卒業旅行

国土防災技術(株) 別府哲夫

平成14年3月末で株式会社建設技術研究所を定年退職しました。昭和40年4月入社以来37年間、公私にわたり多くの皆様に大変お世話になり、あらためてここに御礼申し上げます。

良い時代に良い人達に恵まれ、自分なりに充実した人生を送ることが出来たと思っています。これも地域デザイン研究会の皆様をはじめとする、会社以外の人との付き合いが大きく影響しているように感じています。

37年間酷使(?)した心身のリフレッシュと第二の人生への気分転換を兼ねて、3カ月は休暇を取る予定でしたが、新しく行かせてもらうことになった会社の都合と我が家の山の神の「3カ月も朝から晩まで家にいてもらってはこまる」と言う言葉に追われて、4月の1カ月だけ休むことにし、その休みを利用して佐渡島に行って来ました。行先を佐渡島に決めたのは、@日本三大一枚岩の1つと言われている「大野亀」に登りたいA門外不出と言われている無名異焼を実際に見たいB内田康夫の「佐渡伝説殺人事件」に出てくる賽の河原と「願」と言う変わった名前の集落をみてみたい―が主な理由です。

佐渡島へは以前から行きたいと思いながら、車で行くには最低1週間程度必要なためなかなか実現できませんでしたが、やっと願いが叶った心境です。家を出てから帰るまで、6泊7日で1800km以上走るのんびりした旅となりましたが、気分を新たに第二の人生への活力にすることができた感じです。

佐渡島では1日目は佐渡金山跡、博物館などのある南半分を廻り、今回の目的の場所は全て2日目に行無名異焼の窯元は3軒見て回りました。無名異焼は金山の坑道から産出される二酸化鉄を含む無名異といわれる赤土を混ぜた粘土を高温焼成して作る焼き物で、独特の朱色が特長です。江戸時代に金山採掘用の道具を焼いたのが始まりとのことで、現在佐渡島には20軒以上の窯元があるそうですが、製品を本州へ出荷する事はないため佐渡島へ行った人しか買えないとの「賽の河原」、「願の集落」は島のほぼ最北部にあり、以前は交通の便も悪く行く人も無かったようですが、最近県道が付け替えられて便利になり、リゾ−トホテルなどもできたため観光客も少しは増えているようです。そのホテルの駐車場に車を止め、100mほど断崖下の二ツ亀(海水浴場)に下り、そこから海岸沿いに賽の河原、願の集落への遊歩道数キロを歩いていきました。

内田康夫の小説では、ここの賽の河原ほど「いい賽の河原」は外にはないとのことでしたが、前が海、後は急峻な山で石ころだらけの荒涼とした海岸に小さな地蔵や石ころを積んだ塚が無数にある様子は、「賽の河原」にふさわしい感じはしました。

賽の河原の墓守役とも言える位置に願の集落はありました。耕作地がほとんど無いような狭い場所で、しかも港の施設もないようなところに古い家20戸ほどが軒を連ねておりました。しかも、歩き始めてから集落を通り過ぎるまで30分以上も経つのに、誰一人会わなかったのがやや不気味な思いがしました。

願の集落から車の置いてある所までは県道を歩いて帰りましたが、途中で地元(願集落の老人?)の軽トラックが見かねて止まり、車をおいた場所まで送ってもらいました。多くは話してくれませんでしたが、「最近道が良くなって、賽の河原へ来る人が増えたが、そこにある石を持って帰る人がいる。それは止めた方がいい。バチがあたる」と言っていたのが印象的でした。

「大野亀」は願の集落から少し南に下った所にありました。海に突き出た一枚岩で全体を見るには海からになりますが、陸地側からは薄く表土で覆われており県道からは歩いて登ることが出来ます。6月には一面にキバナカンゾウが咲き、とてもきれいとのことです。

頂上までは雑草と低木の間を道が付いており往復約25〜30分、頂上では日本海の荒海が180°の視界で見渡せますが、風が強く物につかまらなければ立っていられないほどでした。

ちなみに、一枚岩としては日本一と言われている「悪城の壁」にも寄る予定でわざわざ立山で1泊したのですが、冬季一般車進入禁止とのことで近づくことが出来ませんでした。今年は例年になく春明けが早く、特に問題は無いと思っていたのですが、役所的発想によって月日で規制を決めるやり方に少々不満が残りました。

今まで佐渡島に対しては、流人の島、非人の島という暗いイメ−ジしか持っていませんでしたが、今回行ってみて少なくも南半分はなかなか明るく、活気のある感じを受けました。また、観光客も概ね金山から南側に集中しているように感じました。佐渡島出身の知人の話では、「佐渡島の人を含め観光者も殆ど金山から南を見て回るだけで、島の北端まで行くのは少ない」とのことでしたが、人の少ないところへ行くのも結構楽しいものです。

北側の島の中央部には標高が千メートルを超える山もあること、頂上には自衛隊のレ−ダ−基地と併せてスキ−場があることも初めて知りました。

最後に、5月からは国土防災技術鰍ノ行っています。

同社は林野系の会社で、地すべりの調査・計測・解析または保安林解除等の分野では全国的に知られた会社で、500人以上の社員が居る会社ですが、道路部門が弱い(林道以外の本格的な道路の実績は殆ど無い)ため、少しでもその分野で役に立てればと思っております。

当社には道路・橋梁等の経験者がいないため、主任技術者として業務を直接担当することもあり、ある意味では自由で楽しい毎日を送っています。今後も皆さんには相談をすることが多々あると思いますが、よろしくお願いいたします。

<後述>

阪神電鉄の久保田氏から投稿依頼を受けすぐメ−ルで送ったのですが、後日届いていないことが分かりました。再度送ったのですが前回の「潮騒」を見て、やはり届いていなかったようです。そのため、話題は少々古いことですがそのまま提出することにしました。

北朝鮮に拉致されていた曽我さんが帰国して真野町へ帰った話や、昔の大野亀をバックにした写真を新聞で見て、感慨を新たにしています。


HOME  潮騒目次

inserted by FC2 system