悠悠録

境 界

地域デザイン研究会 代表 平峯 悠

大阪府太田知事が、大阪市を取り込んだ大阪都の構想を唐突?に提案し、磯村市長の猛烈な反発を食らった。二重行政をなくし効率化を図るというのが表向きの理由であるが、東京都の石原知事並みの力を持ちたいとの意思の現われでもあろう。しかしこれはそもそも政治的支配の対象である「境界」を変更するという極めて難しい問題なのである。

日本は周辺を海に囲まれているため、国境や境界を意識することが少ないが、境界は常に内外からの支配や管理のターゲットであり、「競合の場」であり、資源やイデオロギー的な支配を求めてしのぎを削る場なのである。一方、境界で仕切られた各地域にはそれぞれ固有の文化や歴史が形成されてきている。

赤坂憲雄は「境界の発生の現場とは、何処からかやってきた者が杖を大地に立て、そこが境界となって「こちら側」と「向こう側」に異なる共同体が形成される。境界は、交流、交換の場であり、闘争する場でもあり、数々の物語群が紡ぎだされ、反復されつづける」という。(「境界の発生」講談社学術文庫)現在、私達は境界の曖昧な時代に生きている。

人間や者や場所がくっきりとした輪郭を持ち得ない時代とはいえる。しかし例えば京都人は逢坂山トンネルや東山トンネルを抜けると帰ってきたと感じるし、東京の人は多摩川の鉄橋を渡るとほっとするという。大阪人は高嶋礼子の看板なのか。

人々の心の中には明確な境界意識は残っているはずである。

境界は、地政学上の客観的要因(例えば川や山、道路など)によって決まると共に、支配者の関心や政治意思という主観的要因によっても大きく左右され、さらに文化・文明、人種、集団によっても決まってくる。「国境」と日本の市町村間の境界を同一に論ずることはできないものの、市町村にもそれぞれアイデンティティーがあり、住民にも帰属意識が存在する。

グローバリゼーションは国境をなくし地球全体が一つになる、人類皆兄弟などと言うのは幻想でしかない。物理的境界がなくなればなくなるほど、逆に自らの文化や民族性が鮮明に意識されていくというのが社会学や人類学の定説である。まちづくりでもそれぞれの地域が個性を発揮していくためには、地域やまちが形成された歴史や伝統・遺伝子を現在によみがえらせ、鮮やかで意味のある「境界」を作り出すことも必要である。さまざまな物語を生んできた古木や辻、坂、橋、峠などの境界の持つ意味を再認識すべきであろう。

単なる効率論や経済性だけで市町村合併や統合、即ち「境界」変更を考えてはならない。今求められているのは、これまでの社会を支配してきた規制や仕組みの構造改革である。まちづくりの障害となる種々の壁、画一的補助金行政、役所の組織、税金の仕組み、硬直した法制度こそ改めねばならない。これらの「境界」はぜひ打破しなければならない。


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