悠悠録
日本人
地域デザイン研究会 理事長 平峯 悠
最近の中国や韓国等における反日デモ、参加している群衆の異様な行動と表情、またそれに対する日本人の反応を見ていると、同じ東洋の国であるとは言え、そこには超えることが出来ない民族の違いがあるように思う。
『感情を表すことにはなはだ慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、憤怒の情を抑制しているので、怒りを発することは稀である』――これは1583年ポルトガルの巡察使ヴァリアーノの「日本巡察記」の一節であるが、日本人の性格を既に400年前に的確に読み取っているのには驚かされる。国旗を燃やされ、公館や日本人店舗が破壊されても、日本では国を挙げての抗議が行われるわけでもなく、なんとか穏便に収めようとする人たちが多いのは長い歴史の中で形成されてきた日本民族の性格によるのであろうか。(個人的には中国・韓国に言いたいことは山ほどあるが)
日本人論の幕開けは、終戦直後に出版されたルース・ベネディクトの「菊と刀」で、義理と恥の文化を日本人の本質と指摘した。その後、中根千枝(タテ型社会の人間関係)、土居健郎(甘えの構造)、司馬遼太郎、ライシャワー、ヴォ―ゲル(ジャパンアズナンバーワン)など多くの人たちが日本人を分析しようと試みてきた。いずれも成る程と思うが、全国的に展開された戦国時代の激闘、江戸時代の300年間にわたる秩序維持、明治維新による社会の激変、八紘一宇思想による太平洋戦争への突入と敗戦後の平和ことなかれ主義などの歴史的事実は、根源的な日本人の行動原理を知らなくては説明がつかない。
昭和10年、和辻哲郎が現した「風土」は世界の民族の性格を風土の類型で説明しようとするものである。インド、中国および日本を含む東アジア沿岸一帯はモンスーン地域であり、一般的にはその地域に生活する人間の性格は「受容的・忍従的」であるとする。その上に各国の風土的地域特性が加わり、独自の性格を作り出す。日本の場合は、四季の変化と豊富な蒸気が豊かな食物の恵みをもたらすものの、一方では、暴風や台風、地震や大雪などが人々を脅かすが、突発的で季節的であることを知っているためあきらめつつ気長に辛抱する。一方、忍従性に含まれる反抗は台風のように猛烈に燃え上がるが、その感情の嵐の後には突如として静寂なあきらめが現れる。
結論として「しめやかな激情、戦闘的な恬淡、これが日本の国民的性格にほかならない」と述べている。なお中国(シナ)やヨーロッパの性格についても面白い分析をしているが、人間はそれぞれ民族固有の「風土的過去」を背負うと和辻はいう。民族が違えば性格や考え方は異なるのは当たり前である。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」敗戦を受け入れ、以後必死になって日本の経済的発展に邁進してきたが、最近、自暴自棄(ヤケ、キレル)という現象が子供から大人まで増加しつつある。また日本全体の閉塞感から多くの事柄で「堪忍袋の緒」が切れかけている。これは忍従性に潜む「反抗」が首を出しつつある兆候かもしれない。
これからの日本は対外的にも国内的にも何らかの形で爆発するであろうが、「人類皆兄弟」「地球は一つ」「みんな仲良く」などというお題目や感情中心でなく、互いに違いを認めた上で明確な理念と理性および知恵で対応しなければならないと思う。