悠悠録

葉隠(はがくれ)

地域デザイン研究会 代表 平峯 悠

 ここ数年日本の社会は停滞したまま容易に動く気配が感じられない。新聞やテレビでは批判や課題が指摘されてはいるが、何でもがワイドショー化してしまっている。日本人特有の何とかなる、今によくなるといった楽観ムードが漂っている。たしかに人間社会の歴史は大波小波の連続であり、必ずしも悲観することでもないかもしれない。

 江戸三大改革のひとつである「享保の改革」は、8代将軍吉宗がその治世(1716〜1745)を通じて行った幕政の改革で、倹約の励行、武芸の振興、年貢増徴、株仲間の公認、町人による新田開発、目安箱の設置、書生所の設立、医学の奨励などの政策により幕藩体制の建て直しを図ったものである。現在の構造改革によく似ている。さらに面白いことにその少し前に私たちがよく知っている「貝原益軒の養生訓(1713)」や「山本常朝の葉隠聞書(1716)」が世に出されている。この「葉隠」は戦時中の軍団主義の名残として封建道徳とみなされているが、実はそうではない。人生の処世訓でもあり教養書でもある。元佐賀藩士山本常朝口述の11巻で葉隠集、鍋島論語とも言われる。この聞書きは、井原西鶴や松尾芭蕉がその才能を開花させた元禄・宝永の華美な風潮を背景に持ち、その時代に対する抵抗から生まれたものである。「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」は葉隠れの代表的な言葉であり、「食うか食うまいかと思うものは、食わないほうがよい。死のうか生きようかと思うときは死んだほうがよい」などの言葉に対し、三島由紀夫は「葉隠は元禄の太平の世相に対して、死という劇薬の調合を試みたものであった。この薬は、戦国時代には日常茶飯のうちに乱用されていたものであるが、太平の時代になると、それは劇薬として恐れられ、はばかられていた。山本常朝の着目は、その劇薬の中に人間の精神を病から癒すところの有効な薬効を見出したことである。」(三島由紀夫「葉隠入門」新潮文庫)という。

 葉隠には死に対する覚悟の他に、今読んでも興味を覚える多くの名言が残されている。

 葉隠は向こうからおそってきた瞬間における行動をあらかじめ覚悟し、規制することに重点をおいている。長い準備があればこそ決断は早い。現代のような「決断」や「覚悟」のない時代にあって平成における「享保の改革」を期待するならば、葉隠に示されている極めて直接的でわかりやすい世直しの論がぜひ欲しい。江戸時代の名著や思想を振り返り、これからの日本の方向づけをすることもひとつの方法だと考えている。

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