主張

世代間を繋ぐ

地域デザイン研究会 理事長 平峯 悠

 今年の8月15日は戦後60年に当たることから、新聞やテレビ等が特に賑やかであった。しかし戦争の悲惨さと平和の尊さを訴える、また戦争を風化させないということが中心であることは例年とそれほど変わらない。その中で8月上旬の「朝までテレビ」に旧帝国軍人として出演していた人たちの仕草と態度は大変印象的であった。背筋がピンと伸び、人の顔を正面から直視し、はっきりとした日本語を穏やかに話す。遙洋子の自分の思い込みに基づく軽薄なしゃべりと突っ込みとは対照的であり、世代間でのつながりが切れてしまっているのではないかということに気づかせた番組であった。

  「戦争を知らない子供達」という歌がかつてヒットしたが、戦争だけでなく、戦後や戦前の昭和、大正・明治についてどれほど知っているのだろうか。山本夏彦は「誰か戦前を知らないか」という本の中で、昭和12年にはネオンが輝き、物資はあふれていた、現在と比べてなかったのはテレビだけである。今の人たちは汽車、飛行機、電話・電気のおかげで今日があり、それがなかった時代は不便で暗かったと思っている。それを「戦前戦中真っ暗史観」に毒されているのだと一喝する。物質的には豊かにはなったが、日本の歴史の中で現在が過去より遥かによいとは到底思えない。どの時代も矛盾や不合理が存在するが、過去の人達が営々として築き上げてきた営みや地域文化を知り、それを未来へと渡していくことが私達の生き続ける上での不可欠な行為である。

 現在の日本は有数の長寿国であり、体験や経験の違う「世代」で成り立っている。昔から若い人は上の世代が煙たいし、上の世代は「今の若い者は・・・」という感覚でお節介や押しつけをしがちである。しかし、日本の歴史と日本人の精神文化や伝統は着実に語り継いで行かねば日本は滅びてしまう。

  山本夏彦は「戦災で日本は焼け野原になった。残ったのは「言葉」だけなのに言葉を大切にしない、日本の言葉は滅びかけている」とし言葉で世代間を繋ぐことを強調している。言葉以外にいくつかの重要な要素がある。各世代が体験している「衣食住」「作法」「自然観・美意識」などをきちんと振り返れば、世代間を無理なく繋いでいくことは十分出来ると思う。世代間で断絶している(教育が大きく影響しているが)戦前の歴史観にはうんざりしている。

  ドコモショップで「お名前を書いてもらってよろしかったでしょうか」、食堂で「日替わり定食になります」などと言われ、気持ち悪く不愉快になることが多い。これもある世代の人間がマニュアル化したもので、おかしいと指摘されなかったがために定着してしまったものであろう。

  世代を繋いで行くためには、第一は、多様な世代が混ざり合い、意見を述べ、問題解決に当たるというシステムや「場」を作り上げること。関西は人材不足のためか、いつも同じような人達が出てくるが、若い世代が参画できるシステムをつくる。第二は、世代間でおかしいと思うことは率直に指摘する、特に上の世代が現状に迎合せず、世代間で切磋琢磨することによって社会は活性化し閉塞感が打ち破れる。

 地域デザイン研究会も発足当時は世代や組織を超えて横断的にと言うことで若い年代の人も相対的に多かったが、現在では平行移動的に年令が上がり、世代間を繋ぐという意味では問題が出てきた。まちづくりの中で世代間を繋ぐという視点からの再編成も必要になってきている。中根千枝の「タテ型社会日本」の弊害は排除しなければならないが、歴史を垂直に繋ぎつづけることがこれからの日本に必要であると考えている。


潮騒目次  HOME

inserted by FC2 system