大局観を養う

地域デザイン研究会 代表 平峯 悠

最近のマスコミ等の論調には二者択一的な見方が多いように思う。例えば構造改革か景気対策のどちらを優先すべきか、ハードランディングかソフトランディングか、官か民か、また都市計画でも集中と分散、クルマか鉄道かなど、立場をどちらかに置いた論が展開される。しかしこのような議論は概ね不毛に終わり、納得のいく結論がほとんど得られない。

昨年10月23日、辛口のコラムニスト山本夏彦氏が87年の人生を閉じたが、「言葉は言い方が悪いから通じないのではない。相手がそもそも聞きたくないから通じないのである。聞きたくない話をうまく言えば言うほど、相手は機嫌を悪くする」「日教組は古いことは悪いこと新しいことは良いことというに尽きる。日清・日露戦争まで侵略戦争だという。そんなことはあるまいと思っていても、言い負かす理論がないから黙っている」など面白い表現をしている。二者択一論には正義らしきものや主義を背景に持つだけに始末が悪い。失業が増える、危機が生ずる、地方切り捨て、弱者にしわ寄せ、人道・人権侵害等などを前面に出して論を展開されると、おかしいとは思いながらも反論しにくくなる。不良債権処理や道路・郵政民営化をはじめとする構造改革がなかなか進まないのはそこにある。

昨年は、北方領土をめぐる外交問題から政治屋のゆがんだ構造、中国潘陽事件、北朝鮮の拉致問題、特殊法人民営化等が明るみに出され、これらはいずれも戦後の日本の教育や思想が引き起こした結果であることを鮮明に見せつけた。刷り込まれた思想や呪縛からの脱却は大変難しいと述べたことがあるが、現在の社会に蔓延している主義や歩んできた路線は基本的に考え直す必要があり、その時期でもあろう。日本が今後どのような方向に進むのかを示す「大局観」と、それをもったリーダーが必要な時である。

私は、渡部昇一、曽野綾子、江藤淳(残念ながら故人)、中西輝政氏などは日本のオピニオンリーダーの一翼として注目しているが、特に中西輝政氏は戦後生まれでありながら50年のゆがんだ社会構造のありように鋭く迫っていることに安心感を覚える。これらの人々に共通するのは、芸術や歴史などの文化的教養、国際的にも通用する普遍的思想を持ち、美的感受性、情緒豊かな感性を持っているといっては言い過ぎか。普遍的価値観や大局観が論を誤らせない。軽薄で薄っぺらな論は許したとしても、二者択一論を展開しそのどちらにも一理ある、お互い歩み寄れという言い方には正直腹が立つ。山内昌之東大教授は、近年日本の文化を構築する上で重要な役割を果たしてきた和漢洋の教養が軽視され、その教養に導かれる大局観が欠如しつつあると指摘する。最近では江戸時代を見直す、あるいは絢爛たる時期として捉える傾向になってきたが、それだけでは不十分であり、明治・大正・昭和初期の日本精神やルール、伝統や生き様等をも振り返らねばならない。

社会システムや社会動向の変化に伴い都市計画や街づくりも転換期を迎えているが、そこにも大局観でもってあるべき方向を示さねばならない。都市計画や街づくりに関与する人たちは、▽日本および日本人のアイデンティティー、地域固有の遺伝子▽日本的精神に育まれた伝統・文化、美意識、生活様式、生き様▽人間と自然のかかわり▽人々の行動の原点となるモチベーションと社会的規範−などについての創造的な理解力や知識、すなわち、「教養」を身につけておかねばならない。これらを包括する概念が「風土」であり、国土や自然を相手とする人たちが学び、理解しておかねばならない必須の概念だと常に考えている。都市に対する大局観を涵養するには風土の考察が不可欠である。

内田隆三は「人々の意識の中に国土なるものがひとつの持きがたい現実として浮上してくる時がある。これまでの日本の歴史の中において、また私達の意識するこの百年においてもそれが実証できる」という。平成15年は現在の日本を作り上げた戦後の意識とその結果としての国土の現実を、大同額を持って捉えなおす重要な年となろう。


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