巻頭言

危機意識を持つ

地域デザイン研究会 代表 平峯 悠

最近、大企業や官公庁の不祥事が頻発し世間を騒がせている。いくらトップが交代しても、企業のモラルや組織風土が変わらねばいつまでたっても同じ事の繰り返しに終わる。また少子化・高齢化への対応、教育の荒廃、社会理念やルールの欠如、護送船団方式などは一刻も早く解決しなければならない日本の重要課題である。しかし問題先送りには苛立ちを覚える。一方京阪神都市圏では、人口減や東京への企業転出、情報発信能力の低下、経済的地位の転落もあり都市再生の必要性が叫ばれている。しかし誰が本気になって取り組んでいるのだろうか。これまでの繁栄の歴史に胡座をかき、現在の低迷の責任を中央政府に求め、陳情や要望により解決しようとしているように見えてならない。自らの発想や気概がほとんど感じられない。

この根本的原因は危機感の無さ、即ち的確な現状認識に基づく危機意識の欠如にある。実態を隠すことによって、危機状態を表面化させないという姑息な方法やまた危機意識をあおり、自分の都合のよい方向に誘導するという小手先の戦術もこれまで往々にして見られた。しかし今後は絶対に通用しない。

組織の体質水準を判断するのに、日本能率協会の星野氏は以下のレベルを示している。

@問題に気がつかず、気がついても放置・隠蔽

A言われたことだけこなし、新たな取り組みに抵抗

B横並び、表面追従だけで長続きしない

C自分なりの工夫をし、成功体験を積む

D成功に甘んじることなく改革を継続

私たちの周りを見渡したとき、多くの組織はB以下であると思えてならない。トヨタやソニー、改革を断行した日産など元気で活力にあふれた組織では常に成功に甘んずることなく改革を継続している。そこには明確な危機意識があり、それを克服しようとするリーダーと斬新な仕組みがあるに違いない。

危機というのは、「危」=あぶない・不安定・険しい、「機」=機運・機会等の語から成り、転換期としての意味を持つ。注意すべきは、危機には経路の岐路、分かれ目といった意味が含まれており、すべてが悪い状態ではなくよい方向に向かう出発点になると言うことである。危機を触媒とみなし、古い習慣を動揺させ打ち破り、新しい反応を引き起こし、新しい発展を促す大切な要因であるとする理論もある。

危機を転換点としてはっきりと認識することが出来れば、次のステップへの成長・発展が極めて容易となる。問題なのは、現在の日本社会や沈滞した組織では、危機を危機として意識できていないことにある。危機意識の低い人は、例えば関西は東京を意識する必要は無い、山系にも恵まれ、住む環境や所得だってそれほど不自由はしていない、これで十分だと言う。しかし「あらゆる人々が結集し新しい魅力や活力を生み出さなければ地域は衰退に向かう」というのは常識である。その認識が足りない。

櫻井よし子は「どの分野、産業、会社、学校、集落にも、鋭い問題意識をもっている有能な人々がいる。こうした人々の問題意識や危機意識を、敏感に反映する仕組みがあれば、日本はアリ地獄に沈みこむような現状からひらりと反転できるのである」という面白い表現をしている(「日本の危機」新潮文庫)。8月末に開催した地域デザイン研究会の現地シンポジウムで熱弁を振るった智頭町の寺谷町長はその有能な人物の一人である。町長のリーダーシップとアイディアの下に住民が生き生きとまちづくりに取り組んでいた。危機意識を見事に発展へと転換させた事例として評価できる。

危機を放置し対応を遅らせることは、経済環境の低迷はもちろんのこと、京阪神を支えてきた地域特性や固有の文化に大きな影響がある。地域デザイン研究会の重要な役割の一つは、街づくりを通して現状を客観的に分析し、危機を乗り越える手立てや方策を提案していくことである。そのためには、常に危機意識を鮮明に保ちたいと考えている。


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