「歴史に学ぶ」とは?

地域デザイン研究会 代表 平峯 悠

ダイエーや西武鉄道の凋落、銀行の再編成、戦後教育の矛盾、国体・国柄の不鮮明さが顕著になるとともに、ITの寵児であるライブドアの堀江社長による企業買収など、これからの日本の行方がますます混沌としてきた。このような世相を受け「歴史に学ぶ」ことが必要であるといわれているが、まちづくりに携わる私たちにとっても歴史は重要な関心事である。

アーノルド.J.トインビーは文明の段階を、下に絶壁があり、上にも絶壁のある山腹の岩棚に横たわる人間にたとえる。ようやく上り詰めた絶壁で一時的な休息をとっている人間がさらなる上を目指してその絶壁を上り始める。その一つ上の岩棚にたどり着く見込みがあるのか、それにはどれほど困難が待ち受けているかの見当がつかない。その前進の引き金となるのが“科学とエネルギー革命”であるというのが「文明岩棚論」である。※岩棚にいる人間にとって絶壁を登ってきた方法とルートは知っているし、別の山腹を登っている人間がいることも分かっている。これから登ろうとする絶壁がこれまでと同じであれば過去に学んだことを誤りのないよう当てはめればよいが、実は先はどうなっているかは予想がつかない。イギリスの哲学者ヒュームは「人間の頭では未来を予測することが出来ない。大筋を決め逐次修正してゆく。そして具体的によいものだけを守っていく。よいものというのはコモンセンス(常識)が決めるが、それは歴史の中で知恵として積み上げられて行く」という。この知恵を得るために「歴史を学ぶ」のである。

街づくりにとって歴史の中に知恵を見出すということになれば、手当たり次第歴史書を読んでも仕方がないし、古いものを何でも保存するとか遺跡や文化財を再現することでもない。私は@日本人の精神文化と都市文化を学ぶためには江戸時代、A世界的な都市化現象と日本の伝統的文化との融和の知恵を見るには大正期、B今日の社会が持つ多くの矛盾(教育や防衛、環境、生活感覚、自動車による空間の拡大)が何故生じてきたかを見るには制度や仕組みを生み出した戦後の60年、この3つの時代を詳細に振り返ることが不可欠であると考えている。日本人の精神文化は江戸時代に創り上げられたといって過言ではない。武士道や庶民の生活様式は300年の江戸期に熟成され、日本人独自のものを作り上げた。明治以降、大正期に入る都市の爆発的発展と生活環境の悪化などが顕著になり、その解決が急務となった。田園都市論はじめ多様な都市論、マリン開発、船場文化、芦屋文化、阪神モダニズム、六甲リゾートなどは大正デモクラシーが生み出した知恵である。欧米文化を受け入れることと日本の伝統を守るということとの間に大きな葛藤があった。その歴史的考察は是非とも必要である。大正8年の旧都市計画法制定の背景、関東大震災後の復興都市計画の思想は?全国の街にある○○銀座の起こった由来などは知っておかねばならない基本的知識である。

私たちは戦後60年間、経済効率や車社会の実現に向けて絶壁を必死になって上り詰め“現在”という岩棚に立っている。多くの矛盾や課題があることも分かっている。その認識の上にたって、ここからどのような未来を求めて絶壁を再度登ろうとするのか。一方、目を転じてヨーロッパの都市がたどり着こうとしている岩棚を見ると、人間再生のために便利な文明を少しだけ使わないようにし、環境や精神を重視した岩棚言い換えると絶壁を少し下がって横に行きゆとりのある岩棚にたどり着こうとしているように見える。ドイツのフライブルクやアメリカチャタヌガ市に代表されるLRT導入や人間を優先した環境都市づくりは歴史を学んだ結果として生まれたといってもよい。

絶壁の登り方は一様ではない。日本人の登り方と西洋人とは自ずと異なる。また日本国内でも地域によって異なる。世界に誇る文化と作法、自然観と美意識を持った日本人であれば、地球環境保全と人類の持続的発展のための知恵をもって、新しい岩棚に到達できる可能性はじゅうぶんにあると思う。日本の歴史を改めて振り返ってみたい。

※「歴史の研究」A・J・トインビー


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