ペンリレー

「出身地はどこ?」

東洋建設(株) 長谷川善信

「出身地はどこですか?」と聞かれて私は即「大阪です」と答える。

 出身地を聞く裏にはその地域によってその人となりを知ろうといったことがあるのではないか。

 日本の民俗・文化には地域によっていろいろと違いがある。所かわれば品変わる、といったことはよく経験するし、方言などはその使われている地域が結構はっきり区別されている。東日本と西日本、表日本と裏日本など地域の違いの区分の仕方もいろいろある。

 そんな地域で生まれ育ったことによって人の性格も違ってくることがある。いわゆる県民性といわれるもので、一言で言えばその地域の人が持つ固有の性格ということである。もちろん地域が同じだからと言ってみんな同じ県民性(性格)ということではないが、ある種の共通点を持つことは否定できない。

 北は北海道から南は九州・沖縄まで、生まれ育った土地が違えば性格も違う。それも同じ県でも北と南、東と西で違うことも多い。人生で最初に県民性の違いに気がつくのはたいてい大学や会社に入ってからで、中学や高校までは周りはほぼ地元の人達だったのに対して、大学や会社には他地域で生まれ育った「異星人」が一杯いるからだ。

 聞いた話だが、県民性の違いを面白おかしく言った話を二、三。「道産子はおおざっぱ」、「冗談の通じない東北人」、「東京はエエカッコシイ」、「大阪人は金にセコイ」、「九州男児は竹を割ったような性格」ひどいものになると「恨みの新潟」、「裏切りの福井」、「二枚舌の京都」などという言い方まであるとか。

 またこんな話が、「京都十代、東京三代、大阪一代・・・土地の人間になりきるのは、京都は十代かかるが、東京は三代、大阪は一代でよいという意味。「京都十代」は京都の歴史の重みを表していて、十代住み続けて、はじめて京都人として認められるという、京都のうちもの(排他的)体質を表している。だから京都では、創業百年ぐらいでは老舗とはいえないと言う。

「東京三代」は「三代続けて住んで初めて江戸っ子という」ところから来ている。地方から江戸に出てきて、三代続けて住み続けるのがいかに大変かを表している。(松平定信や水野忠邦などは江戸が過密だったため「旧里帰農令」や「人返し令」などで力づくで江戸から庶民を追い出したこともある)

「大阪一代」は大阪の開放性を表した言葉である。

 こんな風に出身地による違いがある中で、同郷人、同県人に非常に愛着を感じるのも日本人の性格か。(これも県民性によっては違ってくるかも)そう言えば、各界の出身地別一覧表が多く出ている。歴代総理から相撲取りにいたるまで。はたまた出身県別相性診断なるものまであるとか。

 さてここで戻って、「出身地はどこ?」と聞かれて皆さんはどう答えるのかな。でもその時の出身地の定義はいったい何なのか。出生地?それとも主に育ったところ?ふるさと?本籍地?・・・ 昔は地場の人が多かった。その地で商売なり、農業なりをしていたり、またそれを継いでいくといった人がいた。私の親もそうであった。しかし私たちはサラリーマン・転勤族が多い。そうなると出身地とはいったいどこなのかよくわからなくなる。先程の県民性を決めているのが、その地域の歴史や位置・気候風土・産業などだとすると、それが身にしみつく頃(中学・高校ぐらいまでか)に居た所という事になる。そうなると転勤族の私たちの子供は出身地とはいったいどこと答えるのか。「生まれたのは○○○県、主に育ったのは△△△県です。」と言うのが正解かな。

 ともかく、私は「出身地?大阪です!」と胸を張って言います。あなたは・・・・・・。


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