百姓(ひゃくせい)

地域デザイン研究会 代表 平峯 悠

平成16年2月27日、肺がんのため元神奈川大学教授の網野善彦氏(76才)が亡くなられた。網野氏は、これまでの歴史に登場しなかった、また文字を残さなかった人々の暮らしや文化を丹念に掘り起こし、公家と武士や農民だけでない生き生きとした豊かな日本を描き出した。網野氏の著書に出会ったとき目から鱗が落ちたといっても過言でない。

その一つに百姓という言葉がある。現在、「百姓」という言葉はマスコミでは注釈付きでないと使えない一種の差別用語であるようだ。明治以降、百姓と言うのは虐げられた貧しい農民、田舎もののことで、それをベースに過去の日本は封建的な農業社会であると教えられ、その認識は潜在的には現在まで続いている。しかし本来、百姓というのは「あらゆる姓を持つ人々」或いは「あらゆる職業の人々」という意味で、一般の普通の人々を指す言葉なのである。

明治政府が作成した最初の全国的な戸籍は1872年(明治5年)の壬申戸籍であり、職業別人口統計では、「農」78%、「商」7%、「工」4%になっている。これから見ると江戸時代末は商工業が全く未発達であるように思ってしまう。しかし網野氏は田畑で穀物を生産する厳密な意味での農業人口は全体の半分以下で、江戸時代は高度な商業、流通・金融組織を発展させた経済社会であったということを資料に基づき解明している。縄文時代ですら現代の技術の三分の一は既に使われ確立されていたというのは科学史の常識であり、その後の日本の発展を考えると、それを可能にしたのはいわゆる農民のほかに分厚い職業集団とそれを支えるシステムがあったことは間違いない。

最近の映画、ラストサムライやたそがれ清兵衛などで日本の「武士道」が話題を集めているが、日本には「百姓」=一般の人民・平民・庶民の生活規範がある。倹約、質素、忍耐、人情、礼節・作法なども多くの職業集団で伝えられてきた日本人の貴重な徳目である。これらを知ることが伝統文化や風土の理解につながる大切な要素であると考えている。現在、都市再生の議論が盛んであり密集市街地再生事業等が実施されているが、そこに暮らし、働き、長く根付いている伝統や歴史をどのようにくみとり、再生と呼ぶものにするかは未だ不十分である。多くは従来のハード物の整備や建物保存、歴史街道整備に目がそそがれ、長く住み着いている人たち、利は薄いが地域のために必要な多様な商いをしている人々、言い換えれば普通の人々=百姓(ひゃくせい)の暮らしや生活、また価値観には焦点が当たっていない。都市調査法、計画手法を変えねばならない。

地方分権を推進していく上で、それぞれの地域の歴史の真実を知ると言うことは、今ものすごく大切であると痛感している。


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