思えば遠くへ来たもんだ

生まれ育った品川に戻って

戸田建設(株)東京支店 片桐隆志

 ご無沙汰しております。今東京におります。皆様のご活躍振りは、「潮騒」にてお知らせ願っております。

 平成7年に大阪に単身赴任し、銭高組の井上さん(今、東京にて単身赴任されているそうです。先日お電話いただきました。)のお世話で「地域デザイン研究会」に入会させていただき、当時のこの「思えば遠くへ来たもんだ」に、「大阪半住民」、「毎日が修学旅行」、「大阪の合理主義」をキーワードに執筆させていただいたのを昨日のように思い出しております。5年間大阪半住民の生活をし、平成11年に北関東を所管する支店に異動し、又10月1日に東京を所管する支店に異動となり、あわただしい毎日を過ごしております。

「関東」という語句を使いましたが、こちらでは、広域エリアの表現として、日常会話にも登場いたしますが、これに対する「関西」は、大阪赴任時代にはあまり耳にしなかったと記憶しています。同様に関西では、関東エリアを含め「東京」と表現しているようです。

また「東京」を地域とは別に、中央政府を表している場合が多く、戸惑ったときがありました。

 私の現在の住まいは、生まれてから結婚するまで住んでいた東京の品川です。東京の南部の区で、昔風に言えば東京府下で、地名に「戸越」があります。まさに江戸を越えたところで、終戦後、復員してきた人々が住まいを求めたところです。ですから非常に高齢の方が多い町となっており、やっと親と同居するために戻ってきた我々の世代が住居を建て替えはじめ新しい街並みになりつつあります。

 しかしながら、私共夫婦の最終的に住みたい街は、生まれ育った街・品川でなく、20年間子育てをした横浜市南部の街・港南台なのです。(実は女房も、中学の同級で同じ品川の育ち)このことは、子育てを通じたコミニュケーションがある街という思いが、私達夫婦にあるからなんでしょうか。

 この原稿も、「思えば遠くから戻って来たものだ。」というタイトルとなるのでしょうが、5年間の大阪生活で、しかも子育てがほぼ終わった夫婦としてたびたび女房が来阪し、京都だ、神戸だと歩き回っていたせいで、大阪エリアヘの距離感・生活感に速いと言う感覚がなくなってきていました。かえって生まれ育った品川にまだ馴染めず、生活感上の違和感があるのです。前述したように、横浜・港南台に精神的に親近感を持っている不思議な状態です。人間の感性もいい加減なもので、私のサラリーマン人生においてもう一、二度転勤があるとおもいますが、再度大阪に赴任した場合、こんどは「思えば近くにまた、戻って来たものだ。」と言うことになるのでしょうか。

その節は宜しくお願い致します。


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