再発見、大阪の熊野街道

大阪府 尾花英次郎


熊野街道行列


写真にある熊野街道の道しるべは、方違神社東、大仙公園北、神石市之町交差点、鳳小栗街道交差点、大鳥大社前などに設置しています。

 熊野古道が人気を博している。昨夏、「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコ世界遺産に登録され、熊野三社へ至る中辺路などの古道歩きが一種のブームだ。奈良時代に山林修行の地であった熊野は、平安から鎌倉期に皇族貴族が参詣を繰り返し、室町後期には「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの一般民衆から信仰を集めた。中世の熊野御幸は、京の都から舟運で淀川を下ってきた皇族が、渡邊津と呼ばれた大阪の八軒家浜(現在の京阪天満橋駅付近)に上陸、阿倍野王子、住吉大社、境王子(堺)などを経て紀伊路を南下し、熊野へ至ったと記録されている。後鳥羽上皇の例ではわずか22日間で京都〜熊野三社間を往復、10カ月に一度、計28回も御幸を繰り返しており、往時の熊野信仰の凄味が窺える。

 上記は、岩波新書「熊野古道」(小山靖憲著)によるものだが、古道街道にそれほど縁のなかった私が、このような文章を書いているのは、1年来、役所の仕事として、「大阪の熊野街道」に関わる機会を得て、歴史街道の不思議な魅力に引き込まれたからだ。

 話は昨年春に遡る。京阪電鉄・南海電鉄・大阪市などが協同で、世界遺産登録を記念し、「大阪から始まる熊野街道ウォークイベント」を連続3回シリーズで実施するとの情報を得た。京都市内から、天満橋〜住吉と続いて、3回目が、堺市域を縦断し、浜寺公園駅へ至る約14kmのウォークルート。府では、かねてから、府域に広がる歴史街道自体を観光資源として、鉄道駅からハイキングの如く街道歩きを楽しんでいただけないか模索していたところで、この機会に南海電鉄とタイアップし、ウォークイベントを支援しながら、街道の案内を充実したいと考えた。頭に浮かんだのは、熊野街道沿線の住民や企業の方々との協働。折から、堺市域では、道路の里親制度として府道の清掃等を地域の手に託す「アドプトロードプログラム」が広がりを見せていた。この府民協働の力を熊野街道に活かせないか。議論の末、熊野街道の交差点に道しるべを設け、住民の育てた花プランターを添えることになった。

 道しるべは、間伐材を利用した64センチ四方の木製板で、熊野三山から神鳥「ヤタガラス」の公認デザインの使用許可を得た。さらに、この道しるべ自体を協力企業から寄贈していただき、府が設置工事と管理を担う仕組みの実現をめざした。結果、鉄道駅からの街道ハイキングを促す点で南海電鉄様とJR西日本様に、歴史街道の保全・整備を推進する点で関西経済連合会様に、ウォークイベントに協賛していた地元有力企業のシマノ様に、我々の趣旨をご理解いただき、計12基、道しるべの寄贈を得た。

 また、ウォークイベントのゴールを、バラ園や与謝野晶子記念碑などのある府営浜寺公園に移し、熊野街道の歴史やアドプトロード活動を紹介するパネル展示ブースを併設。12月のイベント当日は快晴で絶好のハイキング日和となり、1200名の熟年ウォーカー達が健脚を競われた。ゴールで数名に伺うと「何やけったいな看板あったなあ」と道しるべの印象が残っていた様子。今後、道しるべに加えて、沿線の民家に協力をいただく提灯の連続灯火、各地のウォーキング同好会やNPOの力を借りての街道ウォークマップ発行など、歴史街道再発見のためのアイデアを実現したい。

 数多くの街道の起点である天満橋・八軒家では、現在、中之島新線鉄道と河川の船着場整備が進められている。歴史的な交通の要衝であった当地が数年後に新たな交通結節点として再生する。今スタートした熊野街道のPRや保全活動を、今後、竹内街道や京街道など各地の旧街道に広げ、八軒家再生の時期に集大成できればおもしろいと考えている。


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