宗教

地域デザイン研究会代表 平峯 悠

 哲学者山折哲雄氏の話の中に、ある日本人が外国で宗教は何かと問われ、「無宗教」と答えたところ入団を拒否された。そこで瞬間的に「日本には無の宗教という宗教があるのだ」と言い訳しなんとか入国できたという。世界の国々の宗教に対する理解のなさを示す一例である。

 世界の人口60億人の約8割は形式的な信仰を含めて何らかの宗教を信じている。その内訳は、キリスト教徒は約18億人、イスラム教徒が約10億人、ヒンズー教徒が約7億5千万人、仏教徒が約3万人余り、新宗教を信じる人が1億人程度、シク教徒やユダヤ教徒が1千万人を超えるという。日本で無宗教の人が多いというものの、初詣からクリスマスに至るまで、種々の宗教行動を当たり前のように行っている。また新興宗教に入れ上げ全財産をなくす人もいる。新興宗教はある人が突然宗教や霊的体験を経て自分の使命を自覚することから始まる。人々がこれらの新宗教にのめり込むのは、分かりやすい言葉で表現され実生活で容易に実行できるからである。逆に言えば騙されやすい。日本でのその数は約300程度といわれている。

 宗教の定義は難しいが、人々の死への不安や存在の不安、現世の苦難からの開放であると言えよう。宗教は精神的安定をもたらすと同時に、社会的な組織や制度、民族の文化として生活そのものになりきっていることが多い。今回の同時多発テロを引き起こしたイスラム原理主義者は「西洋文化に接触すればするほど、より差別意識を感じ敵意を燃やす。西洋音楽、服装、個人の重視などは、文化的狂信主義者にとっては気が狂わんばかりの軽蔑を生む(リチヤード・コーエン)」という。それぞれの宗教は人々の安寧と幸福を願っているが異教徒に対しては通用しない。日本人は自然崇拝を基本にし、複数の宗教を区別なく受け入れるという信仰形態をとる。従ってキリスト教やイスラム教のような一神教で生活の一部となっている宗教を理解できていない。

 これまで人類の歴史の中で宗教に起因する対立や戦争は果てしなく繰り広げられてきた。十字軍の遠征、中世の宗教戦争、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の対立など宗教上の対立は人類が存在する限りなくならないのかもしれない。日本でも近くはオーム真理教の暴走とテロ、中世から近世にかけてのキリスト教弾圧の歴史、一向一揆、信長による仏教徒焼き討ちなど日本だけが例外ではないことを認識すべきである。

 これからの日本はアメリカの傘の下で一人平和をむさぽるわけにはいかない。進歩的文化人と称する人達や一部マスコミの世界平和論は大変薄っペらい。お互いがよく話し合えば戦争がなくなり、平和な世界が実現するというのは正に奇麗事である。世界の宗教やそれを具現化した文化・文明及び生活様式に対する深い理解と判断力を養い、日本人としての確固たる行動規範や原理でもって説得し時には戦いとる覚悟が必要である。

 9月11日に行われた同時多発テロは、宗教を再認識させ、21世紀の文明に大きな変事をもたらすものとなるに違いない。


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