の歴史と文化を生かすまちづくりの調査等が行われてきました。その後、地域が主体となってまちづくりについて話し合う場である「まちづくり協議会」が設立され、街づくり協定の締結等、引き続き取り組みが進められています。

 今後も、市民、事業者と行政の役割分担と協働により、地域に誇りと愛着を持った住民に支えられ、ひとの息づかいといったものが感じられる枚方宿地区の形成が期待されます。

 また、これまで楠葉で開催されていた枚方まつり・花火大会も、この地区に近い「ひらかた水辺公園」を会場にして行われており、夏の風物詩として多くの人々に親しまれています。

3.鍵屋の保存活用

 枚方宿地区のまちづくりの一環として、枚方市が一昨年に「鍵屋」を取得(主屋は寄付)するとともにその保存活用を図るため、枚方市の歴史街道モデル事業により枚方宿鍵屋資料館整備が進められており、この7月3日にオ−プンする運びです。この資料館では、解体復元した主屋のほか、別棟1階を6つのコ−ナ−に分けて、宿駅と舟運によって繁栄した枚方宿の歴史を音声や映像、模型など様々な演出を駆使して分かりやすく解説しています。(場所は、枚方公園駅下車西へ徒歩3分 開館時間は9:30〜17:00、火曜日は休館です。)

 この資料館に関してはもう少し説明したいのですが、「百聞は一見にしかず」ですので、「ひらパ−」のお帰りにでも是非お立ち寄りください。なお、ご連絡いただければご案内いたしますが、入館料(200円 小中学生は100円)は一銭もおまけできませんので、よろしくお願いします。


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