ヨーロッパ大遠征顛末記(V)

大阪府 中尾恵昭

守口市 吉川一典

男達の11日間ヨーロッパの旅はいまだに続いている。

イスタンブール、バルセロナ、ウィーン、バーデン、ヴェネチアと徘徊してきた旅は半ばを過ぎ、7日目にしてやっとフィレンツェにたどり着いた。ただ、この時点ではまだ翌年にアメリカ、カナダの旅が控えていようとは誰も知る由もなかった。

X. イタリア(フィレンツェ)

1月11日8;28 ES(イタリア国鉄)9441号サンタルチア駅発11;18 サンタ・マリア・ノッベラ駅着サンタルチア駅からユーロスター(ES)で3時間足らず、フィレンツェ、サンタ・マリア・ノッベラ駅に着いた。

ボローニャを経てイタリアの穀倉地帯を南下してトスカーナ地方の丘陵地帯を通過しポー川を渡る、イタリアらしい風景が続く旅であった。

“花の都”の意味を持つフィレンツェは中世の雰囲気が今なお色濃く残り、華麗なるルネッサンス芸術が花開く世界文化遺産の街である。

サンタ・マリア・ノッベラ駅からこの街のランドマークであり、昔から市民の信仰の中心であるドゥオモ大聖堂に向かった。600年の歳月をかけて造り上げられた大聖堂は、まさにメディチ家が贅を尽くし栄華を極めた結晶そのものである。前のドゥオモ広場から見ると、その姿は圧巻で街の力量を誇示する狙いが見てとれる。壁の色大理石が白とグリーンで、規則正しく組上げられた黒のストライプがスクエアーな形状を強調しており、その中心に円形ドームを有するかなりモダンな建物である。正面の巨大なファサードが美しい。建物の内部はステンドグラスとフレスコ画で彩られ、金の縁取りのある柱が絢爛豪華に立ち並び、見るものを圧倒する迫力に満ちている。丸い塔上に昇る急な階段を上るとそこからは市街を360度見渡すことができ、赤茶けた煉瓦屋根が豊かな起伏をもち、モザイクのようにひろがっている。

そこからタクシーでアルノ川を隔てた高台にあるミケランジェロ広場に向かう。車はアルファロメオやフィアットが多く、4人乗ると窮屈であった。ミケランジェロ広場から眺めるトスカーナ地方の丘陵風景は中世の風景画そのままに、21世紀であることを忘れさせてくれる不思議な感覚を与える。フィレンツェの街全体が世界遺産として評価されているのは、礼拝堂が各所に存在し、宗教を中心に人と街が一体化して文化を形成し醸造してきた史実が今に息づいてきたからであろう。そこには統一された色調、形態の建物が整然と立ち並び、近代的な高層ビルは見えない。「都市は大きな家であり、家は小さな都市である。」その言葉が説得力を持って胸に迫ってくる。

そこから再びタクシーに乗り、ポンテ・ベッキオに向かう。これはアルノ川に架かる14世紀の姿を残している最古の橋で、橋の上の左右両側に商店が並んでいる。ベネツィアのリアルト橋でも見かけた光景である。中世ヨーロッパでは、多くの橋の上に家屋が建ち、そこが商売をしたり生活する場であった歴史をもつ。このベッキオ橋も石造りの商店が並んでおり、中にはトイレ・風呂、居間もあり、住宅も兼ねていると聞く。間口2間、奥行き2間半程度で中2階の建物である。

町衆の知恵、原動力ということを考えると当時の水の都、大阪でも八百八橋と謳われた多くの橋が民間の有志(豪商など)によって架けられ、維持管理費も橋番が合理的な負担割合で民間から集めていたと聞く。江戸は大半が「公儀橋」なのに大阪は町民自前の「町橋」がほとんどであったようだ。橋は軍事的・産業的にも要所にあり、また多大な費用を要する施設でもあるが、個人や地域が架橋することを認め、庶民の暮らし・物資の集まるパブリックな場として欠かせないものといった意味あいが強かったようである。もともと町衆がみんなで資金を出し合い、造り使い守るといった思考が明治時代になってお上が口出しするようになってから何かが変わってしまったのだろう。

ベッキオ橋を渡っていると、両側に家屋が建ち並んでいるため、あたかも街路を歩いている錯覚に陥る。ただ、橋の中央付近だけ家が途切れテラス状になっており、そこからアルノ川の上下流の風景が眺められ、市民の憩いの場となっている。

ベッキオ橋からほどなく歩くとウフィッツィー美術館に到着する。美術館の内部は木造で中世フィレンツェの名士や貴族の肖像画が所狭しと並んでいる。特に、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」は幻想的で圧巻であった。メディチ家が世界中から集めた財力と情報に芸術家や建築家が集い、それらの作品がわずか2Km四方のフィレンツェの街の中に散りばめ彩られている。街そのものが巨大で贅沢な美術館である。

歩いて市庁舎に向かう。中世の建物を利用した執務室にはIT機器が並び、福祉相談や証明書発行の窓口があった。市庁舎のホールには芸術作品と歴史的美術品が常設されており、ミュージアムに迷い込んだ雰囲気を演出している。先進と伝統が矛盾なく溶け合い、文化の厚みや誇りを何気なく漂わせるヨーロッパの価値観が羨ましくも感じられた。

フィレンツェに世界中から観光客が訪れる動機は史跡とともに年中見本市が開催されていることにある。我々も宿泊を予定していたホテルが満室であるのと、料金が通常の倍に跳ね上がることから、仕方なく夕方の列車に乗り、次の目的地“永遠の都”ローマに向かうことにする。

夕暮れ迫るフィレンツェを後に、我々は今宵の宿と「ローマでの休日」を求めて列車に飛び乗った。

(つづく)


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