大阪府 中尾 恵昭
守口市 吉川 一典

Y.イタリア(ローマ)

1月11日16;38 フィレンツェサンタマリア・ノッペラ駅発IC 555号
    18;53 ローマテルミニ駅着

 中世の都、フィレンツェからインターシティー列車(2等指定)で2時間半の旅を経て、「永遠の都」ローマの玄関口、かってあのムッソリーニが建設したというテルミニ駅に到着したのは夕暮れ間近であった。早速、500人広場と呼ばれる駅前広場から200mほど南にあるホテル・サンレモ(三星)にチェックインした。

 男達はロビーでローマ〜アテネ間の航空券を現地調達して持参してくれる現地在住の日本人を待った。待つこと10分、しなやかで色白、期待以上の容姿の美女が現れた。現地でツーリストの仕事について6年目という彼女は着くや否や我々の部屋をチェックし、ホテル側となにやら交渉を始めた。その結果、片言英語のフロントの言いなりで決めた部屋はバスタブ付きの大きな部屋にグレードアップされた。的確で毅然とした態度で交渉する彼女の姿をつぶさに見た私たちは軽いカルチャーショックを受けた。彼女が現地で購入してくれたローマ〜アテネ間のエアーチケットの料金は何と往復で1万円丁度であった。因みに、この往復航空券を日本国内で購入すると、当時のレートで6万円であり、いかに内外価格差があるかを実感した瞬間であった。その後、彼女の案内でフォロ・ロマーノやコロッセオの夜景を楽しみ、観光客の来ない地元のリストランテで宴たけなわとなった。その時のワインと牡蠣などのシーフード料理の味は忘れられない。

 あくる日、ホテルをチャックアウトし、テルミニ駅に手荷物全てを預け、再び我々だけの旅が始まった。ここローマは世界に冠たる歴史を刻んだ永遠の都であり、地中海の中央に位置する地の利を活かし勢力範囲を拡大した歴史都市である。現在では観光資源として外貨獲得と服飾のブランド化を推し進め、都市のビジネスモデルを確立した街でもある。

 テルミニ駅から地下鉄に乗る。ローマの地下鉄は2本、30km程度しか無く、未発掘の遺跡が無数にあるため工事が進まないという。その地下鉄でテヴェレ川を越えオタビアノサンピエトロ駅まで行き、世界最小の独立国ヴァチカン市国に向かう。中央にオベリスクが建つサンピエトロ広場、中世衣装を纏いスイス国籍を持つ衛兵が警護する法王庁、その中心に位置するサンピエトロ大聖堂。それは今まで見てきた王宮や聖堂の規模や威厳をはるかに超える荘厳なカトリックの総本山であった。システィナ礼拝堂の祭壇の壁面を覆うミケランジェロの「最後の審判」は圧巻であり、ダビンチ、ラファエロ、ボッティチェリなどのイタリア最高傑作、珠玉の名品は都市の圧倒的な富と権力、歴史の重み、厚みを実感させる。

 再び地下鉄に乗り、コロッセオに向かうことにする。帝政時代の象徴であるその闘技場は4階建で5万人の観客席をもち、地下には猛獣たちの檻があり、その上で剣闘士や猛獣の血なまぐさい死闘が繰り広げられたという。道を挟んだところに古代ローマの宗教、政治、司法の舞台であり帝国の中心であったフォロ・ロマーノ遺跡があり、古代ローマを彷彿とさせる壮大な景色が広がる。共和制時代、外国遠征で勝ち続け意気揚々と凱旋した将軍カエサルの野望と失意が莫大な黄金と戦利品とともに地下にいまだ眠っているようだ。

 路線バスでコロンナ広場に移動し、トレビの泉で肩越しにコインを投げ入れ、王女アンとアメリカ人新聞記者ジョーの最初のデートの地であり、今やイタリアファッションブランドのショーの舞台である、スペイン広場に向かう。そこには多くの観光客が「ローマ(で)の休日」を楽しんでおり、それを目当てに客引き、置引きが絶えない。我々も声をかけられ特産のカメオを勧められる。ここへ来たもう一つの目的である大学生の娘からの「Louis Vuitton」のバッグ購入の使命を果たすべく、客引きに店の場所を聞くと「コンドッティ通りの店よりルチーナ広場の店へ行け」とのこと。とにかく通りの店に行くと長蛇の列。それも全て日本人で、1〜2時間並んでいると言う。丁度その時店員が他店を紹介しており、それではと先行して広場の店に走ると、行列もなくカタログを見せてバッグを即ゲット。そこは店頭に商品がなく、写真と型番の入ったカタログを持参したのは正解であった。店を出ると先程の店から流れてきた客で長蛇の列ができており、あの客引きと機敏な行動が幸運をもたらした。グラツィエ。

 夕方、テルミニ駅に戻り、濃厚なエスプレッソで疲れを癒す。その後、レオナルド・ダビンチ空港に向かう列車を探すが、ホームが見あたらない。駅員もおらず窓口や案内でも「ホームの掲示を見ろ」との返事。それらしき車両の掲示板を見ると行き先が違う。荷物の整理を始めた時、急にこの列車の発車のベルが鳴った。なにげなく再度掲示板を見ると空港行きとなっている。足元には広げた荷物が散乱していたが、ごちゃ混ぜのまま列車に飛び乗った。改札は無く、駅員もおらず、案内表示もおおらかな駅であった。何かにつけてこれがイタリアの共通したスタイルであった。

 もうとっぷりと日が暮れて、沿線の家々に明かりが灯っている。一日半のローマ見学であったが、長い歴史のあいだに幾度も栄枯盛衰を繰り返してきていることから都会的な街並みの中にビザンティン、ゴシック、バロックなど、それぞれの時代の遺跡が混在している。古代、中世、現代が交錯し融合し、何とも幻想的な雰囲気を醸し出している街である。

 男達は、地中海の温暖な気候が育むおおらかな気質に別れを告げ、セニョリータの豊満な肢体に視線が釘付けになるのを振り切って、いよいよ旅の最終地オリンポスの神々が待つギリシャへと旅立った。

(つづく)


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