普請道楽に拍手を

大阪市 岩本康男

祖父の時代までは、普請道楽と呼ばれる人達が多くいて、茶室とか離れなどを凝った造りにしたり、床の間や襖絵などを趣味にまかせて設え、人を招いては楽しんでいた。今日のような経済状況では過ぎた道楽は許されないことであろうが、都であろうと、田舎であろうと、地域の風景をつくり、風格をつくってきたのは、そういう建築物であり開発だ。

ウズベキスタンにはブハラという世界遺産都市があって、サマルカンドとならんで世界中から観光客を集めている。モスクとか神学校に使われていた建物では、中庭で飲み食いができるし、バザールにもなっている。世界遺産が今日の市民のかせぎ場所なのである。シルクロードのオアシス都市としては西域よりずっと生きた歴史都市だ。中国では山西省に平遙という明から清の時代につくられた城壁都市がトウモロコシ畑の中に忽然として存在して、まち全体が世界遺産である。ここはまさに生活のあるテーマパークで、こちらは民家が宿舎やみやげ物店として観光客を集めている。

いずれの都市も、先祖からの遺産を見事に観光資源として活用しているが、当時の普請道楽が今日の糧となっている。当時のひとの高い意志や、それを大切にしてきた今日までのひとの努力があって、本当に心の安まる空間となっている。

富を一代限りのものだけに消費しておれば、こういったまちは成立していない。これはハコモノだけではなくインフラの整備にも通じる。金のない時代の方が堂々としたものができていた。まちの名所とか個性になるものが、19世紀の半ばから20世紀の前半にかけて、世界の大都市で、ほぼ時を同じくして進められた。

今日、まちづくりで300年後〜400年後に世界遺産をめざしてがんばろうと声をかけても無理だろう。現在では装置が陳腐化するのがあまりに速すぎる。しかし、1970年代の終りからのパリの都市改造では、芸術、科学、日常生活などの面で、最先端のハコモノを続々と造っている。

それは都市的な暮らしの楽しさを追求しているだけでなく、世界から常にひとを呼べる街を目指しているからだ。ミッテランを初めとした関係者の普請道楽には都市の誇りと集客政策を痛感させられる。

普請はまちのメモリーを創るわけだから、地域への愛なくしてはいいものはできない。あまりに短期的な評価ばかりでなく、夢を実現することの労を讃えるべきだ。公であっても民であっても志の高い普請道楽はもっと賞賛して良いのではないか。


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