株)建設技術研究所 竹林弘晃

●阪神タイガース、優勝おめでとう!!

 は〜んし〜んタイガーズ!!フレーっフレッフレッ

 私も、大阪人のご多分に漏れず、大の阪神ファン。子供の頃から、「阪神子供の会」で洗脳を受け、学生の時には、ただで試合が見られる甲子園の売り子をしていたときもありました。

 そして、苦節18年、阪神ファンの思いを乗せて、ヤクルトが横浜に破れ、午後7時33分。星野監督が、甲子園の夜空に舞い、優勝が決定したんです!

 ああ、私が生きているうちでこれで2度目。ほんとうにうれしいです。本当におめでとう!!

●戎橋と道頓堀ダイブ

 大阪の阪神ファンは、当然のように、道頓堀<戎橋>に集まります。そして、5千人以上の人が、戎橋から、歓喜・狂喜の道頓堀ダイブ!

 その戎橋の歴史は、大阪夏の陣で豊臣氏が滅んだ元和元年(1615年)、安井道頓らによって開かれた道頓堀川に、町衆たちにより架けられた橋こそ戎橋のルーツです。橋が完成した時、今年の阪神優勝に負けないくらい、人々は大いに喜び、菓子がふるまわれ、餅まきが行われるというお祭り騒ぎとなったそうです。

 元禄時代初期には、人形浄瑠璃が大人気だったことにちなんで、「操り橋」と呼ばれ、元禄4年(1691年)には再び「戎橋」という名になっています。しかし明治維新直前の慶応3年(1867年)、幕府は「永成橋」という名に改めています。幕府が大阪城で外国使節を歓待するために、外国人をさげすむ意味に類する「戎」の文字を排除したためです。しかし無理矢理定められた橋の名前に人々はなじまず、明治3年に長年慣れ親しんだ「戎橋」の名が復活。御上の押しつけは聞かない、大阪らしさを感じます。

 戎橋は、明治11年まで木製の橋であり、風情と趣がある橋でした。いまは、ご存じのように環境基準値の10倍の汚さで大腸菌も検出されるほどですが、当時は、道頓堀川南岸に柳が隆々と川に垂れ、川の水は飲料水として飲まれていたほどでした。

 大正14年9月には、晴れ渡った秋空に、鳩と花火と風船が放たれると、鉄筋コンクリートアーチ型のリニューアルされた戎橋がお目見えしました。長さ36.1m、幅10.9m。これが今の戎橋です。

 橋梁から水面まで、およそ4m。道頓堀ダイブには、バンジージャンプほどの勇気はいりません。家の2階から飛び込むような感じで、あまり怖さを感じず、飛び込むことができます。

 ダイブの第1号は、21年ぶりに阪神が優勝した昭和60年10月16日のケンタッキーおじさんです。そして、約60人が後追いダイブ。ケンタッキーおじさんは懸命の捜索にもかかわらず、未発見。60年以降阪神が優勝できなかったのは、ケンタッキーおじさんの「たたり」といわれていました。

 それでは、この戎橋に、阪神ファンは、なぜ集まり、なぜダイブするのでしょう?

 前述した水面までの微妙な高さに加えて、道頓堀沿いに煌々と光るグリコなどのネオンサイン。あのネオンが醸し出す雰囲気が、何かを駆り立てるのではないでしょうか。そして、河川の構造上、ネオンサインが映る道頓堀川の水面に触れようと思ってもふれられないもどかしさ。

●これからの戎橋

 ただ、こうしたダイブも、お亡くなりになった方もいるように危険です。一方で戎橋周辺では、警察官が「危険ですから飛び込むのはやめて」と、必死の呼びかけをしても、イナゴの大群に家庭用の殺虫剤で応戦しているようなものです。では、どうしたらよいのでしょう。こうした危険なダイブをなくして、かつ戎橋の賑わいを守るには、道頓堀沿いに遊歩道を設置して、もっと水とふれあえる空間を増やせば、ダイブする人も減るんじゃないかと思います。

 また、ちょうど戎橋は、老朽化に伴い架け替えを行う予定だそうです。外観デザインは、現在デザインコンペ中で、橋梁の詳細設計は私の隣の部署が担当しています。

 余談ですが、当初、用地の都合上、工事中の仮橋を2階建てで検討していたそうです。しかし万一、工事中に優勝した場合、2階部からダイブされる危険性「阪神優勝安全率」を考えて、2階建て構造は断念したそうです。

 今度、阪神タイガースが優勝するのは、何年後かわかりませんが、阪神優勝と戎橋がもっといい関係になるように、わたしたち大阪人みんなが知恵を絞る必要があるかもしれません。


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