真の都市再生に向けて

−魂の再生からの出発−

地域デザイン研究会 副代表 藤田健一

 急激な都市化を終えて、今、日本はまさに本格的な都市の時代。地域デザイン研究会は、いよいよこれまで以上にその役割の真価が問われようとしている。 今回は、にぎやかに騒がれだした「都市再生」の意味を、モノづくりの方法論を離れ、少し違った切り口から論じてみたいと思う。

 最近、内閣・政府や国を挙げて「都市再生」の声が高まってきている。昨年5月に内閣府に都市再生本部が設置されて以来、「都市再生緊急特別措置法」の制定・施行を踏まえた都市再生プロジェクトの選定や緊急整備地域の指定も具体化し、一方で、都市計画特区や経済特区等をはじめとする各種の「特区」論争などが、その実効性や中身はともかくにぎやかな話題とされている。

 その「特措法」の理念は高邁だが、それに向けた国、関係機関の取り組みは、都市再生の本質を突くかとの観点から見ると、釈然としないところが多い。この動きにあわせ、大阪府でも各種の取り組みが行われてきているが、その前提となる本質的議論がどこまでなされているのかは、疑問なしとしない。

 ここで必要なことは、「われわれ都市づくりに長年かかわってきた様々な立場の者から見て、実に『都市・都会』と呼ぶに値するものをつくり上げえたのか。もしつくり上げたとして、それは再生に値する都市なのか」との反省であり、顧慮である。

 日本人と日本は、特にここ数十年間、西欧に追いつき追い越せのキャッチアップ政策で国を挙げ、「経済的に豊かなる社会」をなりふりかまわず目指し、まい進してきた。それは、国民や国・地域、都市に物質的豊かさをもたらしたが、他方では、自然環境、地域コミュニティーや地域風土の破壊、その根こそぎの改変など、多くの不可逆的マイナス資産をも生み出した。それは物的面のみでなく日本人の精神面にも深く関わり、大きな影響を与え続けてきている。

 そのため都市づくりや社会資本の整備面でも、生活の豊かさを実感できる質の向上や、これまでの経済効率や供給者論理からの「最適化原理」に基づく「物理的市街地」の形成でなく、人間や他の生命との共生を中心とし、地域個性にあふれ、地域を光らせる文化の薫り高い「都会づくりや都市づくり」を「個性化原理」でつくり上げることが、強く要請されてきている。

 都市や地域の個性は、その地域の「歴史」や「風土」と、そこでの「人々の営み」の関数であるといわれる。真に都市の再生を考えるとき、その中心に置かれるべきは、物的なものの整備や仕組みづくりに先立ち、その国や都市・地域の人間の「精神風土や今後の精神のありよう」であろう。

 従来の日本は、日本人固有の「精神」と自らの「学問・思想」、「技術」などを融合させてきた。

 すなわち、古代からの「和魂和才」。遣隋使、遣唐使を通じて当時の先端国・中国の学問思想、披術等を学び和魂と融合させた「和魂漢才」。そして日本の近代化、明治の欧米との交流の中で決定づけられた「和魂洋才」。少なくともここまでは、「和魂」すなわち日本人本来の固有の魂と思想を守りつつ育てる精神風土が保持された。その後の日本の近代、現代資本主義の発展とともに、日本人は和魂を捨て、アジアの中でも日本人は西洋人と称される「洋魂洋才」へと傾き、さらにバブル経済期を通じて、もう欧米からなんら学ぶべき思想も無いとその魂をも捨て去り、批判、評価なしに欧米の制度、システム、接術を取り込む「無魂洋才」へ。そしてバブル崩壊後は、すべてに疑心暗鬼と自信喪失の日本人は、「無魂無才」へとつながってきているように思える。

 このような中で、これから我々が収り組む「都市再生」は、欧米の思想や制度の模倣から開放され、日本人や日本固有の精神と思想(基本哲学)の根本的見直しと再発見からの出発である。そして、それらの再構築による新たな創造が大きなテーマとなる。すなわち、新しい枠組みの中での魂や思想の再生としての「新・和魂和才」をめざす精神風土の組み上げと、それを基本とする都市再生への制度や仕組み・手法づくりへの積極的取り組みが重要であろう。日本の都市再生の本質と原点は、その中にこそあると考える。


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