ペンリレー

まちづくりと路面電車

大戸修二(フリーライター)

 先日、松山市と広島市に3泊4日の旅をした。この小旅行を通して感じたのは、まちの景観と交通との一体感だった。


「松山市の路面電車」

 松山市は友人が転勤して住んでいて、年賀状には「温泉もあるし、ぜひ遊びに来てほしい」、「飲もう」と毎年書いてあるのに、行く機会が見つけらないまま3年が経ってしまっていた。広島市はというと、妹家族が安芸の宮島の対岸、広島県大野町に住んでいるので、年に数回は訪れる。友人の誘いにこたえるとともに、瀬戸内海を隔てた対岸の都市・広島に船で渡ろうという行程である。2つのまちに共通することはないものかと考えてみたら、ありました。両市ともに路面電車が現役で健在という点だ。

 松山の友人宅は同市道後町1丁目のマンション5階で、ベランダに立つと市内が一望できた。道後温泉までは徒歩で約5分。朝風呂に浸かろうと出掛けてみたら、粋(いき)な銭湯の手前に道後温泉駅があった。

数年前にリニューアルされた木造駅舎は大正ロマンを感じさせ、まちなみ景観にも一役買っている。この駅が松山市の路面電車(伊予鉄道運営)5系統の始発駅の1つになっている。松山市を走る路面電車は車体が濃淡オレンジ色に塗られていて、愛媛名産の伊予みかんを連想させる。まちの雰囲気とも違和感がなく、ミカン色のランドマークがまちを走っているという感じがした。

 友人に港まで送ってもらい、フェリーで瀬戸内海を渡った。「瀬戸は、日暮れて夕凪、小波♭♭♯・・・」。小柳ルミ子が歌った「瀬戸の花嫁」の歌詞のとおり、瀬戸内海はきらきら輝く水面と穏やかさがとてもよい。そして広島港に着いたら、岸壁近くに路面電車の停留場があった。


「広島市の路面電車」

 広島市は「路面電車が堪のうできるまち」と言ってもよいだろう。都心の街角でしばらく見ていると、前後左右どちらの方角からも路面電車がひっきりなしにやってくる。3連結の長い電車、車体の型、色もさまぎまだ。大阪、京都、神戸などに昔走っていた車両も、当時のボデーそのままに運行しているという。

 広島の路面電車(広島電鉄運営)は路線延長34.9km。その規模は現在日本最大で、補助交通というより基幹交通として定着していて、行き来する路面電車はまちの景観に十分とけ込んでみえる。数年前からはドイツ製5車体連接超低床車などのLRT(Light Rail Transit、ハイテク低床式路面電車)を導入し、バリアフリー社会にも対応している。

 路面電車定着化の課題の1つが市街部での走行速度といわれる。同市の調査では、西広島駅〜紙屋町駅間の平均速度は毎時11.5km。これを路面電車優先信号や交差点のアンダークロス方式を導入することにより、速度は約2倍の最大毎時24.8kmが可能だと同市は予測。マイカーによる交通が市街部で平均毎時21kmであることから、その方式が実現すればマイカー速度を上回る計算になる。

 昭和40年代に多くの都市から路面電車が廃止され、大阪、京都、神戸の路面電車の市電もマイカー急増による渋滞化、採算性悪化から相次ぎ消えていった。そして30年が経過した現在、ヨーロッパの各都市では路面電車復活による都心部の活性化策が進んでいる。都心部の数ブロックについて歩行者と低床ハイテク路面電車だけによるトランジットモールを実現、規定時間以内なら何度でも乗降できるシステムを導入したことで、市民の心をつかんで離さないという。

 松山、広島の旅から帰って「なにわ橋づくし」(露の五郎著)を読んでいたら、この本に書かれた大阪の橋の架け替え理由が気になった。災害、老朽化の理由のほかに、路面電車が華やかだった頃には市電敷設にともなう新しい橋への架け替えが盛んに行われたそうだ。大阪のまちづくりに路面電車が再登場することがあってもいいのではないか。旅を通じて、そう思った。


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