悠悠録

愛 嬌

地域デザイン研究会 代表 平峯 悠

時々、人様の「顔」のことが気になる。今まででは、バブル経済最盛期のぎらぎらとあさましく下卑な目つきをした顔、バブル崩壊後では活気を失った情けない顔が特に気になった。現在は、恵まれた時代の所為なのか目標を失った、反応の鈍い感じの顔の人が増えているように思えてならない。穏やかな時代であることは結構なことであるが、自己中心で没個性が進行し、溌剌とした微笑や愛嬌が消えつつあるようだ。特に女性の魅力の象徴である「愛嬌」が若い女性から失われているように思えてならない。

最近の若い女性は、愛嬌があると言われることを、小動物みたいとか小ばかにされていると感じているらしい。これに影響をしているのが眉をそりおとし、小顔にし無表情をよしとするなどのエステや化粧であり、日本の伝統的な魅力ある顔を否定する風潮が蔓延している。「愛嬌」は「愛敬」が転化された仏教語であり、仏や菩薩の表情を指し、柔和で慈悲深く、敬愛に値する表情を愛敬相という。むやみに愛想を振り撒いて人に気に入られようとすることとは違う。東洋の心と言われる「タイ・スマイル」と匹敵するのが、日本の女性の恥じらいと愛嬌のある表情でありそれが失われることは大変さびしいことである。

歴史の中で、世の中を反映するのが人々の「顔」であることを多くの人たちが指摘する。柳田国男は民俗学の見地から、司馬遼太郎は小説の世界で、その時代時代の顔の変化を明らかにしている。NHK大河ドラマ「新撰組」の時代は、幕末の動乱期で外国の脅威にさらされていたため「顔」の表情や輪郭、目つきも凄みがあり鋭かったはずなのに、ドラマの男優女優とも、現在のハングリー精神がなくなり、のんびりとした時代を代表するのであるから迫力不足は否めない。時代劇を演ずる俳優がいなくなった。

司馬遼太郎は幕末の人間の顔を「魂の量」の多い顔といったが、男性女性を問わず、溢れんばかりの魂、言い換えると精神、気力、思慮分別、才略等が顔に表れている人は魅力がある。人の顔を批評するのは個人的な判断や好き嫌いが入るから難しいが、これを魂の量と置き換えると分かりやすい。伝統文化を担う職人、指揮者や画家など芸術家には素敵な顔の人が多い。これは永年の技術の積み重ねや努力の結果「魂の量」が多くなり、それが愛敬相に高まったからであろう。

最近の政界では松下政経塾出身の人が多いが、松下幸之助は採用基準を「運のある人」と「愛嬌のある人」としたと言う。中田宏横浜市長、原口一博(民主党)以下多くの卒業生を送り出しているが、これらの人々がさらに魂の量を増やし、魅力あるリーダーとなるかはこれからである。フーテンの寅さんの口癖は「男は度胸、女は愛嬌」である。今のご時世では男女逆転しているようではあっても、愛嬌というのは人間にとって欠かせないものである。


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