ワークショップってなんだろう

アトリエK伊藤可奈子

以前、世田谷まちづくりセンターの立ち上げに深く関わられた、とてもハンサムな2人の女性の講座を受けた。講座名は「ワークショップの達人になろう!」。(講師のお2人はこの名に対して首を傾げておられたが・・)

私がワークショップに目覚めたのはこの講座を受けてからだ。それは楽しいものだった。もちろん受講生が何らかの形でまちづくりに関わっておられる方々だから、意識も違えば進行もスムースなのは当然の話だが、とにかく楽しい講座だった。

それ以後、実際にワークショップを体験してみたいと思っていたら、念ずればナントカで、「公園のリニューアルワークショップ」「バリアフリー問題のワークショップ」、少し変わったところで「野良猫問題のワークショップ」といくつかの「現場」を体験することができた。終わったもの、まだ継続中のものもあるが、主催者側の運営方法によって様々に「現場」は変化することが興味深い。

悪い例?とも思われるのが、ワークショップとは言うものの地元説明会の変形版、あるいは住民との意見交換会になっている場合だ。言葉は悪いが「アリバイ工作」と取られても仕方がないようなワークショップもあった。限られた時間の中で大きなテーマを話し合い、立場の違う住民の方々に納得してもらう作業の苦労は大変なものがあるが、ただ「やりました」だけでは味気のないもので終わってしまう。いいワークショップ、これという正解はないにしても出来るだけ全ての参加者にとって「いい形」のワークショップというものはどういうものなのだろうか。

ファシリテーターになる人のリードの仕方によって、同じテーマを話し合っても印象が随分違うし、進行プログラムを十分練っていたとしてもファシリテーターの技量によって流れ方が違う。技術のいる役柄だ。また、小道具や会場の演出の仕方によっても雰囲気が全く変わってくる。

「つぶやきを形に変える」とはワークショップ講座を受けた時に聞いた言葉だが、ワークショップという場にそれぞれの立場を超えて1つのテーマに合意を見出す作業というのは、(その場は社会の縮図のようなものなので)その場に参加した方々がワークショップを経験することで、何らかの意識変革の芽を持ってもらうことなのかもしれない。(意識の高い方々も沢山おられるので人の集め方も重要な課題だが)自分が生きている場が自分の生き方、人生にも深く関わっていることに気づいてもらう「場」であるようにも思う。

まちはひとによって成り立っていて、マンパワーがそのまま、まちに反映されることを思えば「まちづくりはひとづくり」であることがよく分かる。マンパワーを発揮してもらうために、行政もコンサルも住民も「しんどい」けれどきめの細やかさが必要なんだと感じている。ワークショップは何かを作るための合意形成を図る場だけではなく、本当はもっとメンタルなところでまちづくりをする有効な手段なのではないだろうか。(気の長い話だが・・)

まだまだワークショップは新入生でよく理解できていないが、しばらくは「現場」を体験し続けたいと思っている。
しかし、ここだけの話、ワークショップはもうかりまへん!


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